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自然と、不自然と自然

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自分は起きるのが7時半過ぎなので、いまだに朝食の場ではお会いしていない「管理人としての」かおりさん…

残念ながら僕の部屋は食堂から結構離れた場所にあるので、コーヒーの香りは届いていなかったのですが…
しっかりとした朝食を食べて活動を始められる1日の気持ちが良いこと良いこと!
朝日を浴びて、納豆かき混ぜながら毎食感謝しております。

朝はこの窓際の席がお気に入り

これでも淹れたてコーヒーを楽しめるように気持ち早めに起きようと、努力はしているつもりです。(努力なので。結果が伴っているかどうかは…)
シェアハウスにいるうちに早起きの習慣とか身につけられたら最高ですよね…⁉️

今日のnoteは思考日記的なもの

そんなこんなで、3~4年前までは高校理科教師を目指していました、ryoです。
実は今でも「教師になりたくなくなった」訳ではないのですが、そんな話は置いておいて。

今日はアウトドアが好きだったり、大学で自然環境や農業について少しだけ勉強していた中で考えた「自然って何?」っていう話と、浜通りに移住して2週間、少しずつ見えてきた「不自然?な自然(適切な表現かはわかりませんが)」について、備忘録的にまとめたいと思います。

何か答えがあるようなテーマでもないので、
「ほ〜ん、変なこと考えてるな〜」
的な感じで読んでもらえると嬉しいです。

自然って何?

そもそも自然ってなんなんでしょう?

言葉だけを聞いた時の直感的なイメージを簡単に列挙してみると、

  • 動物や植物が生きている様子

  • 人間の生活圏外

  • 部屋の中の観葉植物

  • 「食べ物」

こんなもんでしょうか?

色々定義とか、言葉の成り立ちがあることは勉強した(気がします)が、まず一般的な自然のイメージもここから大きく外れたものではないと思います。

そんな中でふと考える、「自然」に関する素朴な疑問。

みなさんが考える自然の中に、私たち「人間の存在」は含まれていますか?

含まれているとすれば、どこまで「人間」が介入してしまうと「自然の認識」が崩れてしまうのでしょうか。

人工的に作られた公園、人工的に守られた天然林、自然としての評価?意味合い?はそれぞれ違うのでしょうか。

絶えず大気・水が循環しているこの星で、「人間」がある一定の地域の「自然」を守ること・育むことは可能なのでしょうか。

「人間という動物や人間の営み」は自然の中に含まれないのでしょうか。

私自身それぞれの問いに対する答えを持ち合わせている訳ではありません。

それでも、杜絶された山中で渓流釣りに挑戦した時、マタギの猟に同行して捕まえたウサギを持ち上げた時、真夜中のキャンプ場でトイレに行くために起きた時、
ひょんなタイミングでふと意識せずにはいられない大切な「問い」がこの問いの本質であり、多分これからも”自然と”考え続けるのだろうな〜と思っております。

自分がイメージする自然の中に入り込んでしまった(と認識すると)
先ほどの「問い」が発動する…⁉️

目を引かれる、不自然な自然

そんなこんなで浜通りに移住してきて約2週間。

改めて「自然」という観点から浜通りというフィールドをみると、これまでみてきたどの地域とも違う、本当に特異的な場所だということを実感します。

10年前には確かにあった人々の営みが、動植物の力によって飲み込まれていく様。
反対に人々の営みが戻り、新たに根付く様。
それらが背中合わせの環境で、それぞれの方向に歩みを進める様。

強烈に違和感というか「不自然さ」のような漠然としたものを感じると共に、先ほどの問いを日常でも意識せざるをえない場所に移住してきたんだな〜と思うここ数日です。

でもこの「不自然さ」というものは決して拒否感とかそういうものではないと思うのです。
自分の中にあった「自然」のイメージと、浜通りという現実世界とのギャップと言いますか、新たな価値観?自然観?との出会いと言いますか。

あえて言うならば、とてもポジティブな意味合いでこの「不自然さ」を感じ、学んでいる最中なのだと自己解釈しています。

とりあえず夏の気配もすぐそばに感じるようになりました。
今年の夏は浜通りを探検し尽くして、海も山も走り回りたいですね。


さて来週は大好きなドリンク、コーヒー焙煎なんかを記事にしたいな〜と考えています。
毎回テーマを考えることに時間を使ってしまうので、今回は事前宣言ということで…!

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