【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」 (12) アディオス・ルピータ
メキシコの大学都市の近くの閑静な住宅街、コヨアカンにあるグアダルーペ聖母教会で、エリカの葬儀のミサと告別式が行われた。
Erica Guadalupe Teramoto Martinez
絵里香・グアダルーペ(ルピータ)・寺本・マルティネス。
享年31歳だった。
10月にはいって少しばかり和らいだ秋めいたメキシコの日差しが、喪服を着た参列者の上にやわらかく降り注いでいた午後であった。
告別式には、急な訃報にもかかわらず、エリカのメキシコ人の母親の親族だけでなくエリカの友人達も多数参列していた。小学生くらいの子どもたちは、エリカのギター教室の生徒だろうか。
告別式では、エリカの生前のギター演奏の録音が静かに流れる中で、参列者たちが両眼を閉じたエリカに最後のお別れをしていた。
アルゼンチンのタンゴ奏者ピアソラが海外演奏ツアー中で彼の父の死に立ち会えず、悲しみの中で書いたと言われる曲「アディオス・ノニーノ」。その曲の、エリカのギターソロによる演奏がかかっていた。
誰の編曲だろうか、死に対する強い憤りのような強いリズムのAメロではなく、静かで安らかな眠りのようなBメロから、エリカの演奏は始まっていた。
https://www.youtube.com/watch?v=9aZYoSlCcak
「あっち側はこんな安らかな場所なんだろうな」とシンイチは思った。隣に座っていた、喪服の麻里はじっと下をみて黙っていた。
ラファエルとピラールが現れる。ラファエルはシンイチに強いハグをすると、小声で「ロ・シエント」とだけ言う。
直訳だと、「それを感じてます」だが、お悔やみの言葉でもあり、アイ・アム・ソリーの意もある。
その時のシンイチには「くやしいよ」という日本語の訳がぴったりに思えた。
既に電話で聞いていた。
おととい、ラファエルは研究室でシンイチのファックスを封筒に入れて、コヨアカンのエリカの母親のマリア・エレーナの実家に朝9時に着いて、封筒を出てきたエリカの母親に渡した。エリカはまだ起きてきていないという。
それからほんの1時間後に、母親のマリア・エレーナは寝室で意識不明になったエリカを発見して救急車を呼ぶ。睡眠薬の過剰摂取だった。
救急車の中ですぐに胃洗浄が行われ、救急病院でもあらゆる手が尽くされたが、エリカの意識が戻ることはなかった。
自殺ゆえ、警察の検死があり、3日後の今日、ミサと告別式が行われることになる。
ラファエルは言う。
「(あの時、無理にでも起こして、手紙を渡そうしていれば・・・)」
シンイチは首を振る。ラファエルはできることはやってくれたと。
みんな、できることはやった。
シンイチも訃報を聞くと、すぐ電話をかけてメキシコ行きのフライトを予約してから、所長に電話した。鬼所長はこんな忙しいときに休暇なんかあるわけないだろと言うが、「自分の一生にかかわることなんです」と言うと、沈黙の後、「わかった、これ以上聞かない、行って来い」と言う。
ピラールのお腹は、かなり大きくなっていた。翌月が予定日だという。
喪服がもう着れないのだろう、濃い灰色のマタニティ・ドレスに上から黒いショールをかけていた。
美しい。母なる美しさだとシンイチは思う。
そして思わず口に出してしまう。
「(ピラール。今日は、とても美しい(エルモーサ)。いつも綺麗(グアパ)なのは知っていたけど、マタニティの君は本当に美しい)」日本語だと言うのが恥ずかしいことも、スペイン語だとすらすら言えてしまう。
ピラールは「(グラシアス、そう言ってくれて。ラファ・ジュニアのおかげよ、女性ホルモン全開中)」とお腹をさすりながら笑って答える。
重く、辛いばっかりだった周りの空気が、一瞬、安らぐ。新たな生命の息吹に、悲しみの匂いに群がってきていた浮遊霊の類が、すすっと消散していったようであった。
告別式が終わった頃には、すでに夕暮れ時になっていた。
やつれて、ずっと無口のままの麻里にシンイチは言う。
「人間、悲しくても、腹は減る。涙枯れたら、ビールで水分補給。軽く、カルニータのタコスとテカテ・ビールでもいきましょうか?」
コヨアカンの、かつての行きつけだったタケリア(タコス屋)で夕食をすます。
珍しく、ウィトラコーチェという、トウモロコシが黒穂病という菌の病気で真っ黒になったのを挟んだタコスがあったので注文する。見栄えは悪いが、とても体によい食べ物だという。口がお歯黒みたいに黒くなる。
麻里がやっと口を開く。
「うちの下宿、セニョーラ、今週いないの。泊まってって」
そういえば、夜行便で朝着いて、麻里の家に荷物を置かせてもらって着替えてミサに参列したので、宿のことはすっかり忘れていた。
二人で地下鉄を乗り継いで、テペヤックの丘のバシリカ(寺院)駅まで戻る。
10月上旬。寺院の広場では、既に、12月12日のマリア降誕の2ヶ月前からの地方から上京してきた巡礼者が集まり始めていた。広場にテントを張って寝泊まりしているグループもいれば、近隣に宿をとっている人もいた。
シンイチの定宿オスタル・ルルデスもおそらく満室なんだろうと、シンイチは思った。そういえば、オスタルのホアキンとかおばあちゃんとか、最近ご無沙汰しているなと思い出す。今年、米国駐在になってから、巡礼ができていない。社内では有名なシンイチのタコス巡礼。
駅の通りから、バシリカの広場を横切って、麻里の下宿のほうへと歩く。
北緯20度だが高度2200mの高原の盆地のメキシコ・シティでは、10月にはいると夕暮れ時にはちょっと肌寒いくらい秋めいてくる。日本のお盆のような、11月初旬のディア・デ・ロス・ムエルトス、死者の日のガイコツとかの飾り付けを並べて売っている出店が既に広場に数軒でていた。
麻里は、肩を抱いて欲しいというように体を寄せてくる。シンイチは、その肩にそっと手を回した。
(第13章へと続く)
毎週末公開:予定:
第13章 いちどだけ
第14章 愚かな想い
完結章
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