あれはダークヒーローなんて大それたものではなく単なる「無能な子供部屋おじさん」の成れの果てだ - 映画『ジョーカー』の感想

「ジョーカー」観てきたよ。平気でネタバレするので注意。

人生初IMAXだったんだけどこれ別にIMAXで観なくてもよかったな。
ただただホアキン・フェニックスが「より綺麗に小汚く映ってる」だけだった。あと普通の上映より音がでけえ。うるせえ。

ホアキンが名優なのは当然知ってるとして、アーサー役の演技は抜群に良い。小汚さと痩せこけ具合が妙にリアル。ちょっとした目線の仕草やタバコの吸い方までが魅力的だ。

ホアキンのジョーカーはジャック・ニコルソンのジョーカーやヒース・レジャーのジョーカーとは違う。今まで実写で見たことのない全く新しいタイプのジョーカーだった。というのもニコルソンやヒースにあった「カリスマ性」がちっとも無い。最後の最後、アーサーがジョーカーに転生してからも特に何も変わらずしょぼくれたピエロメイクのオッサンでしかない。ニコルソンやヒースの「フレンドリーな対応からいきなりキレて部下を射殺」みたいな狂気じみたムーブも無く、割と理知的な会話が通用するタイプにも思える(これはまだジョーカーになって日が浅いからで狂人と人間の狭間にいるからだと思うが)。

このカリスマ性の無さはジョーカーに変貌する前のアーサーのダメっぷりを序盤〜中盤に散々見せつけられたからだろう。

生まれつきの神経障害で笑うタイミングではないところで笑ってしまう、それもバカ笑いが出てしまう。傍から見れば完全に精神やっちゃってる人
更に仕事の要領も悪い。アーサーは看板持ちや児童福祉の派遣ピエロとして働いてるのだが同僚から半ば強引に渡された護身用の拳銃をよりによって小児病棟の営業に持っていき、子供の前で出してしまって解雇されるのだがこれに関しては言っちゃ悪いが完全にアーサー側に落ち度があるし、多分似たようなミスを散々やってるんだろうなあとも思える。

大抵の映画では「それでも心は優しい青年」みたいな設定が付与されるのだがアーサーの場合そういう訳でもない。母親や同僚は「アイツは人がいいから」的な接し方をしているがあれは人が良い訳ではない、ただ小心者もしくはコミュ障なだけだ。親と同居はしており病弱な親の面倒を一応は見ているが序盤の時点で「コイツそんなに親に対しての情みたいなのがねえな」となんとなく察せてしまう。特に何か明言されている訳ではないのだがホアキンの演技がそう見せるのだ。「とりあえず同居しているから都度対応している」だけで、そこに母親に対してのマザコン的な愛とか生まれ持っての心の優しさみたいなものは感じない。
自分に優しく接してくれた(ように思っているだけで別段なんでもないマナー的な挨拶があっただけ)隣人の年下のシングルマザーに好意を持ってとりあえずストーキングしてみたり脳内妄想でいい関係になってみたり(このシーンで相手の幼い娘の存在が一切消滅してるところもアーサーの根底の人間性が垣間見える)、終盤で元同僚の小人症のピエロを「自分に優しくしてくれたから」と殺さずに見逃すが映画を見る限りだと優しくしてくれたというよりは職場でいじられる側だった=自分をイジってこないし過度な干渉もしてこなかっただけで別に優しく接していた訳ではない。要は人との距離感とか付き合い方がわからないまま歳だけ取ってしまったアレだ。

じゃあ何か特別な才能があるかと言われれば別に無い。本人はスタンダップコメディアンとして生きていきたいと思っており、才能があるとも思っているがセンスは皆無。学もないからネタの幅もない。意を決して舞台に上がったら緊張でロクに喋れない有様。そのくせ脳内ではガンガン爆笑を取っているし「いつかゴールデンタイムのバラエティの司会者が俺を見つけて突然才能を評価してくれてスターになれる」みたいに思って司会者を勝手に人徳者だと美化して信奉してる。「中2特有の万能感」が未だに抜けてないどころかメンタルやって薬飲んでるせいで変な方向にこじれて悪化してる。

ここ最近ウェブ界隈でいい歳こいて実家に住み続けてる独身中年を「子供部屋おじさん」なんて蔑称で呼ぶがアーサーは完全にそれだ。もっと言うと「無能でコミュ障で精神疾患持ちの子供部屋おじさん」というダクソ3の最高難易度もびっくりの地獄みたいな状況でその日を生きている奴だ。

そんな呼吸する地獄ことホアキンフェニックスことアーサーが「悪のカリスマ・ジョーカー」になるまでのストーリー、という宣伝のしかたをされているが正直このジョーカーはカリスマでもなんでもないし、本人も別にカリスマになりたい的な態度ではない。ちょっと「貧民層の星」みたいな扱いをされても本人は舞い上がったりしない。終盤で「アイコンになりたいんじゃない」みたいなセリフがあったけどあれもアーサーの本音だと思うし、パトカーの上で気絶から目覚めて暴徒と化した群衆に讃えられた時に一瞬物凄く冷めた「今まで自分を散々虐げてきた癖にヒーロー扱いか」というような目をしたのがこの映画の中で一番印象に残ったし、ホアキン・フェニックスという俳優の演技力の凄さを垣間見たシーンだった(その後なんだかんだ暴徒たちの声に応えてパフォーマンスしてるのだが、僕はあそこで頭に強く衝撃を受けたせいで完全にぶっ壊れた・もしくはあそこで初めて承認欲求が満たされる快感に目覚めたんじゃないかと考えている)。
どちらかというと暴徒と化して最終的にジョーカーを讃えるゴッサムの貧民層の人間たちがジョーカーを勝手に賛美してカリスマ扱いしているだけに見えた。なんとなく不満を抱えつつも1人ではどうすることも出来ない、そこに都合よく現れたピエロ姿の男を大義名分として今までしてこなかったようなデモを始めて、そこから最終的に好き放題暴れる無法者に成り果てる。この妬みや不満からくるやり場のない怒りが「悪のカリスマ・ジョーカー」を勝手に作って勝手に信奉しており、ジョーカーが割と冷静にそれを見ていたのが結構意外だった。まあすぐにその怒りの坩堝にジョーカーも飲まれてしまうのだが。

「自分の中途半端な正義」を振りかざしてた奴らが尽くジョーカーに抹殺されていくのが何とも皮肉だなあ、とも思った。同僚のデブ、母親、刑事、TVショーの司会者、トーマス・ウェイン、セラピスト、みんなどこかでアーサーやその他の人間を見下して、どこかで中途半端に優しくして、それがアーサー=ジョーカーの逆鱗に触れてぶっ殺される。それを「人間臭さ」というのだろうがアーサー視点からしたらたまったもんじゃねえしそりゃヘイトもガシガシ溜まるわ。昔、日テレの土曜9時のドラマの「伝説の教師」で松本人志が「中途半端な正義が一番の悪や」って言ってたのを不意に思い出した。あとロバート・デ・ニーロの「無知で傲慢で中途半端に正義ぶる偽善者」っぷりが最高にイケてたので死んでくれた時は最高に「ざっまあwww」ってなった。

長々と書いてきたけど総評としてはめっちゃ面白いです。面白くて問題作。だけど「子供に見せないように警備を徹底する」みたいなのは過剰というか、そこまでヤバい映画ではない。宣伝の感じを見ると「正直者で優しい好青年が狂ってしまう」ような映画にも思えるし僕もそう思ってたけどいざ見てみると「責任の何割かは自分にある無能な子供部屋おじさんがストレスをどこにも発散させられず、いろんなタイミングが重なってイカれた」のだ。「お前被害者ぶってるけど何割かはお前にも責任あるからな」って点では『ダンサー・イン・ザ・ダーク』とも被るね。あと1回観たら2回目はいいや、って点でもダンサー・イン・ザ・ダークと被るね。まあアカデミー賞はホアキンが取るんだろうなあ…って思った。



どうでもいいけどジョーカーを日本版にローカライズする場合は「温水洋一が発狂してなまはげのコスプレして日本刀持ってフジテレビで大暴れ、そのままお台場が独立国家宣言をしたところにコスプレした前澤友作と剛力彩芽の息子が登場して…」っていう展開でいいですかね?


あとKINEZOでチケット買おうとしたらめっちゃ大変だった。もちろんお支払いはバット・クレジットカードだ。


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