見出し画像

勧誘の子

ドキュメンタリー映画ばかり見ていた時期があった。映画は長時間集中しなくてはいけないので気合いが要る。たくさんは観られない。だけどドキュメンタリー映画だけは積極的に観に行っていた。何がそんなに好きなのだろう。知りたいこと、知らなかったことが少しでもわかるからだろうか。上映後は時間があっという間に過ぎる。監督が抉りたい問題、登場人物のリアルな表情がストレートに映し出されるから好きなのかもしれない。

運良くトークショーに行けた日は、終電で帰ることもあった。その日はお目当ての映画を観終わって、すぐに帰る気分になれずファーストフード店に寄った気がする。たった今映画で観たことも現実だけれど、内容によっては自分の現実に戻る時間が少し要る。狭い店内は暖かいが、外は寒く、確か冬だった。前の座席で「ここは〇〇したいんです」と、ミュージシャンらしき女の子が打ち合わせだろうか、熱く語っている。都会は色々な人がいるので紛れることができ、居心地が良い。この辺りに住んだら楽しそう、などと到底叶わないことを夢想しながら、黄色い灯りの下でぼんやりしていた。

「すみません、音楽、好きですか」と片言で声をかけられたのは、駅に向かう途中だった。長身でこざっぱりした人の良さそうな女性。同じくらいの年齢かなと思った。「はあ」と適当に返すと、CDを渡された。「教会でコンサートをやっています。良かったら来ませんか」と言われた。クリスマスシーズンだったか。いつもだったらそのまま無視をする。でも、その時はなんとなく彼女が気になった。「日本語上手ですね」とか、うっかり口が滑ったのだろうか。良く覚えていないが、有名大学に通う留学生であること、話せる友人がいないこと、教会は人がいるから楽しいこと、そこまではわかった。大学でうまくやれているのだろうか。自分のことは棚に上げて、1人で浮いている彼女が目に浮かび少し暗い気持ちになった。その言葉は本当なのだろう。宗教の勧誘には違いないだろうが、同情を誘っているようには見えない。3分も経っていなかったが、随分あけすけに話してくれた。私は「教会にはやっぱり行けない」と言った。彼女は俯いて手帳を取り出し「せめて名前を教えてください」と言った。宗教の勧誘で?それとも友人になりたくて?後者だったら私はいくらでも教える。でも、絶対に違うのだろうな。曖昧に笑って首を横に振ると、彼女も困ったように笑い、それ以上何も要求することはなかった。虚しさが押し寄せた。さっきまで普通に色々、話していたじゃないか。どうしてこんな虚しいことをしているのだ。彼女の寂しさがこちらまで浸透してくるようだった。そして不快感が少し。

「CD、返しますね」と言って何が入っているのかわからない新品のCDを突き返した。彼女は一瞬間を置いて、「あげます」と言った。そのまま別れた。私はついにそのCDの音楽を聴くことはなく、処分したか売ったのかもよく覚えていない。彼女は元気なのだろうか。寂しさへの折り合いとして新興宗教に入っていようがいまいが、どちらでも良いのだけれど。久しぶりにドキュメンタリー映画を見たいな、と思ったらふと思い出した出来事。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?