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【小説】透過

ピースの足りないパズルのような街で育った。マンションの柵に両手をかけて思い切り身を乗り出す。母の荒げた声が遠い。自分の体重を支えながら、見下ろした街の光景はいつも少し揺れているような気がした。きっと頭まで十分に血が回っていなかったのだろう。駅の向こう側、大きな通りに面して見える小学校は、上から見るとL字型の校舎の空白部分に、校庭と駐車場がぴたりとはまり込んでいて、小さくまとまって見えた。それは近隣の住宅一つ一つと比べれば確かに広大な敷地だったが、駅前に聳え立つ縦長の商業施設やひっきりなしに聞こえる車や電車の騒音、昼間でもくらくらするような色合いで掲げられた巨大な看板、それらの存在が私の量感を狂わせていた。なにより街の光景はいつも少し揺れているようで、カメラのピントを合わせるように一点を見るので精いっぱいだった。

初めての授業参観の後、都内の学校は窮屈ねえ、と母親が知らない女と話し込んでいたのを覚えている。親たちにとっては、小学校の構造について不満を溢し合うことは挨拶の代わりだった。家に帰った後で、あの人はかっちゃんのお母さんよ、と伝えられた。私の学校の生徒が大半を占めるサッカー少年団に所属しているクラスの人気者で、私は海斗君とは話したこともなかった。

 朝方は空き缶やたばこの吸い殻があちこちに転がっていたはずの駅前は、下校時間にはそれらがほとんど全部なくなっていた。なるべく駅前には近寄るな、と母親は言っていたけれど、幼かった私にはそのことがすごく不思議で、謎の真相を突き止めるために、私は人混みに紛れて少し遠回りをして登下校を繰り返した。ある日の朝、薄汚れた緑色の帽子と作業服を着たおじさんがカートを押しながらごみを拾っているのを見た。幼稚園にあったお散歩用のカートみたいな懐かしさ(実際にはそれを使うことはほとんどなく、左手は先生、右手は他の子どもとつないでの散歩だった)と、混雑の中で、高齢者用手押し車を押している老人を目の前にしたときのような嫌悪感を同時に覚えさせるその姿。おじさんは駅舎周辺のごみを粗方拾うと横断歩道を渡って広場へと移動する。私にとっての広場はコンクリートだ。中学三年のとき、駅前を中心とした緑化が街づくりにおけるブームになっていることをニュースか何かで知ったけれど、私にとっての広場はタバコと飛ばない鳩と緑のおじさんと銀色だ。おじさんはカートの右半身だけを白いペイントに重ねて、横断歩道の左端をのろのろと渡った。信号が変わってすぐに私は人混みにのまれ、身動きがとりづらくなったが、重なるスーツの隙間からおじさんの緑を見続けていた。

 混雑の中で、私とおじさんの間を掠めたサラリーマンが、小鳥の鳴き声みたいな舌打ちしたのがわかった。ランドセルの脇に引っ掛けていた道具袋が歩く反動で跳ねてサラリーマンにあたったのだ。信号機から流れる退屈なサウンドと無数の足音の中にあっても、その音は鮮明に、私に向けられたものであることが、直感的にわかった。私は咄嗟に左手で道具袋を強く抑えた。恐怖はなかった。正確に言えば、怖いだとか、悪いことをしたとか、当時の私が思いつける感情に出来事を分類するよりも先に体が震え、しばらくはそれ以上の余裕がなかった。ただ、左手で抑えた薄い巾着袋に入っている工作用ハサミの先端に、手のひらに食い込ませ、力の限り握りしめた。



 高校に入ると、私は写真部に所属した。アルバイトのできない高校だったから部員の多くは学校の所有している型の古いCanonのコンパクトカメラを首から下げて活動している。

彼女たちのとる写真は稚拙で貧しく、貧弱だ。体験入部期間のとき、部室を兼ねた空き教室に飾られたそれらを見て、私はすぐにそう思った。生活の隅にどれだけの自己を隠せるか、彼女たちのしているのはそんな無意味な競争に思えた。

家族で外食をしていた時、飲食業で働く父が酒を飲みながら食品廃棄物の対策について熱心に話していたことがある。これからの時代を生き残るには味や値段だけではなくCSRの広報が重要になるという話だった。母は横文字の意味がよくわかっていなかったようだし、知る必要もないとわかっていた。私は会話から外れてオレンジソーダを啜りながら携帯をいじっていた。そろそろ行くかと父が席を立った時、まだコロッケやサラダや煮込み料理が卓には残されていた。私はそれらが全部なくなるまで店にいるものだと思っていたが、結局何も言わずに父に従った。彼女たちのとる写真は、それと似たような落差という絶望感を私に与えるようだった。

梅雨入りが発表された五月の終わり頃、一度だけ、「人気のない放課後の昇降口を撮った写真」に対して感想を言ったことがある。後にも先にも、私が写真部の作品に対して感想を伝えたのはこのときだけだ。既に写真部での居場所を失いかけていた私は、きっと当時の私はそのことを否定するだろうけれど、ストレスを抱えていた。伝わりっこないことは承知の上で、それでも助けを求めるような気持ちで、伝えようとした。薄めて、薄めて、薄めた言葉を何回もシュミレーションした。


「この写真、中間の現代文七〇点だった私でも言葉で表せそう」

「それって褒めてるの?」

写真を撮った女が一瞬だけ不思議そうな顔をして、その後でクスリと笑いながら言った。小動物のような愛らしさのある子だった。

「褒めてないよ、もっと好きな写真を撮るべきだって言ってるの」

「え……?」

彼女は薄いブラウンの目元をパチパチさせている。

「あなたが好きなのはこんなんじゃない、あなたのこと詳しく知ってるわけじゃないけど、それだけは言える。先輩とか、他の写真部の子はあなたの写真見て、なんかいいね、っていうのかもしれないけど、私はそうは思わないし、私が正しいと思う。」

繰り返した会話の想定は簡単に崩れて、代わりに私の熱が加わっていく。

「何かいいねの何かがわかってないのに、こんな写真に逃げちゃだめだよ。もっと映したいものが、伝えたいことがあるでしょう? そりゃすぐに撮れるようになれば苦労しないけど、それを模索しながら試行錯誤するのが写真じゃないの? もしもインスタントな、なんかいいねが評価される時代があったとして、それに慣れちゃってるんだとしても、そんな時代はもう終わってる、うちの写真部だけでも飽和状態だもん。こんな写真にいいねを付ける人みんなそう。これからの私たちがすべきなのは、うーん、なんていうんだろう、そのカウンター? だと思うの。

ねえ、ビニール傘を通すみたいに周りを見てちゃだめだよ。ビニール傘は雨しか知らないでしょ? 自分を透明だと思い込んでいるでしょう? そのうちに先端から水が溜まって錆びていって、知らないうちに捨てられるか、気が付いたら持ち主が変わってるの。私だってカメラも写真も詳しくないし、知らないことばかりだけど、私はそれが悔しくてたまらない、でもそうあるべきでしょ。あなたはひどく受け身だし、こんな写真はとっても退屈だよ」


「でも私カメラはじめたばっかで詳しいことまだよく知らないし……。っていうか初めて話したね。すごい、いろんな事考えてるんだね、びっくりしちゃった」

 彼女はそれ以上のことを言わなかった。私が話している間、彼女は次第にロートーンの教室にゆっくり同化していくようだった。途中から私は誰に向かって声を荒げているのかわからないような気分だった。彼女は初めから説教を受ける立場を許容しているようで、私に対して怒りも小さな苛立ちでさえも感じていなかった。彼女に話している間、私の心のどこか、だんだん気持ちがよくなっていく感覚があった、それが聞く側の態度の何よりの証明だ。でも、これは彼女に限ったことではない、この高校にいる人達はほとんどそんな奴らだ、戦わないくせに悲鳴だけ上げているような奴らだ。いや、戦意もなければ、悲鳴をあげ得る現状にすら気付いていない。だからこんなこじんまりとした写真になる。小さな枠の中の発表会で満足する。

その日の帰り道、外はまだ弱い雨が降っていた。帰路につく私は、自分までもが灰色の空と同化していくような心細さと、抜けきっていない体の熱からくる高揚感で少しふらついた。私がこの空に同化するとしたら、灰色になるのだろうか、それとも透明になるのだろうか、そんなことを考えながら、生まれた街よりもずっと閑静な住宅街を縫って駅へと向った。生まれた街へと帰るためだ。

私は写真部を六月に辞めた。母親にカメラを買って貰ったからだ。部活の子はほとんどみんな自分のカメラを持っていて、学校のカメラも数台しかないので使える日が限られてしまうのだと嘘ついて母を説得した。本当は、写真部に入ったのもこの言い訳をするための前準備で、ほぼ自由参加の写真部は、梅雨の季節で活動人数も減っている時期だったので、フェードアウトするのも容易だった。

梅雨明けの予想が報じられるようになってきた六月の終わりの朝。リュックサックに入るPENTAX K-70の重さや扱いにも慣れはじめていた。学校で写真を撮ることはほとんどなかったけれど、放課後ふとした時に写真を撮りにどこかへ行きたくなる時があったから、リュックには常に入れておくことにしている。代わりに教科書を学校のロッカーに入れておけば負担はあまり変わらなかった。外は相変わらず緩い雨が降っていて、薄めたアイスコーヒーみたいな匂いがした。

駅のホームに立ち、数分もしないうちに電車がやってくる。ドアが開くと、人々の熱と呼吸で蒸されたような車内から一斉に人が溢れ出てくる。どの人もひどくいら立っているのがわかった。私が一日のうちで一番安堵するのがこの時で、人々が去った地下鉄の車内は雨と汗と香水の入り混じる嫌な匂いがしたけれど、空いていて気分が良かった。たった一駅のこの時間、一曲を選んで再生するのが楽しみだった。

駅を出て、大通りをしばらく歩き、路地に入る。路地は通りに面したスーパーの奥にあるので目印にしているのだが、登校時はまだ開店しておらず活気がないのでうっかり通り過ぎてしまうことがあった。私の通う高校の周辺はわかりやすい地形で、駅から西に歩いていれば、いずれは神田川の支流、妙正寺川に当たる。いつでも軌道修正できるという心の余裕、それもまた路地を見逃す一因であったかもしれない。今日は、時間があったのでスーパーの少し手前にあるコンビニの脇から路地に入った。どこを曲がればいつもの道と合流するのかは何となく見当がついたのであまりワクワクはしなかったが、紫陽花の咲く家を見つけた。こうした発見が楽しいのだった。

西に向かって歩けば、そのうち小さな川へとたどり着く。原則に従って適当に歩いていたら、やはりいつも川を渡るのに通る新杢橋へと出た。幅が二、三メートルしかない、小さな川にお似合いな、小さな橋だ。新杢橋は工事中だった。そういえば先週あたりから工事期間を知らせる看板が橋の脇に立てかけてあったっけ。いつか写真部の先生が、東京の道や橋は経済成長期に作られたものが多くて、それから半世紀たった最近では修繕や点検が必要な道路が増えているんだよ、と言っていたのを思い出した。この橋もそうなのだろうか。人が一人通るだけのスペースは確保されていたけれど、ちょうど向こうから女性が渡ろうと歩いてきていたので、私は足を止めずに、少し先に見える隣の橋まで歩くことにした。

雨が降る梅雨の時期だったけれど、この日の妙正寺川はあまり増水もしていない。川底に張り付いた水草がゆらゆらとなびいているの見える。二匹の鴨が弱雨の中でぷかぷかと浮かんでいる。あの子たちが好みそうな画だな、なんて思いながら少し歩けば、すぐにさっきとよく似た橋へと着いた。普段使わない橋なので名前を忘れていたけれど、美仲橋と書かれたプレートが橋の入り口にはめ込んであった。

川の流れを眺めながら橋を渡っていた。

短い橋を渡り切るその少しだけ手前、傘の縁からコツっと小さな感触が伝わった。優しい感触だった。

反射的に振り返ると、私よりも少し背の高い女子高生の横顔が映った。私の着ているありがちな色合いのブレザーと違って、全体的にシックでありながら、臙脂色のスカーフが特徴的なセーラー服を身に着けていた。長い髪は根元から毛先までが真っすぐで青い。彼女の青は太陽の光のようだ。赤やオレンジ、緑や紫色の光を吸収して残った海の色みたいだ。きっともっと近くで見れば透き通るような水の色なのだろう。マスクをしていない彼女の横顔は、灰色の空も、薄汚れた街も、全部彼女の魅力を引き立てる背景としてあるように思えた。三回くらい折っているだろうか、短いスカートから覗く太腿は砂浜みたいに白くさらりとしていて、傘から滴る水滴を弾いた。くるぶし丈のソックスがその美しい脚を際立たせている。

私は彼女の後姿をしばらくの間ボヤっと見つめ、彼女が路地を曲がって見えなくなると、今度は自分が恥ずかしくなってすぐにマスクを外した。もう、自分で決められる時代になっていたはずなのに。

八時十二分。私は急いで彼女が橋を渡った時間を携帯で確認した。

いつか、彼女の写真を撮りたいと思った。

次に彼女と会ったときは、わざと傘を今日よりも強めにぶつけるのだ。お互いの傘が振動して跳ねた水は私の持つ熱を含んで彼女の太腿に滴り、熱い水滴は、今度は彼女を私の方へと振り向かせるだろう。そして私は謝りつつ、彼女をどこかのカフェに誘う。彼女はきっと付いてきてくれるはずだ。

場所も構図も服装も何でもいい。全てを背景にした彼女のポートレートは、シャッターを切るたびに先程の優しい感触を私に与えるだろう。

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