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『寒山拾得』

『寒山拾得』
森鴎外著



唐の貞観の時代というのは、西洋では7世紀の初めのころ、台州の知事の閭丘胤(りょきゅういん)は、頭痛に悩まされていた。そこに、乞食僧、豊干(ほうかん)が現れ、あるまじないを唱えられて、閭丘胤の頭痛が解消する。

豊干は閭に、天台山の国清寺に住む二人の聖人、寒山と拾得に面会することを推奨したのたまった。豊干によれば、これらの聖人はそれぞれ文殊菩薩(智慧や学問の象徴)と普賢菩薩『智慧や慈悲などのさまざまな徳を具えた存在)の化身であるとされていた。閭は寒山と拾得を一目見ようと、二日かけて彼らのもとにはるばるやってきた。閭は、自分の社会的な身分を明かし、自己紹介したところ、寒山と拾得は閭の言葉に大笑いし、その場から立ち去ってしまった。という話。

寒山と拾得は、社会的な地位や名声にこだわらず、自然と一体となって詩や禅を楽しむ人間であった。一方の閭は、職位であるとか、礼儀にこだわり、寒山と拾得に笑い飛ばされてしまう。

社会的地位や権力といった「身分意識」や「事大主義」(じだいしゅぎ)が重視される社会の価値観が、寒山と拾得という二人の聖人によってひっくり返される。

⚪︎「事大主義」とは何か?
個人や集団が自身の所属する組織や国家を極度に重視し、それに対して盲目的な忠誠心や優越感を持つことを指す概念。事大主義の持つ特徴としては、組織や国家の利益や名声を第一に考え、他の組織や国家を軽視したり、自身の所属する組織や国家を絶対視する傾向がある。事大主義の影響下では、批判や異論が容認されず、自己の主義・主張も押し付けられる状態。

社会的な地位とは何なのか?
森鷗外は、名家の出身で、エリート中のエリート。医学や文学に優れた才能も与えられていた。

官僚として、ドイツに留学し、おそらく大恋愛をして、駆け落ちのようなかたちで、ドイツ人女性と日本で落ち合うのだけれど、母親の反対や、官僚としての立場もあって彼女のことは、諦めてしまう。

森鴎外自身は、かなりクリスチャンに傾倒していたらしい。娘はクリスチャンらしいし、森鴎外は毎年クリスマス会を開いて家族や親しい人に贈り物をし、その際には「クリスマス」ではなく「降誕祭」や「ノエル」と呼んでいたという。


本書に戻ると
寒山と拾得の行動は、物事を表面的な価値観や常識からではなく、本質や真実から捉えることに重きをおく。これは、世俗の束縛からの解放、そして、真の自我や生きる意味を求めることが、大事なのだ。ということなのだろう。

寒山と拾得は、鷗外が憧れていた自由な生き方の象徴なのかも知れない。

老子の教えって、日常生活を超越していて、憧れないわけではないのだけど、なかなか、世捨て人みたいな生活はできないなあという感じなのではないか?

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