見出し画像

高卒バンドマンが上場企業へ挑戦する話

僕は昔バンドに明け暮れていました。コテコテのパンクロッカーです。当時はかなり精力的に活動をしていました。曲が深夜番組の主題歌になった事もあります。2004年にバンドが解散し、高卒無職から東証一部上場企業に入るまでの経験をシェアしたいと思います。

当時の僕

画像1

一部自主規制を入れてみましたが、ちょっと今見るとちょっと近寄り堅いです。かなり世紀末を感じてしまいますね。

バンド解散

2004年にバンドが解散してしまい、高卒の無職になってしまった訳です。
その当時、バンドのホームページを更新したりする作業をしていたので、PCを使った作業は得意でした。
漠然と手に職をつけた方が良いなぁと思っていたのと、この頃からオフィスビルの上層階でキラキラと働くのがなんだかカッコイイなぁと思っていたので、プログラミングを勉強する事にしました。
今思えば、バンドマンを続ける事の将来への不安が勉強への意欲を書き立てたのかもしれません。

プログラミング勉強開始

僕はどこから手をつけたら良いのか分からなかったので、プログラミングスクールのJAVAのコースを受講する事にしました。
そのコースはSUN JAVA認定資格を取れるというコースで、死ぬ物狂で勉強したのを覚えています。僕はプログラミングを書くのがと ても楽しくて、プログラミングにどんどんのめり込んで行きました。
1年ほどスクールに通い、無事にSUN JAVA認定資格を取る事が出来ました。

画像2

中小企業就職

JAVAの認定資格を取った僕は、かなり自信をつけて、派遣社員という形でしたが、見事WEB系の企業に就職する事が出来ました。後になって分かった話ですが、高卒と言う事で二週間で結果が出なければ不採用にするというお試しでの採用だった様です。

大きな挫折① 〜初めての業務〜

時代はガラケー全盛期。言語はPHPだった事もあり、試験勉強で学んだ事は業務では通用しませんでした。
もともとあるページへの機能追加だったんですが、システムが複雑で、既存コードも非常に読み難く、絶望しながら開発していたのを覚えています。ITの知識も未熟で、分からないワード調べる→出てきたワードも分からない→さらに調べる→というループで開発を進めていくのも苦労しました。
開発期間は四六時中案件の事を考えていました。電車の往復で頭の中を整理して、社内ではゴリゴリと開発する日々。上司に助けてもらいながら何とかやり遂げる事が出来ました。

大きな挫折② 〜初めての徹夜案件〜

開発も少しずつ軌道に乗り始め、こなせる仕事も多くなってきた頃、PCの位置情報系のサービスの受託案件にアサインされました。
このプロジェクトも負債の大きい案件で、1万行近いクラスもある状態。
締め切り前日にかなり追い込まれた状態で夜9時を迎えた頃。当時仕事への責任感の甘かった僕は、なんとなく区切りがいいからと帰宅した時に上司(女性)からの電話が。。
「終わってないのに帰れる訳ないでしょ?」
今思えばごもっともな話です。。会社に戻りそのまま次の日のお昼まで働き、クライアントへの確認依頼を投げて家に帰宅しました。
10年以上前の話ですが、あの1本の電話のおかげで責任を持った行動を取れる様になったと今でも思います。

産業の移り変わり①

2009年頃。エンジニア歴4年を迎え、少しずつプロジェクトのリーダーをやらせてもらえる様になってきました。当時はまだガラケーの月額会員が全盛期で、ドコモ・ソフトバンク・EZ(au) の会員サービスを作れば儲かる時代だったのですが、そこに暗雲が立ち込めたのがスマートフォンの存在でした。
IT業界は一気に、WEBの時代からアプリの時代に変わっていきました。僕はこのブームに飛びつきました。中小企業で5年くらいエンジニアをやっていると、社内での発言力が大きくなってきます。当時の上司を説得して、iPhoneアプリを作る事になりました。iPhoneのアプリは、Objective-Cという言語で開発するんですが、当時は今ほど資料も無く(あったとしても全て英語)かなり手探りでiPhoneのアプリをリリースしました。僕の作ったアプリはあまり売り上げが伸びなかったんですが、この時代はどんどん小さな企業がアプリで成功していったのに対して、何億円も売り上げを上げていた月額サービスが衰退していくのを目の当たりにしました。
ここで感じた事は2点。
・神様の様に強かった企業が、あっけなくその座を奪われる事がある。
・産業の移り変わりは、小さなアリが巨人を倒せる可能性を秘めている。

産業の移り変わり②

2013年頃。エンジニア歴7年を迎え、プレイングマネージャーとして、開発もマネージメントもする様になってきました。
この時期は、Gree/Mobageの全盛期で、僕のチームではGree向けのゲーム開発を行っていました。
ある日、僕の人生を大きく変えるきっかけになる出来事が起こります。
義理の弟(妻の弟)が大学卒業間近で、就職先が決まらずニートになろうとしていたのです。僕は危機感を感じて typeエンジニア転職フェアに無理やり連れていく事にしました。付き添いで行った訳ですが、せっかくですのでゲーム企業を中心にブースを散歩してみた所、ある事に気付きました。
それは企業が求めている人材を見れば、その企業が次に何をしようとしているかが分かると言う事でした。

objective-c / java 募集
→ iOS / Android のアプリ開発に行く可能性が高いか、ハイブリッドと言ってWebViewという機能を使ったGreeやMobageで出しているゲームをiOS/Android向けに横展開したいのかなぁ...?

Unity 募集
→ 2D/3Dのゲーム開発に振り切っていくのかなぁ...??iOS / Android向けにシフトしていくんだろうなぁ。

サーバーサイド&Flash募集
→Gree/Mobage向けにどんどんゲーム作っていくんだろうなぁ...

僕が注目したのはこのUnityでした。Unityというのは、2D/3D向けのゲーム向けの開発ツールで、今動いているほとんどのゲームがこの Unityで作られています。当時はあまりUnityのエンジニアがいないにもかかわらず、大手企業がこぞってこのUnityエンジニアを獲得しようと動いていました。

自分の市場価値を上げる

僕はさっそくUnityの勉強を始めました。プライベートな時間のほとんどをUnityに費やしていたと思います。
その時期、大手通信会社のコンペでゲーム会社を探しているという話がありました。プランナーとデモを作りプレゼンを行って、見事ゲーム開発ができる事になりました。
当時は週に3往復(1泊2日を三回)繰り返す様な、今思えばかなりブラックな働き方をしていたんですが、とても充実していました。
5ヶ月程この働き方をして、無事にゲームをリリースする事ができました。
僕はリードエンジニアという肩書でゲームのクレジットにも載ることができて、徐々に自分自身の市場価値が上がっているのでは?という実感がありました。

そして転職

エンジニア9年目、開発マネージャーとして働いていたので、とても充実はしていたのですが、大きな会社での働き方を体験してみたかったので、転職する事を決意しました。
僕は、当時かなり勢いのある、東証一部上場企業を受けて無事に合格。
ついに高卒バンドマンが9年越しで、一部上場企業へ就職する事ができたのです。

まとめ

僕の頭脳は並なので、頭の良い大学へ行ってキラキラの経歴の人には敵わないですが、僕が言える事としては3つです。
・世の中の需要がどこにあるのかを見極める。
・需要を予測して、自分の市場価値を高める。
・目標に向けてコツコツやる!
これはフリーランスでもサラリーマンでも同じです。エンジニア以外でも言えるかもしれません。正しい目標をたててコツコツ進む事が大切だと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。大企業に入ってからもかなり苦労したので、それはまた別の機会にnoteに書きたいと思います。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?