「情弱」のすゝめ
「情弱」。俗に言う情報弱者のことです。情報化社会の中で、得る情報量が少なかったり、質が低いと色んな場面で損をしてしまう。格差が生まれてしまう、といったことのようです。
僕自身は、かなり情弱の部類に入るのですが、むしろその良さがあるなとも感じています。それを人にオススメすると意外と好評なので、文章にしてみました。
どうして情弱になったのか?
「大人になったら新聞を読んで、ニュースを見るんだろうな」と思っていた子供の頃の自分が、今の自分を見たら驚くかもしれません。
ニュースを見なくなって、15年以上になります。全く見ないわけではありません。大谷翔平がホームランを打ったとか、海外サッカーの情報はネットで見ています。
しかし、それ以外のニュースは、積極的に見聞きしないように努めています。テレビはもちろん、ネットで情報を得ることもしていません。
そうなった理由は、カウンセリングという仕事と関係しています。カウンセリングでは、時に深刻な問題が話されます。そのような話を日々聞いていると、一生懸命、世の中の深刻さを訴えてくるニュースが嫌になってきたのです。こう書くと、カウンセリングで深刻な話を聞くのが相当な負担なのだろうと受け取られるかもしれません。ですが、そうではありません。
例えば、ニュースで虐待について見ると、出来事の酷さだけが見えてしまいます。そうは言っていないものの、悪意を持った人が酷いことをしているように感じられます。そういったニュースをたくさん見るうちに、やや大袈裟ですが、世の中に悪意が満ちているように思えて、うんざりした気分になるのです。
しかし、カウンセリングで虐待している親の話を聞くと、その方自身も虐待を受けて育っていたりして、その背景が見えてきます。本人の思いを聞くと子供へのポジティブな気持ちもありますし、事はそう単純ではありません。ただ、子供の立場から考えると、やっている行為を肯定はできないですよね。ニュースのようにうんざりした気分にはならないですが、いくらか心は消耗します。複雑で、だからこそ偏ったイメージを持ってカウンセリングに臨みたくないとも思っています。そういう理由で、さらなる負担をかけないために、ニュースを見ないようにし、世の中にあるネガティブな何かを遮断するようにしているのです。
口伝で十分
ニュースを見なくなって分かったのは、意外と困らないということです。今、自分に伝わってくる情報は、日々の生活で直接関わる人からの口伝しかありません。昔の情報伝達に戻っているわけです。「こんな事件がありましたよね」と話されても「そんなことがあったんですか」となることが多々あります。情報に疎い人と思われるかも知れませんが、それ以外のデメリットは感じられません。たまに、どこかの山が噴火したことを数年後に知ったりしますが、日常生活に支障はありません。本当に近くの山が噴火したら、気づくでしょうし、近くの人が教えてくれるはずです。
オススメなのは、こんな人
以前、カウンセリングをしていた中で、ある若者が「ニュースって自殺を助長している気がする。世の中がこんなにクソだって一生懸命言ってくる」と話していました。思いもよらない考えに感心したのですが、確かにそういった側面はありますよね。報道する側は、起こった事件を伝えているだけなのですが、人の持っている悪い部分だけにフォーカスされ、それが大量に流れてくるように感じられます。
影響を受けやすい人、人に傷ついた人、何かがあって弱っている人の中には、ニュースがしんどくなることがあります。そんな方に、情弱になることを勧めると、やってみて良かったという感想が多いです。そして、みなさん生活に支障はないそうです。
ということで、本当は、必要ないのに、ついつい習慣だから19時のニュースを見ている人もいますが、いったん辞めてみてはいかがでしょうか。特に、心理的に弱っている時には、遮断してみると心の余裕が生まれると思いますよ。