あえて、イヤホンを外して歩く旅|四国旅行記
平成生まれの自分にとって、移動中に音楽を聴くことは当たり前だった。
初めて手にした携帯音楽プレーヤーは中華製の8GB、名前も覚えていないメーカー。スピーカー内蔵という点に惹かれた。(音楽の思い出は過去、記事にしているので宜しければぜひ)
毎週TSUTAYAに通い、5枚1000円でCDをレンタル。登下校に自転車を漕ぎながら再生する。ELLEGARDENにつられスピードを出し過ぎて事故ったのはいい思い出だ…。
時代は令和に移り、i Pod classicはスマホとSpotifyに置き換わった。だが、外で音楽聴く習慣は何も変わっていない。
andymoriを再生すれば、青臭い土手の匂いがフラッシュバックする。BaseBallBearには渋谷AXの熱気が、POLYSICSは初めてひとりで乗った飛行機が。
どの曲にも情景が付随している。キラキラした青春から、こたつでダラダラした実家の風景まで。音楽には気持ちを揺り動かす強い引力があると思う。
そんなことに、気がついた旅だった。
◇◇◇
前置きが長くなってしまったが、前回の金沢に続き、自分探しの一人旅。
初めて降り立った四国。最初に向かったのは瀬戸大橋公園。ギネスに登録されている巨大な橋は、とにかく大きくて、清々しいくらいに圧倒的だった。これが約40年前に作られたと思うと、ゾッとする。
海の雄大さに惹かれてイヤホンを外したわけではない。
道中のバス。支払いにもたついたから。
お釣りが出ない、新500円玉が使えない仕様で、運転手に怒られた。怯えながら、説明を聞くため、仕方なくイヤホンを外したのだ。
ひとりの旅。出鼻をくじかれ、下をむきトボトボ歩くと、強い潮風が背中を押した。波の音が身体を揺らした。はしゃぐ子供の声が前を向かせた。
この土地だから、聞こえる音がたくさんあった。音によって目の前の情報量が拡張される感覚。グワァっと景色が広角になる。
瀬戸大橋記念公園に着くまでは、寒いとしか感じなかった強風も、悪くない。風の音、葉擦れの音、飛ばされそうな帽子、寒さで赤らんだ鼻。
とても、とても、とても、広く感じた。
イヤホンはカバンの奥にしまい込んだ。終始、その場の“ステキさ”に酔いながら、景色を楽しんだ。
イヤホンは文字通り“耳を塞ぐ”アイテムだ。耳を塞いでしまうのだ。
五感のひとつを、自ら手放すもったいなさに、ようやく気がついた。
◇◇◇
そこから、四国の中央を縦断し、高知県へ。太平洋沿いを愛媛県まで、丸1日かけて電車で回った。
町中でも、耳の豊かさは変わらなかった。
雑踏の中から聞こえてくる馴染みのない方言から、遠い土地に来たこと実感させられた。
木造駅舎から乗り込んだ古き良きディーゼルカーの唸るエンジン音には、郷土の哀愁が充満していた。
車どころか人っこひとり通らないたんぼ道に響く足音で、自分がひとりである事実を否応なく突きつけられた。
相変わらず、この旅はひとりだ。
それは何も変わらない。バスの乗り方も、自動改札がない駅でのお金の払い方も、何一つ分らない。
でも、それでいい。少しだけそう思えた。
それはきっと、あまりにも自然が大きかったから。知らない土地での知らない誰かの豊かな生活を目の当たりにしたから。
「ちっぽけな自分」なんてありきたりな言い回しは好きではないが、自分中心だった考え方の軸が、ちょっとだけ動いた。"自分が社会に"存在しているのではなく、"社会に自分が"存在している。
『鋼の錬金術師』では、「一は全、全は一」という錬金術の概念を主人公が学ぶシーンがある。自分達は世界の大きな流れの一つであり、その一つひとつが集まって世界ができている。
一は自分。全は社会だ。
図らずも、この四国という土地で実感することになった。
実感したからといって、目の前の状況が変わるわけではない。だが、少しだけ心が軽くなったように思う。
その夜、写真が趣味というゲストハウスのオーナーにオススメの写真集を教えてもらった。
そこには過酷な環境の中、力を込め、汗を流し、目に光を宿し働く人たちの姿がありありと写し出されていた。
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