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#125 山梨の和紙の歴史と、半自動手漉き和紙!?

『紙について楽しく学ぶラジオ/Rethink Paper Project』
このラジオは、「紙の歴史やニュースなどを楽しく学んで、これからの紙の価値を考えていこう」という番組です。
この番組は、清水紙工(株)の清水聡がお送りします。
よろしくお願いします。

山梨に行ってきました

今回は、先日、山梨県の「市川和紙」と「西嶋和紙」という和紙の産地に行ってきました。
今回お邪魔したのは、西嶋和紙の「山叶製紙さん」と市川和紙の「大直さん」。

山叶製紙さんは、機械抄紙のメーカーさんで、主に画仙紙などを漉かれています。
気さくな女性の社長さんで、本業の画仙紙の製造の他、オシャレなプロダクトを開発されたり、その他産地の為に色々な活動をされています。

続いて大直さんは、障子紙の販売や、和紙プロダクトの企画・開発をされています。
めちゃくちゃアグレッシブな社長さんで、和紙を通じて色んなチャレンジをされています。
日本を代表するデザイナー・深沢直人さんとのプロダクト「SIWA」や、縁起物の小物「めでたや」はご存知の方も多いのではないでしょうか。

今回、山梨で学んだ事が一つありまして、なるべく車で行った方が良い、ということです(笑)
僕の住む福井から山梨に行こうとすると中々直線距離では行けなくて、ぐるっと大回りをするようなルートになります。
事前に調べると、車で行っても電車で行っても移動時間がさほど変わらなかったので、何も考えず電車で向かいました。
これが悲劇の始まりで、先ず、西嶋和紙の産地の最寄り駅についたんですが、駅前にタクシーがいなくて、Googleマップで調べると、目的の山叶製紙さんまで20分ちょっとということだったので、「大丈夫だろう」と思い、歩き始めました。
15分くらい歩くと、とても大きな橋があり、そこを渡ろうとすると、まぁまあな風でキャリーケースごと飛ばされそうになり、泣きそうになりました。
山叶製紙さんにつくと、「え、歩いてきたんですか!?」とかなり驚かれ、帰りは、見かねて駅まで送っていただきました(笑)(ありがとうございました)
翌日の朝も、ホテルから駅まで徒歩25分と出たので、タクシーを予約しようとすると、6時出発に対し、タクシーの営業開始は8時。
その後の映像は、先ほどの山叶製紙さんまでの道のりのリプレイです(笑)
皆さん、山梨へお出かけの際は、タクシーを事前に予約されるか、お車での移動を、尋常じゃなくおススメします(笑)

という訳で、今回は、山梨の2種類の和紙・「市川和紙」と「西嶋和紙」について解説していきたいと思います。

お知らせ

本題に入る前にお知らせをさせてください。
ソーシャルグッドな紙の作り方や使い方を提案するプロジェクト「Paper for good」第1弾の商品がリリースとなりました!
紙からできた、地球にやさしいピクニックシート「CITON(しとん)」です。
職人が一枚一枚手で揉んでシワを付けた和紙が4枚重なった贅沢なシートで、まるで綿が入っているかのような座り心地です。
色は、自然をイメージさせる淡いブルー、ピンク、グリーンの3色展開です。
シートを入れるオリジナルのバッグも付いており、ギフトにもピッタリです。
この「CITON」をもってピクニック行く場合と持って行かない場合で、満足度に5~10倍の差が出るとも言われています。
1月30日から予約開始となっており、ご予約いただいた商品は、5月から順次発送予定です。
番組の概要欄に、オンラインショップのURLを貼っておきますので、ぜひチェックしてみてください。

https://savastore.jp/?pid=172468839

それでは、本題に入っていきたいと思います。

山梨の和紙の歴史

さて、西嶋和紙、それから市川和紙という名前に聞きなじみのない方もいらっしゃるかと思いますので、簡単に2つの産地の紹介をしていきたいと思います。

個別の産地を見ていく前に、山梨全域の和紙の歴史を見ていくと、正倉院の書物に、756年「甲斐の国より朝廷へ紙の原料となる麻が納められた」との記録があります。
しかし、これは原料についての記録です。
和紙についての記録としては、773年紙の産地として甲斐の名前が挙がったのが最初です。
今から1250年前、奈良時代のことです。

それでは、先ほどの2つの和紙産地はどうでしょうか。
まずは、市川和紙。こちらは、山梨県西八代郡市川三郷町の市川大門地区で製造されている和紙です。
平安時代後期に、この市川大門地区に拠点を構えた武将・源義清の家臣である甚左衛門が技術を伝えたとされています。
産地内にあった「平塩寺(※改宗したため現在は存在しない)」の書物によると、1240年には多くの漉家があり、主に写経用紙として使用していたことが記されています。
現在では、全国でも有数の障子紙の産地となっています。
但し、戦後の西洋化に伴う生活様式の変化で、障子紙の需要も減っており、製造者も少なくなっているとのことです。

続いて、西嶋和紙。こちらは、山梨県南巨摩郡身延町の西嶋地区で製造されている和紙です。
時は戦国時代にさかのぼります。甲州と言えば、戦国時代最強とも言われる武田信玄ですよね。上杉謙信との5度にわたる川中島の戦いは、あまりにも有名です。
そんな時代に、この西嶋地区に和紙の技術が伝わります。
望月清兵衛という人が、今の静岡県に赴いて、修善寺紙という和紙の産地で、三椏紙の作り方を学びます
これを地元に持ち帰ってきたことが、西嶋和紙の始まりと言われています。望月清兵衛はこの和紙を武田信玄に献上したところ、めちゃくちゃ喜ばれて、めちゃくちゃ出世したそうです。
ちなみに、西嶋和紙の産地内に、「蔡倫社」という神社があり、そこに、蔡倫、、、ではなく、望月清兵衛が祀られています
現在では、画仙紙で有名な産地となっています。

セイコー式簡易手漉き装置

さて、今回山梨に行って驚いた紙漉きの技術についてご紹介したいと思います。
その名も「セイコー式簡易手漉き装置」です。
こちらは、西嶋和紙の産地内の「山十製紙さん」が開発した、半自動手漉き和紙が出来ちゃうよ!という技術です。

どんな技術か説明します。

まず、手漉き和紙の工房を想像してください。
桶の中にパルプの水溶液があって、簀を張った木枠でパルプをすくい上げる。これが一般的な紙漉きの風景だと思います。

じゃあ「セイコー式簡易手漉き装置」はというと、
まず桶の中にはパルプの水溶液が殆どありません。そこに、簀を張った木枠がセットされています。
こんな少ない原料でどうやって紙を漉くんだ、と心の声が出そうになった、次の瞬間、職人さんが、桶の下にあるペダルを踏みます
そうすると、桶の前方にある扉が開いて、そこから木枠に向かって原料が流れ出します
この技術によって生産効率がグンとあがり、1.4~1.7倍もの紙が漉けるようになったそうです。
しかも、開発者の山十製紙さんは当然特許を申請しますが、その後、この技術を無料開放したそうです。
気になる方は、山十製紙さんのInstagramに動画が上がっていますので、是非、チェックしてみてください。

どうですか、みなさん。
山梨の和紙、めちゃくちゃスゴイですよね。
僕は初めて行きましたが、衝撃の連続でした。

今後も、全国の和紙についての発信もしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

という訳で、今回は以上となります。
今回の放送が、役に立ったと思った方は、是非番組のフォローやいいねをしていただけると、ぼくがめちゃくちゃ喜びます。
それから、番組への質問やコメントも募集しております。概要欄に貼ってある会社か僕のInstagramからダイレクトメッセージで送ってください。必ず読みます。

それでは、本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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