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「ゼロになるからだ」の話

今日のテーマ:ゼロになる瞬間

今回はちょっとスピリチュアル臭強めかも、笑。

みなさんこんにちは。たくちゃんです。突然ですがみなさん、自分、もっと言うと自分の体が「ゼロ」になったなって経験したことはありませんか?

何言ってんだこいつ

って思われたと思うんですけど、言い方を変えれば、

「自分のオリジンに立ち還った瞬間」
「自分の人生を全体として俯瞰した瞬間」

                             ですかね。

みなさんも一回はそういう経験をされたことがあるのではないでしょうか。

ということで今日のメディア部のかきとめ。は「ゼロになる瞬間」について話していきます。
       メディア部のかきとめ。って??

僕が「ゼロ」になった瞬間

僕の場合、「ゼロ」になった瞬間はおばあちゃんの死に触れた時ですね。

僕は、幼少期をほぼ親戚に育てられたわけですが、その親戚のおばあちゃんにはホントに小さいころからお世話になってて、自分の原点的なものはその頃の暮らしにありました。

そんなおばあちゃんが、僕が大学1年の時に亡くなりました。

その時のお通夜では、親戚が勢ぞろいして、自分が生まれる前の話(みんなの様子)なんかを聴いて、自分が生まれた当時のことも聞きました。

そうしていくうち、これからの自分、親,周りの将来なんかが想像されて、自分の人生全体を俯瞰してしまいました(なんか自分の人生が縦に伸びる一本の軸で、それを正面から見てるみたいな、笑)。

これは、ルビーインの代表:千手さんも仰ってたことなんですけど、身内に限らず、誰かの死に触れる瞬間って少なからず何かしらの変化が自分にあるんじゃないかって話されてて

それが僕の場合おばあちゃんで、僕は「ゼロ」を感じたわけです。

死がゼロと近いイメージ、っていうのはわかっていただけるのではないでしょうか。

「ゼロ」の意識・感覚に立ち還ると、なんか少しラクになる

そんな感じで「ゼロになった」体験をした僕ですが、あれが僕になにをあたえてくれたのか、とかはあんまりよくわかりません。

けど、はっきり言えるのは「自分が持ってる時間がすごく限られてる」こと自分ってのは案外「たくさんのものを与えられて/たくさんの人に支えられて生きてきたんだな」ってことを強く感じました。

と同時に、

なぜかしんどいときでも自分の「ゼロ」状態の感覚に立ち還ることで自然と心が静まる

                       ようになりました。

なぜですかね...超絶俯瞰または自己解脱みたいなかんじなんですかね??

このままあんまりテキトーな文ばっか書いてると流石に怒られそうなので、今日はこの辺で、笑。

みなさんが「ゼロ」になった経験があれば、ぜひお聞かせください。

今回の裏話

タイトルで気付いた方もいるかもしれないのですが、今回の話は完全に千と千尋の神隠しの主題歌「いつも何度でも」から着想しました。


実はこの歌僕の中で日本語の美しさランキングぶっちぎりの一位なんですよね。ぜひ一度歌詞だけをじっくり見てみてほしいです。

”はじまりの時のしずかな窓、ゼロになるからだみたされてゆけ”

って、えぐくないですか。

もし共感してくれる方はこちらものぞいてみてください

      「いつも何度でも」作詞者 覚和歌子さんの詩集・短編集

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                                                                               出典:Amazon

うまく言えないんですけど、この曲聴いてると、生産性とか、コンプレックスとか、すんごい色んな事から解放されて、どこかずーっと遠くにいる気してくるんですよね。

個人的にはこれ聴くだけで「ゼロ体験」できるんじゃないかとか思ってます。

今回はほわほわしすぎましたね、でも僕の感受性→自分らしさということでご容赦を。

                       メディア部 たくと

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