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僕はこんな人間です。

はじめに。

どうも初めまして、あるいはお久しぶりです。
リョウと申します。

元々は、”いそべちくわ”のHNで陰謀論の記事を書いていましたが、
もっと自分を売りたい!と思い、今までの記事を削除して一からスタートを切りたいと思います!

今後書いていく記事のカテゴリは、なんというか広く浅い記事を書いていくと思うんですよ。
ちょっと人より人生経験が豊富なもので。
その失敗、成功の経験やスキルを共有できればと思っています。

まずは自己紹介。
この記事を観ていただいたあなたは、数少ない運命の出会いと言って過言ではないと思っています。
長くはなりますが、僕を知ってほしいのでぜひ貴重なお時間を僕に下さい。




0歳〜16歳までの僕。


1995年3月に北海道に生まれ落ちた僕。
父はトラックの運転手、母は専業主婦という一般家庭に生まれた僕。
このヤンキー座り少年が2歳の頃の僕です。
当たり前ですがヤンキーでもなく、長男なので親の愛情を独り占めで育てられていました。
この頃は、焼き肉を食べすぎて救急車で運ばれたり、
鼻の穴にパチンコ玉を詰めて病院送りになったりなど、
まあ、少しおバカさんなのかな?という感じですね。

幼稚園から小学校となんの変哲も無い日々を送り、
小学校1年生の時に、弟が生まれました。

その翌年、両親が離婚をしたことで大きく人生が変わることとなります。
母と弟との新しい暮らしが始まってすぐに、人生で一番最初の貧乏経験をすることになりました。

それは遠足のおやつを買えない。ということでした。
子供というのは残酷で、
遠足におやつを持ってこれない友達がいると、ちゃんと言葉にして『貧乏』と伝えてくるんですよね。
今でもはっきり覚えています。
言ってきた奴の顔も、名前もね。

僕の地元は小学校から中学校まで、私立の学校に行く生徒以外は皆同じメンバーだったので、
その時、その瞬間から中学卒業まではいい思い出がないですね。
悲劇自慢みたいになるので割愛します。

そんな僕にもたった2人、貧乏仲間みたいな友達がいて、そいつらはまだ仲良いけどね。

そんなリョウ少年も、高校生になる日が来ました。
いち早く自分で使えるお金が欲しかった僕は、
入学式前にはバイトも初めて、人生で初めて1万円札を手にします。

ここからが僕の人生のしくじりの始まりです。





高校生になった途端に一気に広がった世界観。

1万円を初めて手にしたリョウ少年は、まず一目散に携帯電話を契約しにいきました。
携帯を手にすると、当時はSNSが全然今とは違っていましたが、
周りがやっているからと”前略プロフィール”たるものを初めて、初めていろんな種類の友達が出来始めました。

そうなってくると先立つものは金なんですよね。
今じゃ大問題になりますが、遊び賃を稼ぐために高校生ながら朝方まで居酒屋でバイトをしたりしていました。

そしてそれに付いてきたのが、周りより稼いでいるという優越感。
ブランド物や、109系の高い服を買い漁っては見せびらかすみたいな。

僕は、次第にリア友が居なくなっていきます。

リア友が居なくなったことで僕に湧いてきたものが承認欲求です。
高校生になって初めて湧いてきた感情であり、今となっては本来ならばもっと幼い頃に覚えるはずの感情な気がします。
貧乏が災いしたのか、友達がいなかったのが災いしたのかはわかりませんが、
どこかで何かをしくじっていたんでしょう。

そんな僕が承認欲求を満たす場がありました。
それが”ブログ”でした。
元々、文才はないのですが、僕には買い漁った服があったんです。

毎日、その日のコーディネートをアップするだけで、今で言ういいねがもらえる。
その数が承認欲求を満たしてくれる。

数の暴力で3ヶ月くらいで高校生カテゴリのトップブロガーの仲間入りが出来ました。

案件が入ってきては、こなしてお金を稼ぐ。
今では当たり前の稼ぎ方ですが、当時は異質でした。
周りからは犯罪に手を染めていると思われ、何度も生徒指導室に呼ばれ、、、。

でも、それすらも快感だったんです。
そして僕は、もう自分でお金が稼げる。もう学校から学ぶことはないと、
高校を退学しました。


時間に余裕ができた僕は、さらに稼ぐようになっていきます。
16歳にして最高月収113万円は今でも良い思い出かもしれません。

そんな楽で自由な日々が、ある日急に終わりを告げます。

そう、iPhoneやスマホの発売と
それに付随したSNSの登場です。


要するに、媒体の変化、時代の変化についていく能力が僕にはなかったんですね。


過去にいろんな意味で囚われた魔の年。


お金の使い方も、社会の生き方もわからなく
ただ金だけあった17歳の僕は、ブログで稼げていたときの
過去の栄光に囚われていました。

なんかいい仕事はないだろうか、ネットを徘徊する日々。
アフェリエイトをやってみては結果が出る前に諦め、
詐欺商材に騙され。

このときFacebookに愚痴を書いたら、全く知らない大人から連絡が来ました。
『何もしないでお金が入ってくる仕事があったら、どう?』
と来たわけですね。そりゃ飛びつきました。

いざ出会ってみると、そんなにお金を稼いではいなさそうな人が。

そして紹介されたのがネットワークビジネスです。

当時17歳の僕は、もちろん登録することができません。
幸か不幸か、その話はすぐに流れることになりました。

しかしエラいもので、権利収入だとか、寝てても稼げるだとか、
そんなずっと言葉が頭から離れないんです。
そこで、ネットワークビジネスの仕組みを勉強してみることにしたんですね。

そうするとどうでしょう。あれ?稼げないんじゃない?
と言う事実に気づいてしまった訳です。

でも、魅力的な仕組みでした。
あの魔法のようなトークも完璧に覚えています。

それで思ったんですね。
『ああ、同じ仕組みでなんか出来ねぇかな。』




やっていることはほぼ反社。

そして作り上げたのが、僕の中では大学生ビジネスと呼んでいますが
もっと分かりやすく言うと
『大学の学食を毎日お金を持っている風な格好で食べに行って、
大学生の友達を作り、
ウォーターサーバーやインターネットの契約をしてくれる友達を紹介してくれたら
お小遣いあげるよ〜マージンは抜いてるけどね商法』です。

なんとこれで僕は権利風収入を得ることができました。
もう天狗です。

2年間拡散に拡散を続け、貯金もたくさん作り有頂天です。

富と名声が戻ってきたと思っていた頃、欲を掻いた僕は
コールセンターを立ち上げました。
そう、高校生も囲い込もうとしたんです。

周りの大人たちに協力を得て、コールセンターも立ち上げて。
人生勝ったと思いました。

でもこれが詐欺だったんですね。
大人たちに金だけ取られたような。

20歳の時でした。

そこから、真面目に働こうと決意し、
外資系化粧品会社の下請けで営業の仕事をすることになった僕。

よくも悪くもない営業成績を1年くらい出し続けて、飽きてしまいました。
初めてお金以外のやりがいと言うものに欲が出たんですね。
やっと少し成長でしょうか?

やりがいを求めて入社したのは、不動産会社の立ち上げの仕事でした。
完全無知な状態で始まり、全く結果を出せず、半年も経たずに挫折し、
高校中退から繋いできたモチベーションみたいなものが完全に無くなってしましました。

そして、どうでも良いから適当に働こうと思った時に、天職と出会うことになります。



天職との出会い。


僕が思い描く中で、最も簡単で楽な仕事。
それが水商売でした。

酒飲んでりゃ稼げるんでしょ?
くらいな感覚で。

その感覚は、半年もしたら全く逆の感覚になっていましたが、
お金、やりがい、承認欲求、華やかさ。
僕の求めた全てが詰め込まれている素晴らしい仕事でした。

今度、水商売に関する記事を書きたいと思っているので、あまり多くは書きませんが、
過去の経験がぴったりハマったような感覚でした。

一瞬で3年が経っていて、気づいた時には、1軒店を任されていたんです。
ここで初めて、人に認められて人の上に立ったのです。
今までみたいな、偽りの立場でなく、しっかり結果としてついた立場。

現在違う仕事をしていますが、この経験と、人脈は生きています。
僕の人生で最も価値のあった3年でした。



水商売引退から現在。


遅すぎた更生とありますが、
実は水商売の引退は、全国的に問題になった
”持続化給付金詐欺”にあります。
僕自身もそうですが、当時の会社の幹部全員が関与していて、
もれなく僕も逮捕されました。

騙し取ったお金は返しましたが、返したから良いという訳ではありません。
この事件で印象が下がってしまった水商売という業界がクリーンな印象に戻るよう、
こういった、あまりにも入り口が広い犯罪にこれからの若い世代の子たちが巻き込まれたり、犯罪を起こしてしまわぬよう、

僕は今、OFFICE令和企画という会社を立ち上げ、
僕の手の届く範囲の人を守っていこう。立ち直ろうとしている人を支えようと活動しております。

家族もできましたので、慈善事業とはいかないですが、
これが今の意気込みでございます。

最後に。

長くはなりましたが、ここまで読んで頂きありがとうございます。
今後更新していく記事は、こういう人生を歩んできたという、ちょっと人とは違う視点から、
有益なものを更新していきたいと思いますので、
フォローと応援、よろしくお願いいたします。


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