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Iくん

中学生の時に衝撃を受けた文章があって、それはIくんの文章だった。論文かなにかそれらしきものを書かなくてはいけない課題に対して、文脈が広がるだけの物語が書いてあるIくんのそれは、要するに無茶苦茶なものであった。出題者の問いは完全に無視、全く答えになっていない。勝手気ままに自由な創作物語が書かれている。脈絡も何もないし脱線しまくっている。しかし伸び伸びと書かれたフリーダム過ぎる作り話に、私は衝撃を受けた。詳細はおろか内容すら忘れてしまった。覚えているのは、早速真似したこと。つまらない格子状の解答用紙に、拡がる宇宙について脈絡なく書いてみた。面白い。ふざけて書くって面白いなと思った。このまま提出してみようかなと一瞬思ったが、大人しくいつものように「それっぽい」論文を書くために文字数だけを埋めた。

Iくんの文章は当然のように良い評価ではなかった。むしろ「こんなことを書いている奴がいる」と掲示物として晒されていたので、クラスが違う私もたまたま目にしたのだと思う。Iくんはぼんやりした風変わりな子で、どことなくグニャグニャした雰囲気を纏っていた。目立つ方ではなかったが、可愛がられるトクなキャラで、同じ部活だった女の子が「Iくんは今日ね〜」と「今日のIくん」情報を報告していた。数学が得意で、得意すぎて高校レベルの問題を解いて教師を驚かせたこともあったらしい。「なぜわかったの?」と尋ねられたIくんは「答えが紙に浮かんで見える」と言ったという。数学が壊滅的に苦手だった私は羨ましくて仕方なかった。そんな解答法、聞いたことがない。

受験生になり、市内の図書館で勉強する機会が増えた。大抵は読書に逃げていたけれど。校外で知り合いに会うのが苦手な私はあまり長居しなかった。勉強はそもそも嫌いだ。閉館時間前にそそくさと帰ろうとしたら、閲覧用のソファに座っているIくんがいた。宙を見てニコニコしている。Iくんも図書館に来るのか、と意外に思った。何もせずただソファに座って静かに笑っている様子は、Iくん自身の物語から出てきた登場人物のようだった。相変わらずIくんの周りだけ空気がグニャグニャしている。本を読んでいる様子も全くない。近づいたらそのグニャグニャに呑まれそうだ。過ぎていく時間すらIくんのペースに合わせているように見える。元来穏やかな表情だから余計に楽しそうに見える。一体何を見ているのだろう。数字のおびただしい羅列が見えているのかもしれないし、宇宙の景色が見えているのかもしれない。

Iくん独自の作り話に魅力を感じたのは、今思うと本当に一瞬の出来事だった。卒業後、Iくんがどうなったか、今何をしているかは、わからない。学校内の掲示板には通常、優秀な作品等が貼り出される。しかし私はその頃から王道ではないものに魅了されていたのだと思う。最初から収拾するつもりなどない、拡大するのみの物語。今思うとIくんは物語を作る気などさらさらなく、文字数をなんとか埋める作業をしただけで、あの作り話はその結果なのかもしれない。出された課題に一切触れずに独自路線を進んでいく感じも、計算なのか天然なのかやりたくないことはやらない正直さからきているのか、今となっては全くわからない。

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