見出し画像

発達性トラウマが生きづらさの正体?トラウマについて勘違いしていた5つのこと

またまた書評記事です📘
今回は『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』という本をご紹介します。

何気なく読み始めたのですが、目からウロコの事実がたくさんでした🥹
特に下記のような症状に悩んでいる方、そして原因がイマイチ分からない方にオススメです。

・過緊張
・過剰適応
・安心感の欠如
・見捨てられ不安
・対人恐怖
・自信のなさが拭えない
・焦燥感が常にある
・自分の感情がわからない

またトラウマとは「死を感じるほどの恐怖や身体・心をひどく傷つけられた特定の大きな出来事」と思っている方は認識が変わると思います🙌

前置き:私のトラウマとの接し方

本題に入る前に、私が本を読む前後でトラウマへの感じ方がどれほど変わったかを実感していただくために、少し自分語りをします。

私にとってのトラウマは、父がある日突然自殺したことだと思っていました。その時の状況を直接目にしたわけではありませんが、事実を知った日の情景は今でも覚えていて、大切な人が突然いなくなる恐怖をふとした時に強く感じます。
夫と連絡がとれなくなったりすると自動的にネガティブな想像が膨らみ、プチパニックになることもあります。

しかし私は「トラウマ」とは戦争や性的被害、虐待など非常にショック性の強い出来事を受けた時に負うものだと考えていました。なので、私の経験が本当にトラウマと呼ぶべきことのほどなのか?という疑問がずっとありました。

父の死の前後、家庭はとても不安定でしたが母親に罵られたり手を挙げられたことはなかったので「普通の家庭に育った私がトラウマがあるなんて、おこがましい」とも、どこかで思っていました。

父の死に関する記憶に対して私は心理カウンセリングや催眠療法などでアプローチもしてきましたが、結局のところ「過去は変えられない」ということや「記憶の改竄」もあるだろうということ、何より原因探しの不毛さに疲れてしまって、あまり記憶に触れないようになっていきました。

ここからは、私がしていた5つの勘違いと本で得た知識を対比させてみましょう。

【1】トラウマの原因は「特定の劇的な出来事によって起こる」という勘違い

トラウマという言葉は一般的に「私にはトラウマがあってね…」といった文脈で使われることが多く、この文脈だと「トラウマ=特定の出来事」と捉えられることがあります。

しかし本書では、トラウマは特定の出来事ではなく「トラウマとはストレス障害である」と定義づけられています。

さらに診断名としては以下の2つに分類されます。

1. PTSD
2. 複雑性PTSD

PTSDは、基本的に一回または比較的短期間の「危うく死ぬ、重症を負う、性的暴力を受ける出来事」への直接的、間接的な体験が対象とされ、「再体験(フラッシュバック、悪夢など)」「回避(トラウマとなった思考、感情、事物や状況を避ける)」「脅威の感覚(過度の警戒心)」の3症状で定義されます。

みきいちたろう 発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体 (ディスカヴァー携書)  2023
(※kindle版は設定により頁数が変わってしまうため、ページ数を割愛しております)
以下、同書籍からの引用は省略しております。

PTSDはよく想像される「特定の出来事」によって起こる症状です。一方、複雑性PTSDはこのように定義されています。

「複雑性PTSD」とは、長期に反復される慢性的なトラウマによる症状を指します。繰り返し強いストレスにさらされることで心身に不調をきたすことをいいます。
PTSDの3症状(「再体験」「回避」「脅威の感覚」)に加えて、3症状に(「感情調整の障害」「否定的な自己概念(無価値感)」「対人関係の障害」)がある場合に診断されます。(※)

※「診断には症状だけでなく、生育歴などを聴取する必要がある」との記載あり

本書のタイトルでもある「発達性トラウマ」は、幼少期に経験したトラウマを指します。
発達性トラウマによる症状がでた場合「複雑性PTSD」か「発達性トラウマ障害」として見立てられるようです。(※後者は診断基準案であり、正式な診断名ではない)

また、複雑性PTSDは成人期になってからも、いじめや職場でのパワーハラスメントなどの「持続的なハラスメント」や「心理的支配」によって引き起こされることもあるようです。

【2】慢性的ストレスとは「虐待などの強いストレスのみである」という勘違い

発達性トラウマの原因となる慢性的なストレスは虐待などの強いストレス以外にも家庭内喧嘩などの、ごく日常的なストレスも当てはまります。

中でも私が意外だったのは「家庭内での秘密の共有」が慢性的ストレスになりえるということ。

人間が自分の嘘や秘密を持つことは自己の形成に寄与しますが、家族などの他者の秘密(≒ファミリー・シークレット)を抱えさせられることは深いダメージとなります。

前項で見た汚言を聞き続けるのも、家族の秘密を抱えるのと同様の構造があります。家族が自分で処理できない汚物を家族に抱えさせることによって自分の不全感を和らげようとしているのです。

トラウマでは、そんな不全感の連鎖が生じています。ヴァン・デア・コークは「トラウマの場合も、沈黙は死─魂の死─に結びつく。沈黙はトラウマがもたらす救いようのない孤立を深める」「人は秘密を守って情報を伏せておく限り、基本的に自分自身と闘っている状態にある。自分の核心にある感情を隠すためには膨大なエネルギーが必要なので、やり甲斐のある目標を追い求めるためのモチベーションが奪われ、辟易として、機能停止に陥ったままになる」(『身体はトラウマを記録する』)としています。

自分が他者の秘密、他者の闇を抱えさせられている、と知ることも解決のためにとても大切です。

さらに、同じ出来事を経験しても、その人が「ストレスをどれだけ感じるか、あるいは感じないか」にはいくつかの変数が影響を及ぼします。書籍では、以下の4つの変数が紹介されています。

・予測可能か
・コントロールできるか
・感情を出せるか
・ソーシャルサポートがあるか

私は上記4つに加えて、その人の感受性や気質もあるのかな〜と思いました。

こうしてみると、たとえ他人にとっては些細なことだとしても長期間にわたって続き、予測やコントロールができず、感情を発散する場がなく、ソーシャルサポートも得られず孤立する状況が続くと、複雑性PTSDの原因となりえるということです。

また生体は「短期間のストレス」へ適応することを想定しており、「長期間のストレス」には脆弱であるとされています。

【3】トラウマによって引き起こされる症状は「フラッシュバックのような急性的かつ激しいものだけである」という勘違い

トラウマによる症状は、必ずしもフラッシュバックのような急性的かつ激しいものに限られるわけではありません。無価値観・感情の欠如・対人関係の障害・発達障害のような症状も含まれます。

私にとっては筆者の『なにより、トラウマの核心とは「自己の喪失(主体が奪われる、失われうること)」です』という言葉に震えました。

本書では発達性トラウマによって引き起こされるさまざまな症状が書かれていますが、症状の根本が「自己の感覚の喪失」から生まれると思うと納得がいきました。

私自身に照らし合わせると、何事にも過剰に恐怖感が強かったり、人との境界が曖昧だったり、時間の感覚の主権がないといったところが強くあてはまると感じました。

【4】トラウマとは「こころの傷である」という勘違い

実際には持続するストレスにより、脳や神経系への変化が見られます。
受けるストレスの種類によって変化する脳の部位も変わるようで、とても驚きました。

本書で紹介されている『ポリヴェーガル理論』というアプローチは、自律神経系に及ぼすトラウマの影響を説明しています。
人間はストレスや危険を感じると、自律神経系の3つの段階を順番に使って対処します。

第1段階:社会的な関わりと交渉による解決(安全感が高い状態)
第2段階:逃げるか戦うか(興奮・ストレス反応)
第3段階:硬直状態(自己防衛反応)

トラウマ状態では世界が安全・安心と思えず、常に恐怖や緊張から「2.逃げるか戦うか」や「3.硬直」といった、本来は動物が危機に対処するための神経が働きやすくなるようです。

今話題のビックモーター社でのパワハラニュースを見た時に「なぜこの社員さんは会社をやめられなかったのだろう?」と思ってしまいましたが、このポリヴェーガル理論を知り、その疑問がとけました。

持続的な強いストレスを受けると、最後の段階「硬直する(死んだふりをする)」ような状態となってしまい、動けなくなってしまう。これが本人の意志とは無関係に自己防衛反応として働いてしまうのだ、と理解できました。

【5】「催眠療法などで辛い記憶を消すことでトラウマの克服はできる」という勘違い

本書では克服の仕方は次のように紹介されています。

環境の調整 → 身体(自律神経など)の回復 → 自己の再建 → 記憶・経験の処理 → 他者(社会)とのつながりの回復

※注:実際には順番が前後しながら螺旋のように進んでいく

私がメンタルの回復をしてきた過去を振り返ると、順番や項目があてはまってるなーと思えました。
本書ではそれぞれのステップについて詳しく解説されているので、ぜひ読んで頂きたいです。

特に筆者は自己の喪失状態から自己の再建を目指すことが大切と述べています。

トラウマの回復に際して自己の再建へのアプローチは症状がある程度収まってからではなくて、最初の段階から必要です。
自己の再建を念頭に置いて心理療法などの取り組みを行う場合と、そうでない場合を比べてみると効果の違いが顕著です。

自己の再建を果たす上でとても大切なのは、ニセの責任、ニセの役割に気づくということです。

自己の再建への具体的な方法は他にも
・一人称で考え、感じる
・記憶を解釈して、収め直す
・内在化した他者の声や偽の責任、役割に自覚的になること
などが紹介されています。

どれも派手なことではありませんが、症状が出ている人からするとすごく難しいことでもあります。

こういった内的処理を地道にやっていくことが克服への一歩だと改めて勇気づけられました。

現代を生きる人はみんな複雑性PTSD?

さて、ここまで5つの勘違いを見てきました。
みなさんも勘違いはありましたでしょうか。

『勘違い3』ではトラウマから起こる症状をかいつまんでご紹介しましたが、これに限らず本書では様々な症状が紹介されています。

引用元:https://president.jp/articles/-/67727?page=3 より

正直、これらの症状を読んだ時に「これって現代を生きる人なら、みんな1つくらいはあてはまるよなぁ」って思っちゃったんです。

夫にもどう思う?って聞いたら「うん、まあ確かに僕の中にもあるね」と言っていました。(※夫は幼少期に特徴的で慢性的なストレスはないと答えている)
少しモヤモヤしたので、こう捉えてみました。

  1. 現代人はなんらかの慢性的ストレスにさらされている

  2. 本書での複雑性PTSDの定義が広すぎる

🤔{・・・どっちもありそう

1.現代人はなんらかの慢性的ストレスにさらされている

現代はVUCA(ブーカ)時代と言われて久しいです。
Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)はストレス変数の「予測不可」「コントロール不可」まさにそのままで、環境としてデフォルトで備わってしまっています。

前回のnoteでも書いたように、資本主義をとりまく「成長しなければ」といった空気も慢性的なストレスに繋がっていると思います。

母親にも「若い頃と今ってどっちが生きづらさ感じる?」と聞いたら「とにかく情報量が多くて、知りたくないことまで知ってしまうから今の方がつらい」と言っていました。

情報が多いことで予測できることも増えましたが、結局のところ自然災害・病気・社会情勢などに対しては人間が予測できる範囲は限られています。

日常を振り返ると「知らなければ心配をしないで済んだこともいっぱいあるな〜!」と思います。
今という時代は、誰しもが慢性的なストレスにさらされやすい環境なのだと感じます。

2.書籍内での複雑性PTSDの定義が広すぎる

2021年に眞子さまが「複雑性PTSD」と診断されましたが、この診断については精神科医の中でも議論があるようです。
こんな記事を見つけました。
(この記事は書籍とは別の方です)

記事の主張として、このように書いてあります。

複雑性PTSDとは虐待のような悲惨な体験を長期間受け続けた人に生じる心の病であり、治療も大変困難なものとされているからだ。
(中略)
長期間・反復的に、著しい脅威や恐怖をもたらす出来事の例としては、「反復的な小児期の性的虐待・身体的虐待」のほか、「拷問」「奴隷」「集団虐殺」が挙げられている。けっして悪口レベルの外傷的体験などではない。

これに対して秋山医師は、「複雑性PTSDは言葉の暴力、インターネット上の攻撃、いじめ、ハラスメントでも起こる」と拡大解釈をしたわけだ。

https://president.jp/articles/-/50716

そして、こう批判するには理由があるようで、その理由についてはこう述べています。

むしろ今回、国民に誤解を与え、現実に複雑性PTSDの症状に苦しむ虐待サバイバー(※児童虐待を受けたあと、生き残り、心の病に苦しんでいる人たち。)に脅威を与えるおそれがあるのは、秋山医師が発した「(小室圭さんとの)結婚について周囲から温かい見守りがあれば、健康の回復が速やかに進むとみられる」という言葉だ。
(中略)
「虐待を受けた子供たちは大人になり複雑性PTSDに苦しむわけだが、親元を離れ、虐待を受けなくなったり、多少周囲が温かくしてくれたりしところで、そう簡単に治るものではない。

https://president.jp/articles/-/50716

『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』の書籍でも、「複雑性PTSDの公式な診断基準は、死に瀕するような、あるいはかなり劇的な体験をトラウマの基準としています。」と書かれています。

それでも著者が「死に関わるようなものだけでなく、様々な慢性的ストレスが複雑性PTSDの原因となりえる」と書籍全体を通して主張されているのは、実際の臨床経験から「既存の複雑性PTSDの判断基準」では多くの方がうまく治療に結びついていない現実があるのではないか、と想像します。

トラウマという概念が、ただいたずらに拡大解釈され適用されていく、ということを意味しません。そうではなく、様々な研究から明らかになったことを受けて、私たちが人間らしく生きるための要件とは何か、そしてそれを破壊するものとは何かを捉え直す時代が来た、ということではないかと思います。

みきいちたろう. 発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体 (ディスカヴァー携書)

実際の臨床の現場では診断基準がどのようになっているかという点においては、この方のnoteがとても分かりやすかったです🙏

私としては
・PTSD
・複雑性PTSD
・発達性トラウマ障害

と正式な判断もわけた方がしっくりきますが、このあたりは専門的かつ様々な事情がありそうなのでこのへんで。

私は診断を受ける側として、自分自身の生きづらさと向き合う時には「あまり判断名に固執しなくても良いのでは」とも思っています。

もちろん診断名によって処方薬が変わったりするのでとっても大切ではありますが、お医者さんだって人間なので心がレントゲンのように見えるわけではないですし、個人の感じ方や過去の出来事をすべて把握できるわけでもありません。

そういったことも考慮すると診断名に固執しすぎるのもあまり良くないのかなぁと経験上、思っています。

大切なのは、発達性トラウマという文脈に沿って過去と自分の症状、実感としてのしんどさを眺めた時に、どれだけ自分の痛みや傷に自覚的になり、優しく認めていけるかということかなと思っています。
(もちろん症状として辛すぎる時は専門家とともに。)

「トラウマ」じゃないから、昔のことだからケアしなくて良い。と冒頭で私は思っていましたが、本を読んでみて「幼少期に体験したストレスを感じるできごと」を挙げてみました。

父の自殺から始まるお金の心配、借金取りの脅しによる恐怖、近しい人からのセクハラ、家庭で起きていることは外には言えない状況などが立て続けにありました。

それまで出来事という「点」で考えて混乱していたことが「持続するストレス」という視点から眺めると、とってもスッキリしたのです。

大人になった私から見ると「いやー小学生がこの出来事が連続してたらシンプルにしんどいやん!」と思えました。
しんどかった辛かったなぁって心から思えた感じです。
幼少期の自分を大人の自分が癒やしてあげられる感覚になりました。

「母親にこうしてほしかった」という幼少期の自分も、それでも母が大好きな自分も、大人になったからこそ分かる「母親があの時どんなに大変でギリギリだったか」という事実も、母親も私もお互いに100%の母娘を求めてすぎていたのだなということ思いも、すべて同時に存在して良いのだと思えました。

ーーーー

だーいぶ長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。
本書は同じような悩みを抱えている方に本当に読んで頂きたい1冊です。
著者の愛情もとっても感じられました☺️

▼こちらの記事でも書籍内の抜粋が読めますのでぜひ。
https://president.jp/category/c04512

▼書籍もKindleUnlimitedで読めます


サポート頂いたら嬉しくてエクストリーム土下座します!!