見出し画像

『稲盛和夫一日一言』11/30 Review

 こんにちは!R&P企画 emuです。
 2024年8月1日より、連続投稿3年目に入りました。これを機に、しばらくは過去2年分をレビュー掲載していく予定です。

 11月30日、今日の一言は『極楽と地獄』です。

 修行僧が、老師に「地獄とは、どんな所か」と尋ねた。老師は答えた。「地獄には、大きな釜にうどんが煮えている。食べるには、長さ1メートルもある長い箸を使うしかない。そのため、うどんをつかむことはできても、口に入れることができない。皆、自分が真っ先に食べようと、狂ったようになり、しまいには、うどんは飛び散ってしまい、誰も食べることはできない」。
 修行僧は、「それでは極楽とはどんな所か」と尋ねた。老師は答えた。「実は、極楽も同じようになっている。ただ、人々はうどんを長い箸でつまむと、釜の向こう側にいる人に、『どうぞお先に召し上がってください』とすすめる。相手は有り難く受け、『ごちそうさまでした。今度はあなたがどうぞ』と、うどんをすすめ、全員がおいしいうどんを食べることができる」。
 われわれの人生においても自分のことのみを考えるのか、それともお互いに思いやりを持って接するのかによって、極楽にも地獄にもなり得るのだ。

 生まれてきたときに持ってきた自分の魂を、この現世の荒波のなかで洗い、磨き、少しでも美しいものへと変えていく。そのために人生というものがあるのではないかと、私は思っています。
 死にゆくときに、生まれたときよりも少しでもましな美しい魂に、またやさしい思いやりに満ちた美しい心を持った魂に変わっていなければ、この現世に生きた価値はありません。人生とは、魂を磨き、心を磨く道場なのではないでしょか。
 しかし、そのように考えて心を磨こうと思っても、実際にはなかなかうまくいかないのが人間です。善き思いを抱こうと思っても、「儲かるかどうか」「自分にとって都合がいいか悪いか」といったくだらない思いで、ついつい行動してしまうのが人間というものです。ですから、そうした悪しき思いが出てきたときには、その思いをモグラ叩きのようにして叩き、抑えていくことが重要になります。そのようにして、日々反省していくことが、心を磨くためには不可欠なことだと、私は思っています。
 つまり、いつも自分の心のなかに、善き思い、やさしい美しい思いが出てくるように、もし邪なものが出てきたときには、「こらっ」と言って自分で怒って、それを抑えていく。それは、毎日毎日あたかも賽の河原の石を積むようなものかもしれません。高く積めないかもしれませんが、毎日そういう努力をしていくことが尊いのではないかと思うのです。

2013年 「公開市民フォーラム2013大阪」 講演より

 本記事を通して「京セラフィロソフィ」「稲盛経営哲学」に接することで、皆さんが少しでも毎日を活き活きと過ごされんことを願っております。


いいなと思ったら応援しよう!