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【ニュージーランド取材ルポ・前編】車中泊をしながら冬のラグビー場を巡ったら凍えた 

ウェリントン市内のアペックスで最安値(1日29ドル)だったレンタカー。保険は「フルインシュアランス」にして14ドル。一日43ドルの最安コース

【ニュージーランド北島のラグビー場を巡る①】ウェリントンを出発


 僕と関わったことのある人には悪い知らせかもしれないが、ラグビー留学をしても僕はまだ生きていた。死んでいるように見えるという人もいるが、生きて留学プログラムを終えることができた。

 一生に一度はラグビー留学をしたいーー。その一心で、競技ブランクが10年以上のおっさんが王国ニュージーランド(NZ)に留学し、鎖骨を痛めた2015年春。

 現地での留学期間が終わった後、せっかくなので本場のラグビー場を見てから帰国しようと考えた。(ラグビー留学記事はこちら↓)

 これからは2週間弱の予定で、北島のラグビーグラウンドを最安レンタカーで巡る。そしてレイバンのサングラスをかけ、馬鹿長いマフラーを巻いて帰国する。

 海外で車を運転するのは今回が初めてだった。運転に際しての予備知識もこのくらい↓だった。

予備知識①携帯するのは日本の免許証と国際免許証
予備知識②ハイウェイは無料だが、ガソリンは高い
予備知識③ラウンドアバウトは右からくる車が優先
予備知識④ウェリントンと目的地のオークランドは道路でつながっている

 出発した2015年5月30日時点で、ニュージーランドはすでに冬の始まりを迎えていた。今後寒さは本格化する。先週北島の北東にあるネイピアでは、数十年振りに降雪を記録したという。

 どうやら例年よりも寒いようだ。ほとんどをキャンプ場での車中泊を予定している僕にとっては幸先の悪いスタートとなった。

一本道をまっすぐ進む技術があるならNZでのドライブは可能だ

【ニュージーランド北島のラグビー場を巡る②】ウェリントン ~ マナワツ


 誰かが冗談めかして「NZは人間よりも家畜のほうが多い」と言っていたような気がするが、事実を述べていただけだった。

 NZでは人間が住んでいる地域はごくわずかであり、街と街が100キロ離れていることもある。その他の地域はウシもしくはヒツジの王国である。一度ヒツジの王に謁見すべく彼らの群れに近寄ってみたが、同時にお尻を向けられてしまった。

 5月30日(日)の午後1時ごろ、ハリケーンズのジャージに身を包み、レンタカー店「アペックス」を出発した。車種はマツダのデミオにした。べつにレクサスを借りてもよかったが、それでは旅情が台無しだ。僕らはレクサスが象徴するようなものから逃避するために旅に出るのだ。

 まずはウェリントン市内からハイウェイ1に乗って、スタジアム「アリーナマナワツ」のあるパーマストン・ノースへと向かった。

 ニュージーランド初心者である僕はキープレフトを守った。ハイウェイの速度標識は大抵「80キロ」か「100キロ」で速度も守った。しかしニュージーランド人は標識と樹木の区別がつかないようで、僕が制限速度で走っていると、120~130キロくらいで追い越していく。彼らは急いでいたのだろうか? 急いでいなかったとしたら、急いでいるときが恐ろしい。

 日本で運転できる人ならNZでもかならず運転できる。標識もラウンドアバウトもすぐに慣れる。たとえそれがあなたにとって大問題で、あなたが泣いて嫌がっても、僕はあなたをNZでのドライブにお誘いしたい。
 
 それほど景色が素晴らしい。

こんな丘が延々と続く

 あなたは憶えておられるだろうか。「ウィンドウズXP」初期設定のホーム画面を。

 あの「ウィンドウズXPの丘」が、車窓の全面に展開したら壮観だが、ニュージーランドではそんな絶景が数キロも続いたりするのだ。

 麗しい緑の丘陵がどこまでも折り重なっている。モコモコした白いものはヒツジである。僕がまるで「別の惑星を旅しているよう」に感じたとしても不思議ではない、と分かって頂けるだろう。ニュージーランドが映画『ホビット』などファンタジー映画のロケ地になっているのも頷ける。

最初に訪れたスタジアム「アリーナマナワツFMGスタジアム」(パーマストン・ノース)


 農業都市・パーマストンノースには出発後2時間で到着した。

 人口約8万人。古くから農業を主幹産業とし、市内にあるマッセイ大学は農業の先端研究で知られる。目的地のアリーナマナワツは、そんな街の中心部から徒歩5分ほど、板塀の平屋がならぶ住宅街にこつぜんとあった。

 パーマストン・ノースには「ラグビー博物館」もあり、そちらもラグビー好きとしては外せない必見スポットなので足を運んだ。

収容人数は約2万人。2005年建造。2回のラグビーワールドカップ(1987、2011)でグループステージの舞台となった。
メインスタンドは2005年に完成。パーマストン・ノースの人口の4分の1を収めることができる。
 パーマストン・ノースにあるラグビー博物館。チャールズ・モンローは1851年、NZネルソン生まれ。1863年から1865年にかけてノースロンドン(英)で経験したラグビーをNZ帰国後に伝え、NZラグビーの始祖となった。モンローの功績を称え、彼が長く住んだこの地に国内唯一のラグビー博物館が造られた。
館内にあった1936年の日本代表ジャージー
パーマストン・ノースで1回目の車中泊。「パーマストン・ノース・ホリデーパーク」にて。自分以外はキャンピングカー

 【ニュージーランド北島のラグビー場を巡る③】パーマストンノース ~ ヘイスティングス  


 パーマストン・ノースで1度目の車中泊を経験したあと、アールデコ調の街並みで知られるネイピアを目指した(まるでアールデコを知っているような書きぶりだがよく分からない)。

 ネイピアには第2の目的地「マクリーンパーク」がある。

 しかしスタジアムばかりがラグビー場ではないはずだ。代表選手ばかりがラグビー選手ではないように。

 経由地のWoodvilleにあったポールだけのグラウンド。ポールは鉄パイプを組み合わせただけのものだった。

 無駄なものを省きすぎたのか、必要なものも省いてしまっていた。しかしぼーっと眺めていると手作りの温もりが伝わってきた。代用品を使ってでも、人々はここにポールを立てようとしたのだ。
 

パーマストン・ノースを出ると急に山道に
小さな町にあった手作りのHポール。さすがラグビー王国


 ネイピアへ向かう途中、ヘイスティングスという街のキャンプ場で車中泊をした。

 市内で見つけたキャンプ場「TOP10」のカーパーク料金は25ドル。もっと安いと思っていた僕にとっては精神へのダメージが9999だった。

 早朝5時、僕はヘイスティングスのキャンプ場(TOP10)で震えながら起床した。

 冬のニュージーランドで車中泊をすると、目覚まし時計がまったく必要ない。朝の冷気がその代わりをしてくれるからだ。無料だからオトクだと思われるかもしれないが、自分でスイッチが切ることができない。朝7時頃に太陽が昇ってくると次第にスイッチが切れる仕組みである。

 頭部が赤べこのように勝手に動き、自分ではどうすることもできない。手足も震える。どこかにバイブレーターがあるような気がしていたら自分だった。

 冷気の目覚まし時計がきかず、あと少し眠っていたら凍死していたかもしれなかった。とにかく急いでシャワー室で「1ドル6分間」の温水を浴び、人間未満の状態から、いつもの人間未満の状態に復帰した。

凍死しかけた現場。冬の車中泊を舐めていた僕が120%悪い
命を救ってくれた温水シャワー。1ドル6分間

【ニュージーランド北島のラグビー場を巡る④】ヘイスティングス ~ ネイピア


 ヘイスティングスで冷凍マグロ体験をして、これは死ぬぞと思った。次にもう一度同じ事があったらDEADだ。そこで次の宿泊先をバックパッカーズ(バックパッカーのための格安宿)に変更した。

 第2の目的地はラグビースタジアム「マクレーンパーク」(ネイピア)だったが、そこでちょうど行われるスーパーラグビー観戦のため、マクレーンパークから至近のバックパッパーズを宿泊先に選んだ。
 
 が、これが痛恨のミス。

 結論からいえば、夜になると共有リビングに排他的な白人の若者グループがたむろし、6人部屋の寝室では「ファ〇ク」を連発する「ファ〇クじいさん」によってコンセントが独り占めされていた。コンセントが独り占めされるとスマホも充電できないし、パソコンも充電できない。そして偶然泊まっていた2人の若い日本人女性には完全にシカトをくらう(日本人同士が海外で出会うと見て見ぬふりをするというお決まりのアレだ――)。

 やっぱり僕の友達はラグビーボールしかない。そんないじけた想いを胸に30代半ばのおっさんは翌日、スーパーラグビー観戦に出掛けた。

スーパーラグビーの2015年シーズン、6月5日の第17節「ハリケーンズ〇56-20●ハイランダーズ」。芝生席(17ドル50セント)からみたマクレーンパークのメインスタンド。田中史朗がハイランダーズの9番でスタメン出場

 約2万人収容のスタンド席は満席御礼。試合直前になるとさらに人が詰めかけ、芝生ゾーンも混みはじめた。

 待ちに待った試合は約2万人の黙祷から始まった。この試合の直前、日本でもプレーしていた元オールブラックスのジェリー・コリンズ(34)と彼のパートナーが交通事故で急逝したのだ。

 ゲームは56-20でハリケーンズが勝利。チーム創設以来初となるNZカンファレンス優勝&リーグ勝利を達成したメモリアルマッチだった。(後編へ)

ハリケーンズのジャージーを着てドライブしていた僕にとっても嬉しい勝利
東京サントリーサンゴリアスでもプレーしたボーデン・バレットが10番だった

 #私の遠征話


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