ミハエル・ロイ

ロイです。

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最近の記事

僕が鬱の時、何をしていたのか vol.4「ひまわりの種と二人の女性」

vol.2「星になった友とUFO」で書いたとおり、僕は一年留年して、一年休学後に復学して、計6年かけて大学を卒業した。 休学したのは120万という学費をもはや親に出してもらうことができなくなったため、自力で何とか貯める必要があったからだ。 ペットショップと警備員のアルバイトを掛け持ちした。 週休どころか、月に2日くらいしか休みなしで働いた。 その合間に十分でないとはいえ、勉強もしていた。 実際には復学する時に120万円すべて貯まっていたわけではなく80万くらいだった。だから大

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    • 僕が鬱の時、何をしていたのかvol3.「和楽の人びと」

      僕が和楽荘に引っ越したのは大学4年生になるタイミングだった。 それまではフォレストというワンルームマンションに住んでいたのだが、更新料の高さや、母からの仕送りが断たれることになったために、この昭和40年代に立てられた木造2階建てのぼろアパートに住むことにした。もちろんお風呂はなく、トイレはボットン式だったが共同でないだけましだった。 家賃は京都でありながら2万。8畳でキッチン付きなので、見た目を気にしなければ、それほど悪くはなかった。 もう一つ、引越しした大きな理由は、当時

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      • 僕が鬱の時、何をしていたのかvol.2「星になった友とUFO」

        前回で書いたように僕は大学の学士課程を 6年もかけて卒業したのだった。 その理由の一つは、すでにうつの兆候だったのか、勉強にモチベーションがまったく持てず、講義の内容が理解できず、単位を取ることがかなり大変だったこと。 そんな調子のまま、最初の四回生になった時は 卒論を書ける自信もアイデアもまったくなかった。 さらに悪いことに母が脳卒中で倒れ、仕送りがなくなってしまったのだった。 うちは10歳の時に親が離婚したため、女手一つで育ててもらい、大学もかなり無理して私学に行かせて

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        • 僕が鬱の時、何をしていたのかvol.1 「僕とナイロンギター」

          自分はうつじゃないだろうか?と僕が自覚し始めたのは25才ごろだった。 今思えば大学在学中からすでに始まっていたようにも思われる。 僕は大学では臨床心理学を専攻していたのだが、講義の内容がまったく頭に入らず、脳みそをすべって、なんでそんなに複雑に考えるのだろう…と意味がわからず、学士を取るだけで一年留年と一年休学の末、6年を費やしてしまった。 何と言うか、思考のエネルギーがどうしても湧いてこない状態だったのだ。 本当は芸大とかアート系に行きたい気持ちもあったが、それはすぐに母

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