見出し画像

わたしの価値はきっと髪だけじゃないと信じたい

24年間生きてきた中で、いちばん多いほめ言葉は「髪さらさらだね」だとおもう。

物心ついたころからずっとロングヘア。ストレートで、つやのある黒髪。朝、寝癖をなおす必要もなく、くしでとくだけで準備はおわり。

「さらさらだね」「きれいだね」「まっすぐでうらやましい」

みんながそうほめてくれるから、自分の容姿に自信がないわたしにとって、唯一の自慢が「さらさらの長い髪」になった。


長い髪は、便利だ。

少しうつむけば髪が流れて、視界の左右に壁ができる。胸まで伸びるそれは、自習室の机をひとつひとつ仕切るみたいに、周りを見えないようにしてくれる。

他人の目が気になって、自分の存在を消してしまいたいとき、幾度となく髪で視界を遮った。笑顔でいるのがしんどいから。話しかけてほしくないから。

みんながほめてくれる自慢の髪は、心のシャッターなのだ。



物心ついたころから、誰かに認めてもらわなければ、自分の存在意義はないと思ってきた。

テストで100点をとれば親はわたしをほめてくれたけれど、70点の紙切れには価値がなかった。部活動で部長になれば、これからも部に在籍していいんだと思った。役割を与えられること、頼られることで、この場に存在していいんだと感じた。髪を長くしていると、友達がほめてくれるから、わたしはまだ生きていていいんだと思った。

明日も生きる理由は、ぜんぶぜんぶ、わたしじゃなくてわたしの行動で、わたしじゃなくてわたしの髪で、わたしじゃなくて完璧なわたしなのだ。



唯一の自慢で、心のシャッターでもあるロングヘアを、初めて肩の高さに切ったのは、高校三年生の5月だった。

初めてできた彼氏と2か月前に別れ、高校最後の県大会を来月にひかえた、高校三年生の5月。失恋のやるせなさも、部長としても不甲斐なさも、抱えきれない自己嫌悪のすべてと蹴りをつけたい気持ちだった。


彼氏は、やさしかった。とても好きだった。自分から告白して、成功した。

でもずっと不安だった。きっと彼は、わたしが告白したとき、ほかに気になる人もいなかったからまあいいか、と仕方なく付き合ってくれているのだろう。だって、彼に「好きだ」と言われたことは一度もない。

今となっては、嫌われるのが怖くて自分の素を出せなかったこと、とにかく自分に自信がなかったことが、別れの原因だったとわかる。好き、と言われなくても、わたしを大切にしてくれていたと、わかる。

当時は、ただただ、後悔と反省で自分を責め続けるしかできなかった。ずっと同じ場所をぐるぐるして、原因も解決方法もわからなかった。



自分に自信がないこと、彼氏に嫌われたくなくて素を出せなかったこと、後悔しても戻れない現実を、部活の忙しさとぐちゃぐちゃに混ぜた。

都合のいいことに部長だったから、考えることはたくさんあった。部の雰囲気をよくして、士気を高めて、強いチームにしたい。そのために自分も上手くなりたい。

遠くで輝いている希望と、そばに転がっている現実のギャップがつらかった。

どんなときも気丈に振る舞う自分は、ドッペルゲンガーなんじゃないかと思うときもあった。ドッペルゲンガーは、後輩の前ではかっこいい先輩のままでいられたけれど、同期の前では「どうせ誰もわかってくれない星人」になった。どうしようもないつらさを、同期や彼に打ち明けられていたなら、なにか違っていたんじゃないかと、毎日考えた。



あのときもっとこうしてればよかったと思っても、彼氏と別れる前には戻れない。やり残したことがあっても、大会の日にちは動いてくれない。

思い切って髪を切ったのは、「変わりたい」という強い覚悟を、証明したかったからだ。



ロングからボブになった髪。

感動したのは、シャンプーとドライヤーが楽になったことくらいで、自分を好きになれたわけでもないし、素直になれたわけでもない。現実は、朝起きて学校に行って部活をして、帰ってご飯食べて寝る。その繰り返しのまま。自信はふってこないし、後悔は尽きない。

髪を数十センチ切ったくらいで、人は変われない。

だけど、鏡を見るたびに、髪を触るたびに、自分自身に与えた覚悟を思い出した。「変わりたい」という決意は、現実を変えてはくれないけれど、目線を下から前にした。



大会が終わって部活を引退すると、受験勉強に追われる毎日がきた。
自習室の仕切りがあるから、髪が短いままで、心のシャッターが心許なくても平気だったけれど、美容室に行く時間も惜しくて、あっという間に安定のロングヘアに戻った。



大学生になって、素の自分を受け入れてくれる人と出会ったことで、髪で壁を作る機会がうんと減った。それでもやっぱり長い髪は落ち着くし、友達がほめてくれるから、基本的にはロングでいたい。

2回目のボブに挑戦したのは、覚悟の象徴でもなんでもなかった。「髪を切りたくて切った」という事実は、少し自分が前に進んだ証なのだ。




社会人になってから、ショートヘアに挑戦したい気持ちが初めて生まれた。けれど、踏ん切りがつかないまま、ミディアムとロングの往復をしている。


高校生より、大学生より、いまの自分がいちばん好きだ。誰彼構わず下ろしていた心のシャッターは、何人かの人の前では開いていて、全開になっている人もいて、その人たちが出入りしてくれているおかげで、わたしは明日も生きていく。

強がりばかりのドッペルゲンガーは登場回数が減って、きっともうすぐ冬眠するだろう。

自分の存在意義は、わたしの行動でも、わたしの髪でも、完璧なわたしでもなかった。強くなろうとするんじゃなくて、弱くてもいいのだと受け入れることが大切なんだと知った。

いつか、ショートヘアにできたら、今よりもずっと、自分を好きになれているんだと思う。でもまだ、もう少し。


髪を数十センチ切ったくらいで、人は変われない。

ただ、「変わりたい」という強い気持ちがそこにあるだけだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?