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トキワ荘ミュージアムの寺田ヒロオ展

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トキワ荘ミュージアムの寺田ヒロオ展行って来ましたが500円かかるのであまり入って無かったですね。(部屋を見るのは無料。)
寺田さんは藤子不二雄両先生や石ノ森章太郎先生、赤塚不二夫先生の兄貴分で、トキワ荘のリーダーだった方です。 野球漫画の第1人者で、当時はめちゃめちゃ人気があったらしいです(週間サンデー創刊号のオープニング漫画家に選ばれている) ただ、リアルタイムの読者が70歳以上になってるはずなので、他の先生よりは訪れるファンの人が少ないとスタッフの方が言っていました。 (藤子、石ノ森、赤塚先生は1970年代、寺田さんは1960年代のスター漫画家)
寺田さんは元電電公社(今のNTT)野球部のエースで藤子不二雄A先生の話では草野球で130キロの速球を投げて誰も打てなかったらしいw 1歩間違えたらプロにもなれたかもと語ってました。だから漫画を見たらちゃんとプレーがリアルに描かれてますね。 他の漫画家がお金がない時にお金を貸したりして援助してたらしいです。赤塚不二夫先生が目が出ないので漫画家を廃業しキャバレーのボーイになろうとした時に お金を貸して引き止めたらしいですその後、たまたま入った穴埋めギャグ漫画がヒットして人気漫画家へ。 赤塚先生がデビューしていなければ、タモリさんもこの世に存在せず(赤塚先生がスカウトし資金を援助して、タモリさんはデビューできた)、アニメのおそ松さんも存在していません、運命って不思議ですねw やっぱり自分が寺田さんに助けられたから無名のタモリさんを助けたかったんでしょうね。赤塚先生が「テラさんは人気絶頂で筆を折った」と言ってましたが実は一時休んでただけで学習誌でほそぼそ描いてたみたいです。当時殺し合いなどの殺伐とした漫画が増えていく中、子供を正しい方向に導くのが児童漫画と考えていた寺田さんにとって同じ雑誌にそういう営利目的の漫画が載っているのが許せなかったらしく。人気絶頂ながら次々と連載を完結させたらしいです。寺田さんの漫画を読んだことがありますが派手さよりも野球少年の友情や成長をさわやかに描いたものが多く間違いなくちばあきお先生の「キャプテン」に影響を与えたのでは?と思います。ただ新しい才能を持った漫画家が次から次へと出て来るので生き残るのは難しかった。今の漫画家でも1発当てて2発目を当てた人がほとんどいない。手塚治虫先生でも1970年代には終わった古い時代の漫画家といった扱いだったらしいです。手塚先生は当時流行していた劇画(アトムなどほのぼのした児童漫画に対抗して出てきたハードなストーリーを追求した大人向けのリアルなマンガ勢力のこと、今の漫画はこれの延長線上にあります。)
の手法を研究してブラックジャックという歴史に残るヒット作でカムバックできたが寺田さんはそれができなかったのでしょう。藤子F不二雄先生も作風が派手さがなく地味なので学年雑誌がメインでドラえもんを学習雑誌に発表しても反響がなくガッカリしたらしいです、その後単行本になった後、口コミで人気になりアニメ(2作目の大山のぶ代版)も話題になり世界的なヒットになりましたが実は当てた作品数は藤子不二雄A先生のほうが多いんですよね。これは宮崎駿監督作品もそうだけどじっくり見たら面白いんだけどパッと見絵柄が地味なので敬遠されやすい。今はインターネットがありますが当時は口コミで良さが伝わるまで時間がかかったんですね。

最近もとんねるずの石橋さんがYouTubeで人気者になりましたが、あれもテレビで自分の番組がどんどん不人気で打ち切られ危機意識があり、背水の陣でやられたらしいです。だから金やコネを持ってるのにできるだけ使わず手作りっぽい感じでやってるのが面白さの秘訣ですね。人間売れると守りに入って面白くなくなりスタッフとのダラダラ感が出てるだけになりますからね。あれだけのスターでも視聴率が悪ければ打ち切られる厳しい世界です。新しい若手芸人も次々と出てきますからね。その辺は漫画の世界と似ていますね。

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復刻された寺田ヒロオ先生の部屋、いつもはトキワ荘お休み所に展示してあるが企画展に応じてトキワ荘ミュージアムにお引越し、企画展が終わったら元の場所に戻るらしい。

トキワ荘ミュージアム

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ここを読んで興味を持った方はぜひトキワ荘ミュージアムへ、寺田ヒロオ展は500円ですが缶バッジも貰えるので元は取れます!リアルタイムだった読者が70オーバーでネットを使えないのでおじいちゃんがマンガ好きだったらぜひ教えてあげてくださいw


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