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話すことの意義

昔、バリ島を旅行しました。バリはヒンドゥー教徒が多く、家々にガネーシャが祀られていました。現地の人は、ガネーシャに様々なお願いをするそうです。例えば、子どもが言うことをきかないときに、良い子にしてくれとお願いするのだとか。直接本人に言ったら家族だから距離も近いし、きつい。だからガネーシャにお願いして、変えてもらうのだと教えてもらいました。本人に直接言わない文化は、なんだか日本と似てますね。 

直接本人に言うと、角が立ちます。良いことだったら話しやすいけど、悪いことを伝えるのは難しいです。「こんなこと言ったら相手が傷つくんじゃないか?」「後で、余計にギクシャクするかもしれない」と考えてしまいます。

だったら、言わない方がいい。飲み込んで耐えるという人もいます。その方法は気持ちのモヤモヤを抱えられる強さがないとできないので、長所でもあります。しかし、どんなに大きなダムでも水を溜め続けると決壊します。時には放水することも必要です。直接相手に言わなくても、モヤモヤした気持ちを誰かに聞いてもらえるだけでも、軽くなるのです。

「愚痴を言っても何の解決にもならないじゃないか」と思うかもしれません。たしかに、直接的な解決には繋がりません。しかし、言えるようになるだけで、癒えることもたくさんあります。

愚痴も言わずに耐えるのは、ある種の美徳として根付いています。しかし、お坊さんのような高みを目指さなくても、皆さん俗世に生きていますし、たまには愚痴を言うのもいいんじゃないでしょうか?

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