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『非凡なる凡人』

『非凡なる凡人』
国木田独歩著


桂正作という特別な才能を持たず、困難に立ち向かう勇気と努力の精神を通じて、優れた電気技師に成長するという物語。。不可能と思うことも努力と計画性と持続力によって達成できるのだという話。

この物語の理想とする人物像たである、桂正作というのは、実在するひとらしい。素直で、努力家で、勤勉で、しかも、虚栄心がない。

桂正作とはどのような人物なのか?:

1. 努力と忍耐:彼は困難な状況にもかかわらず、ひたすら努力をし続け、自己を高めることを止めない。彼の人生は、目標を達成するための計画的な取り組みと、それに対する持続的な努力の重要性を強調する。

2. 社会貢献:彼は家族を支えるため、そして自身の技術能力を活かして社会に貢献することを重視する。これは、自己の成功だけでなく、他人や社会全体の福祉にも責任を感じるという観念を示している。

3. 自己成長と自己教育:桂正作は学校教育を受ける機会が限られていたにもかかわらず、自己教育を通じて知識と技能を身につける。これは、自己成長と教育の重要性、そしてそれらが自己の力となるという観念を反映する。

4. 実用主義:彼は自己の能力を実用的な形で活用し、具体的な成果を上げることを重視している。これは、理想だけでなく、現実的な問題解決にも重きを置く実用主義的な観念を示す。

素晴らしい人物像が、浮かんでは、くる。

実は、明治時代に爆発的なベストセラーになった自己啓発本として、福沢諭吉の『学問のすゝめ』と、サムエル・スマイルズの「西国立志編』(『自助論』)があったのだけど、「学問のすゝめ」は、自由民権運動に繋がる危険思想を内在するとして、当時の政府から目をつけられていたのに対して、「西国立志編』は、教科書に取り入れられていた。
桂正作も暗唱できるほど、熟読していたし、おそらく、国木田独歩もよく読んでいたはずなのだけどね。

政府としては、そういう「西国立志編』的な人物、いわゆる、非凡なる凡人というのは、理想的な人材だった。

確かに、不平不満をいわず、虚栄心もなく、ひたすら自己研鑽に努め。社会に貢献するという素晴らしい人物なのだと思うのだけど、そんな人間はいるのか?と思ってしまう。

大きな落とし穴は、政府が意図的に、「西国立志編』を改訳して、キリスト教的なベースが、無視されていたらしい。

国木田独歩は、なかなか面白い人生を歩んでいて、いつも、兼業作家で、教師をしたり、ジャーナリストだったり、していて、社会や政府の意向にも敏感だった可能性もあるのだと思ったりする。他方で、国木田独歩自身は、クリスチャンだったので、心底、スマイルズの『自助論』を理解していたのかもしれない。

西洋文化を理解する上で、キリスト教は、外せないものなのだなあと改めて思ったりした。

まあ、そうは、言っても、「西国立志編』を学んだ人々が、日本を大きく発展させたことに間違いないわけで、勤勉な日本人像の基礎が、築かれていたのかもしれないと思うと、歴史を感じる。

幾田りら 宝石

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