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【読書ノート】『日曜日はどこへ』(『愛の夢とか』より)

『日曜日はどこへ』(『愛の夢とか』より)
川上未映子著

その小説家が亡くなっていたことをネットニュースで知ることになった。高校生の頃、その作家の作品がきっかけで、雨宮くんとお付き合いすることになったことを思い出した。

①日曜日
休息、再生、家族や社会とのつながり、そして精神的な更新を象徴する。日曜日に植物園に行く行為は自然とのつながり、静寂と平和を求める、そして生命の美と多様性を理解し尊重するという意味合いを持つ。また、日常生活からの一時的な逃避、自己反省、そして瞑想の時間を提供することにもなる。これらは人生の質を向上させ、スピリチュアルな癒やしをもたらす可能性がある。

②小説家の死
1. 創造性と無限の終焉: 小説家の死は、創造性や無限の可能性が終わる瞬間を象徴する。小説家は物語を創り出す力を持ち、その死はその創造的な力の終わりを意味する。

2. 文学の継承と影響: 小説家が亡くなることは、その作品やアイデアが後世に引き継がれ、他の作家や読者に影響を与える可能性があることを示唆する。小説家の死は、文学的な遺産とその影響力を象徴する。

3. 人間の有限性と不朽性への憧れ: 小説家の死は、人間の有限性と死の不可避性を象徴する。同時に、彼らの作品は不朽であり、時間を超えて語り継がれることから、不朽性への憧れや願望を表現する。

4. 解釈と意味の追求: 小説家の死は、作品の解釈や意味への探求を刺激する。

③"三つ手前の駅で降りた人"
1. 冒険心や好奇心:"三つ手前の駅"で降りる人は、新しい場所や経験を求めるために旅をする冒険心や好奇心を象徴する。

2. 自己探求や成長:"三つ手前の駅"で降りる人は、新しい道や方向性を模索し、自己成長や自己探求を重視する人を象徴する。

3. リスクを冒す勇気:"三つ手前の駅"で降りる人は、既知の場所や安定した環境を捨て、未知の領域に踏み込む勇気や決断力を象徴する。

キーワードから、見えてくること。
小説家の死を通して、「わたし」は、自分の人生を振り返って、自分を取り戻しているように思った。

この物語の主題はなにか?

自己探求と成長ということになる。物語の中で、「わたし」は小説家の死をきっかけに自分の人生を振り返り、自己を取り戻す過程を描いている。これは、小説家の死が自己の探求と成長を促すきっかけとなり、「わたし」が自分自身を見つめ直し、内面の成長や変化を経験することを示唆する。

恋人がきっかけで好きになった
小説や音楽。付き合っていた時に聴いていた音楽や読んでいた本などが、一つ一つ自分のモノになっていく過程を通して、今の自分というものが、構成されているということを思い起こさせられる。

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