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僕が鬱の時、何をしていたのかvol.2「星になった友とUFO」

前回で書いたように僕は大学の学士課程を
6年もかけて卒業したのだった。

その理由の一つは、すでにうつの兆候だったのか、勉強にモチベーションがまったく持てず、講義の内容が理解できず、単位を取ることがかなり大変だったこと。
そんな調子のまま、最初の四回生になった時は
卒論を書ける自信もアイデアもまったくなかった。
さらに悪いことに母が脳卒中で倒れ、仕送りがなくなってしまったのだった。
うちは10歳の時に親が離婚したため、女手一つで育ててもらい、大学もかなり無理して私学に行かせてもらったのだ。

幸いなことに病状は軽く、ろれつに少し影響が残るくらいで済んだのだが。長年抱えていた持病とあわせて手術入院とリハビリで、僕への仕送りどころではなくなったのだった。


僕は生活費を稼ぐために、まず警備員のアルバイトを始めた。
そこでほとんど社員並みの労働時間働き、学校へ行くことがさらに難しくなっていった。

頭の中ではすでに、この年に卒業することを諦めてしまっていた。そして最初の四回生は留年することとなった。


次の一年間は休学して学費を貯めることになった。しかし、一年で120万円の学費を、
しかもアルバイトで貯めることは本当に大変なことだった。

留年が決定した時点で、家賃月2万円の、風呂なしぼっとんトイレ付き、歩くと揺れる木造アパートに引っ越すことにした。
風呂は近所の銭湯に通った。
地域柄、刺青の入った組員たちを見ない日はない銭湯だった。


肉屋のおばちゃんには本当にお世話になった。
妙に気に入られてしまい、いつも安いコロッケしか買わないのに、
買った額よりも高いおまけをされることに、逆に気を使って行けなくなってしまった。
今でもあのおばちゃんの温かい気持ちに涙が出そうなくらい感謝している。


話を戻すと、警備のバイトだけでは生活費を稼ぐだけで精一杯で、学費を貯めるには何かもう一つ掛け持ちで仕事をしなければいけなかった。

仕事を探していたら、同い年の2浪で入った友達Dがしていたペットショップのアルバイトを紹介してくれることになった。

生き物はもともと大好きだったからぜひやりたいと2つ返事で面接を受けることになり、警備とペットショップの仕事のかけもちがはじまった。

2浪で入ったDとは、僕が留年&一年休学して復学すれば、卒業が同じになるはずだった。

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