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味方

明日から職場に行くのが嫌で嫌で仕方ない。ノートに罵詈雑言を書き殴らなくてはおさまらない。この状態は、キャパのない頭にどんどんどんどん怒りが溜まり無秩序のまま混乱している状態。明確な理由がわかっているからこそ辛い。気持ちが晴れない。夕方頃から遠出してショッピングモールに向かう。空いてきたコーヒーショップに入り、本を読む。気持ちが落ち着いてきたら罵詈雑言を書く殴る。書いたり記すことは、美辞麗句であろうが汚い言葉であろうが吐き出し行為に変わらない。形としてどうであれ思考のおしゃべりがひとまずおさまりスッキリすれば良い。結論として「何があっても私は私でいる、予防・対策できることはすべて尽力した。無力で悔しいけれど。あとは神のみぞ知る。私は最後まで私の味方であり絶対に責めない。荷物がたくさん入る機能的なカバンが欲しい。」であった。ショッピングモールは頭が混乱状態で行くとさらに混乱するので(あと浪費する)ある程度気持ちをスッキリさせてから店内を見回す。
そういえば商品ではなく、私を安心させたものがあった。

①道端でチャリに乗りながら歌を歌うおっさん
気持ちがわかる。だって今日は気候的に最高だったし。視線が遠い状態のまま歌っているのも良かった。鼻歌を歌うのは広まって(というか変な目で見られず許容されて)欲しい文化だと思う。ちなみに私はイヤホンを着用しながらスマホで会話してる人が近くにいると、未だにそこに人がいないのに会話しているというか、不在者と会話しているように見えてしまい慣れずにいる。ビビる。鼻歌ならそこまで驚かない、歌だとわかるから。当然だがこれは個人差があると思う。

②女装している人
体つきとメイクで男性だとわかった。家族連れで賑わう店内を自然に歩いていて感動した。その人が一番しっくりくる格好なのかもしれない。オフィスで真面目に勤務している姿が見えるような気がした。随分前、10年くらい前に、テレビで女性の下着をつけると安心するという男性が紹介されていた。ちなみに妻子あり。スタジオの空気は凍っていた。でもそんなに異様なことではない気がする。私はどちらかというと下着をつける理由が正直よくわからない。そんなに身体を締め付ける必要があるのかと思う。真反対の志向だが、性差で下着をつける/つけないが決まってるのはよくよく考えると奇妙。一時期、ボクサーパンツが女性の間で流行したが選択肢が増えるのは良い傾向だと思う。下着に限らず身体に纏う衣服は奥深い世界だ。本当にオシャレな人や独自路線で衣服のデザインをしている人の思考は絶対面白いと思っている。

外の目を気にせずに自分の世界でちゃんと解放している人を見ると安心するのかもしれない。他者の目を気にすることは多い。私もかなり気にする方だ。不思議なことに吐き出した言葉に対しては出しちゃうとそうでもない。だから書けているのだと思う。自転車に乗りながら鼻歌が歌えるようなにりたい。ストレス発散への道のりは遠い。生きてるだけで緊張モードなので解放の仕方がとても気になるし、上手い人をよく観察せねば。ただし一般的な参考例は正直全く参考にならない。これも個人差があると思います。

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