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2023年からの、Route Designとしての新たな事業

「2025年」というベンチマーク

森のオフィスを立ち上げる前、自分自身がいまのような働き方・生き方をしようと思ったきっかけは、リンダ・グラットンの『WORK SHIFT』を読んだことが大きなきっかけでした。

この本は2025年の働き方を予測した本として有名ですが、その中でも印象的だったのは「リモートワークの普及」、「クリエイティブ・クラスの郊外への脱出」、「会社に所属しないプロジェクト型の働き方」といったキーワード。

たしか2013年末あたりにこの本を読んだ時、「こういう働き方になるのであれば、2025年を待たずにいますぐそうなりたい」と直感的に思い、2014年になると共に動き始め、2015年には実際にいま住んでいる長野県・富士見町へ移住し、会社員と自分の会社の代表をするダブルワークとなっていました(現在は自分の会社のみ)。

同年に富士見町役場と共に「富士見 森のオフィス」を立ち上げ、共に運営する仲間やこの町に集まる様々な職種の人との繋がりが増えるほど、『WORK SHIFT』に書かれていることがどんどん現実になっていくことを実感。さすがにこの本の中にコロナによるパンデミックは出てきませんが、2025年まであと数年となったいま、ここに書かれていたことはかなり現実になっていると思います。

森のオフィスを立ち上げた2015年から、2025年まで10年。この10年で、どこまでリンダ・グラットンが予測していたことを実現できているかが、自分の中での一つのベンチマークなのです。

「コミュニティー」はどこでも育むことができてよいもの

『WORK SHIFT』を読んだときに感じたことがもう一つ。
それはこの本の中でも伝えられている「人との人との新たな繋がりを育むことが、仕事や人生を豊かにしていく」ことは、都市部での生活では叶えられないのではないか?、ということ。

マンションの隣人のこともあまり知らないような生活では無理だと思ったし、それとは反対に、いまこうして富士見町に住む中で、これまでの人生の中で最も広く豊かな繋がりを育むことができているなと感じています。

森のオフィスを運営しながら、人間関係の希薄さに悩む人からの移住相談を毎週のように受けるたびに、「やっぱり都市部では無理なんだろうな…」という考えが強くなっていきました。

しかしその一方で、移住促進を推進する立場ではあるものの、必ずしも全ての人が移住したりすることもできない中では、田舎だろうが都心だろうが、それぞれが住む場所で豊かな人間関係を育むことができるのが良いのではないかとも想うようにも…

しかし、パンデミック以降、コワーキングスペースのような場所は爆発的に増えましたが、都市部と行き来しながら色々な場所を使ってみるも、自分がイメージするコミュニティーが生まれている場に出会えることはほとんどありませんでした。

富士見で感じられるような多種多様なつながりと、つながりから様々なプロジェクトが生み出されるような場。そんな場所が都市部でもないものか?とぼんやり考えていた矢先のこと。知り合いを通じて一つの相談が。

「横浜」という自分のルーツ

神奈川の鉄道会社である相鉄線が、横浜市にある相鉄線天王町駅〜星川駅を再開発し新たな商業・文化エリアを作るプロジェクト「星天qlay」。ここにRoute Designとしてコワーキングスペースを出店ほしいという相談をいただきました。

横浜市は自分の出身地であり、天王町は高校時代の友人が住んでいたこともあって、しょっちゅう近隣で遊んでいたエリア。みなとみらいなどの近代的なイメージが強い横浜市の中でも、“ベッドタウン”という言葉が似合う超ローカルなエリア。このエリアが、再開発プロジェクトによって大きく変わろうとしているのです。

ただ、都市部にテナント出店するということは当然全て自費。森のオフィスのような行政からの運営委託ではないし、当然、立ち上げ費用も家賃も長野とは桁違いに変わってきます。

「コワーキングスペースはそもそも儲かるビジネスではない」というのは、どの国のコワーキングスペースマネージャーも口を揃えて言っているという話は、以前の投稿でも書きましたが、都市部でやってもリスクの方が大きいのではないかと、一度この話を断ろうとしました。

が、相鉄の担当者の話をあらためてお伺いしているうちに、この星天qlayを新しい遊びや生き方を楽しむ人が集う場所にしていきたいという想い、天王町〜星川という横浜市の中でもエッジ(みなとみらいなど開発された中心地の周辺部)に位置するエリアが持つポテンシャル、そしてなによりも、自分の出身地である横浜市の話であることを思うと、今回の話を無碍にしてよいのか?という考えが芽生え始めました。

そんな考えが頭の中でぐるぐる巡ること数週間。思い切って新たな挑戦をしてみることに。

「クリエイティブ」を中心とした協働スペース

「コワーキングスペースの出店」という相談ではあありましたが、これまでのようなコワーキングスペースはもう要らないという考えがありました。

リモートワークが普及しコワーキングスペースやレンタルオフィスはどんどん新設されているけれど、ヘッドホンでzoomしながらリモートワークは、Co-workingというより“個Working”のように見える。自宅でもカフェでも仕事はできる今、他者との交わりが希薄なワークスペースは必要だろうか?

また、これまで森のオフィスを運営する中で、仕事やコミュニティー形成など、多方面で大きな影響を与えてきたキーワードは「クリエイティブ」に関わることだったと感じています。

何らかのデザイン、映像、写真、モノづくりなど、広い意味でのクリエイティビティー溢れるスキルは、地域の困りごとに柔軟にフィットし、まだ漠然としている想いや悩みを具現化するのに大きく貢献してきました。

困っている人と助けられる人の間、そして社会との間を具体的な形でつなげられるのがクリエイティブなのだとすれば、地域に関係なく当てはまるのではないか?

これまでコワーキングスペースといえば、WIFIと電源があり、共有スペースでPCを広げて静かに仕事をする、というのが一般的でしたが、よりクリエイティブな作業にフォーカスできるかというとそうでもありません。

たとえばパソコンでillustrator上でデザイン作業をしつつ、そのデザインを見ながらとなりの作業台で大きなキャンバスに絵の具で絵を描いたり、建築の図面を見ながら建築モデルを作ったり、立体造形をしたり。

いまのコワーキングスペースは綺麗でラグジュアリーすぎ。他の人とシェアする場所だから汚しちゃいけないという雰囲気が強すぎる中では、PC作業のようなデジタルワークはOKでも、手を汚すようなアナログな作業はNGな場所が多いです(ファブラボを除いて)。

一方、海外のコワーキングスペースは「業種特化型」のコワーキングスペースもどんどん出てきていて、先日見に行ったニュージーランドのコワーキングスペースも、“デジタル作業/アナログ作業なんでもあり”のカオスな雰囲気が、日本にはない感じでとても新鮮でした。

zoomでリモートワークのためのコワーキングスペースではなく、クリエイティブに関わる制作作業や創作などを自由にできる共同・協働の制作スペースを作りたい。

そんな考えが明確になってくる中で、“Collaborative studio(協働制作スタジオ)”というキーワードが生まれました。

「コワーキングスペース」ではなく「コラボラティブスタジオ」

今回立ち上げる施設は、「新たな創造のための、自由な協働空間。」というコンセプトで、デザイン、アートなどクリエイティブに関わる制作業務や創作活動にフォーカスした制作環境を提供する会員制のワークスペースです。

個人がPCを持ち込み作業できるデスクスペースと、ペインティングやクレイモデル、簡単な木工ができる大型の制作デスクが同居。
広いオープンな館内は、一部を簡易的なフォトブースにしたり、ホワイトボードを並べたミーティングスペースに使用したり、ミニギャラリーとして作品を展示したりもできる。

制作に必要な道具や機器は共用備品として可能な限り取り揃える予定で、ポスター印刷用の大判プリンターやシルクスクリーン印刷機、絵の具や筆なども揃えるつもりです。

このスペースを使用して作業をしながら、お互いの作業などを通じて刺激を得たり、交流したりと、クリエイターにとってのコミュニティースペースを目指したいと考えています。

PILE = 山積、寄せ集め、かたまり。

スペースの名前は「PILE(パイル)」。この場に集う人々によって様々なクリエイションが重なり山積されていくような場にしていきたいという想いが込められています。

横浜での「思い出」

この名前にした理由はもう一つ。

僕は大学の後半から20代のほぼ全ての週末を、高校時代の仲間と一緒にやっていたVJに費やしていました。

最初は高校時代の仲間達とzineを作り始め、クラブイベントのフライヤー制作から徐々に映像作りへと発展。横浜で友人が主催するクラブイベントで「映像を流す“VJ”をやってみないか?」という誘いを受けてからはVJの活動ばかりになり、会社から帰っては映像を作りレンダリングし、週末は横浜界隈のクラブイベントへ仲間と共に映像機材を持ち込み朝までVJ。そして重い機材を片付け、また映像作り。

元々テクノや電子音楽が好きな身としては、ヒップホップやレゲエが主流の横浜のシーンでは大きくなかったテクノやハウスのシーンの一部であることが楽しかったし、なによりも普段の仕事の捌け口としての創作活動が楽しかった。

ただ、7〜8年もやっているとさすがに身体も疲れてくる上に、仕事の捌け口としての創作活動の方に趣を置いていた自分にとっては、ダンスミュージックシーンにいる人同士のつながりを広げていくことに、当時はまだ関心が持てなかった側面も。

結局、身体の疲れが創作意欲を上回り、当時一緒にやっていた仲間に対してきちんとした説明もしないまま、ぱたりとVJを辞めてしまいました。

いまであれば、そのコミュニティーにいる人とのつながりがその先の様々な物事を生み出していく価値を理解しているのに、当時はどうでもいいと思っていたのかもしれません。当時の仲間には申し訳ないと今も思っています。

「PILE」は当時のVJチームの名前です。

20代のころ、横浜で自分が仲間と一緒にひたすら創作活動に明け暮れていたころの感覚をもう一度味わいつつ、30代後半で知った人との繋がりから生まれるものを大切にしたい。そんな40代のカッコ悪いタラレバ的な想いも込められています。

「2025年以降」を見据えた、自分自身の働き方に対するチャレンジ

そんな想いがどんどん強くなり新事業を始めることになったのですが、当然、自分自身の事業なので、今回ばかりはお金のリスクも大きい。銀行からの融資のことを考えると胃が痛くなります…
家族の時間も大切だし、子ども達とのアウトドアスポーツの時間も確保したいので、富士見で過ごす時間は引き続き大切。そしてもちろん、富士見町でもまだまだやるべきことが沢山あります。

それでも、森のオフィスの立ち上げ〜運営で得られた経験を横浜でどう活かせるかという点は、これからの自分の働き方にとって、とても重要かつエキサイティングなチャレンジです。

利用、協賛、コラボに関心のある方々へ

これまでのコワーキングスペースとはちょっと違う、クリエイティブな作業を自由におこないながら、同じ場を共有する人から刺激を得たり交流したり、一緒に新しいものを生み出す場所。そしてそこで生まれた取り組みが、徐々に地域の取り組みへと広がっていく。

そんなことへちょっとでも興味が湧く人がいたら、ぜひ利用しに来てほしいです。

そして協賛に興味がある企業や団体、デザイナー向けの製品やサービスを提供しているメーカーのみなさん、ぜひお声がけください。

2023年4月にオープン予定です。


ちなみに、、、すでに色々な人から聞かれてますが、富士見町から引っ越すわけでも、森のオフィスの運営から降りるということでもありません!

コロナ以降は自分自身も移動がめっきり減ってしまったけど、コロナ以前のように、週の数日は横浜、それ以外は富士見という生活に戻るだけです。そして「2025年の働き方」のベンチマークをイメージしながら、今後も森のオフィスは続けていくつもりです。

ゆくゆくは、富士見町と横浜の2つの場所をつなぎ、人や物が行き交うようにしていきたいと考えています。

立ち上げに向けてまだまだやることが山積していますが、無事オープンできるよう邁進していきたいと思います。

応援よろしくお願い致します。

PILE Web site

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