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わたしの蒐集履歴書 その1

 私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。


#私のコレクション

糸の宝石

ー 古い染織品

 私のコレクションというお題。

 私はもちろんアンティーク・レースなのですが、実は古い染織品全般、ファッションブック(版画に手彩色で着色した図版が綴じ込まれた18世紀から20世紀初頭にかけてのファッション雑誌)、ヴィンテージウエアなどなど仕事柄ファッションにまつわる色々な古いものを蒐集していたんですね。

 しかし、今は追及したいものも定まってレースがコレクションのメインになっています。

《 私のコレクション 》のはじまりのレース
《 アルジャンテラ 》の要素をもつ初期のアルジャンタン・ニードルレース

 私がまだ若いころに出会った青い絹地に縫い留められたこのレースが全ての出発点でした。

 このレースとの出会いと私のコレクションのはじまりについては以下の記事をお読みいただけると嬉しいです。

 はじめてのこのアンティーク・レースと出会ってから、私はこのレースと同時代の18世紀前期のニードルレースにこだわって蒐集することになりました。

18世紀のレース

ー ニードルレース

 前世紀に技術が高度に発達したニードルレースは、18世紀に入りより繊細で洗練された表現を追及したために精緻さを高めていくこととなります。

18世紀前期の精緻なニードルレース
細部のステッチの特徴からブリュッセル周辺で製作された可能性があります
( 1725年ごろ - 1730年代 )
7cm〜8cm程度の細幅のさまざまなニードルレース
( 1725年ごろ - 1740年代 )

 私にとって技巧の行き着いた先にある究極のアンティーク・レースとは、1720年代から1730年代にかけて製作されたニードルレースという考えが長らく頭から離れなかったのです。

18世紀前期のニードルレース ポワン・ド・スダン
( 1725年ごろ - 1730年代 )
スダンの様式によって作られたニードレレースは
フラットで盛り上げレリーフが一部にしか見られないのが特徴
《 モード 》と呼ばれるさまざまな装飾ステッチが生み出されたのもこの時代でした
18世紀前期のニードルレース ポワン・ド・フランス
( 1715年ごろ - 1720年代 )
幅わずか6.5cmのボーダーに驚くほど繊細で緻密なニードルのステッチワークが見られます

 18世紀には顧客が望むのであれば、予算的にも時間的にも制約を設けずに技巧の限りを尽くしてレースが作られていました。

 のちの時代には見られない卓抜した技術と極細番手の亜麻糸で製作されたこの時代のレースはまさに《 糸の宝石 》の名に相応しい工芸品だったのです。

ー ボビンレース

 ニードルレースのみならず、18世紀前期はボビンレースでも技巧的で精緻なレースが製作された時代でした。17世紀末から18世紀にかけて薄くて軽いモスリンのような風合いが好まれるようになったことにより、ニードルレースよりもボビンレースの優位性が高まったのです。

18世紀前期のボビンレース ポワン・ダングルテールのラペット( ボンネットの垂れ飾り )
( 1725年ごろ - 1730年代 )
ポワン・ダングルテール( フランス語でイギリスのレースの意味 )と呼ばれていますが
実際はブリュッセル周辺地域で製作されました

 この時代にはブリュッセルメヘレンヴァランシエンヌの名前を冠した技法の異なる3種類のボビンレースで繊細で緻密な素晴らしいレースが製作されました。

18世紀前期のボビンレース ヴァランシエンヌのラペット( ボンネットの垂れ飾り )
( 1725年ごろ - 1730年代 )
縁取りのないフラットな表現がヴァランシエンヌ・ボビンレースの特徴です
18世紀前期のボビンレース メヘレンのラペット( ボンネットの垂れ飾り )
( 1725年ごろ - 1730年代 )
モチーフを縁取る《 ギンプ 》と呼ばれる太番手の糸がメヘレン・ボビンレースの特徴です
18世紀前期のボビンレース メヘレンのクウラヴァット・エンド( ネクタイ飾り )
( 1725年ごろ - 1730年代 )

ー ブリュッセル・ニードルレース

 ボビンレースがその特性をいかんなく発揮して流行を牽引した1720年代から1740年代にかけて、ニードルレースでもその流れを取り入れて驚くほど極薄で繊細なレースが製作されるようになります。

まるでボビンレースのような18世紀前期のブリュッセル・ニードルレース
( 1730年代 - 1740年代 )
驚くほど軽量で緻密なニードルレース
18世紀前期のブリュッセル・ニードルレース
( 1730年代 - 1740年代 )

 このような極薄で梯子状のメッシュをもったニードルレースは従来はポワン・ドヴニーズ・ア・レゾーと呼ばれヴェネツィアで生産されたと考えられていました。

 しかし、当時の資料を紐解くとヴェネツィアでは既にレース産業は衰退していて、このような高度な技術を要するニードルレースが作られるような土壌はなかったことがわかります。

まるでボビンレースのような18世紀前期のブリュッセル・ニードルレース
( 1725年ごろ - 1740年代 )

 このような繊細なニードルレースにはボビンレース用の亜麻糸が使用され、そのような極細番手の糸が入手できて取り扱える職人を抱えていたのはブリュッセル周辺地域のレース商人たちだけでした。

 どのように優秀な職人を大人数集めても膨大な製作期間を要し、人件費が嵩んだこれらのレースは非常に高額な価格となったと当時の記録に記されています。

ブリュッセル・ニードルレースは当時の記録に《 最も高価なレース 》として紹介されています
これらのレースのメッシュは糸を引き締めて製作されたため
扁平な六角形か梯子状をしているのが特徴です
このような高度な技法のニードルレースはあとにも先にもこの時代をおいて他にはありません

 ブリュッセルでは18世紀中期には、より繊細な表現を可能とするニードルとボビンの混成技法によるレースが考案されました。

 この技法ではニードルレースでモチーフを製作し、グラウンドのメッシュはボビンレースによるドロシェル・ステッチが用いられました。

ニードルによるモチーフとボビンレースのドロシェル・グラウンドのメッシュが使用された混成レース
( 1750年代 - 1760年代 )

 1760年代の資料によると、このようなメッシュをボビンレースで製作した混成レースは全てをニードルレースで製作した作品に比べると劣ると評されていますが、ニードルレースのモチーフに対してボビンを用いてメッシュを繋いでいく《 パレ 》と呼ばれる技術をもった職人は少数で高給取りであったとも記述されています。

 18世紀に最も高度に発達したレース技法とその産業は、世紀の半ば以降徐々に衰退していきます。1770年代に入り宮廷衣裳以外にレースは重要視されなくなり1780年代以降は新古典主義の台頭によりファッションアイテムとして顧みられなくなっていきました。

 流行を牽引したフランス王妃マリー・アントワネットの繊細な感性により豪華なデザインよりも、洗練された小花散らしや花束、リボン、真珠繋ぎなどの大人しいデザインが主流となっていきます。

 また度重なる戦争が生む不況やラキ火山の噴火による冷害や不作によってむかえた経済的危機は国力を衰えさせ、革命前夜の不安定な世情を反映して豪奢で優雅なファッションは否定され、旧体制を象徴するレースは最早人々の羨望の的ではなくなっていたのです。


その2につづく


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