39年前の中国 世界一過酷な旅
Youは何しに中国へ
大学4年生。
1985年、私は3か月間、中国を旅しました。
「世界一過酷な旅」、中国旅行の始まりです。
私にとっては、海外というと
1か月間の台湾旅行の経験しかなく、
世界を旅するとはどういうことなのかを
ほとんど知らない時期の、はじめての長期海外旅行でした。
最初は優雅にヨーロッパを
旅行しようと考えていて、
中国に行く予定はありませんでした。
それがどうして中国になったかといいますと。
その当時、サハラ砂漠をヒッチハイクで
旅をした経験を持つ友人がいて、
そいつに誘われて、ある飲み会に参加したのです。
そこに、中国を旅した経験のある人がいたのです。
私は、当時中国というのは一般人が、
個人旅行を目的に入国することは
できない国だと思っていました。
今の北朝鮮のような感じです。
実際に、1980年ごろまでは、
中国は個人旅行者を受け入れていませんでした。
中国を旅行するためには、
今の北朝鮮のように、
旅行社が企画したツアーに参加するしか方法がなかったのです。
しかし、鄧小平による改革開放政策が始まり、
まずは中国国民の国内移動が自由になり、
次第に海外からの旅行者にも門戸が広がったのです。
そのことを知らなかった私でしたが、
話を聞いて心躍る自分がいました。
なんといっても中国は、日本人にとって憧れの国。
日本にとって、
さまざまな文化や技術を学ばせてもらった歴史ある国です。
しかも、個人旅行の黎明期。
まだ、中国の内情を知る人の少ない中、
私の好奇心はかなり揺さぶられたのです。
そこで、大学4年生最後の
長期休みを利用して中国に行くことを決めたのです。
しかし、それはある意味、悲劇の始まりでもありました。
入国、出国オンリーツアーに参加
その頃、すでに「地球の歩き方・中国版」が
出版されていました。
そして、その「地球の歩き方」に
載っていた広告で、中国旅行ツアー募集がありました。
ツアー自体は好きではなかったので、
あまり興味はなかったのですが、
そのツアーは、日本から広州までの
行き帰りだけをサポートするツアーでした。
また、中国の入国ビザや、
中国初日のホテルまでをセットにしていて、
かなり格安だったので、とりあえずそのツアーに申し込みをしたのです。
あとは旅費です。
大学も4年次になると、
卒論以外の講義はほとんどなかったので、
生活のほとんどの時間をバイトに費やし旅費を稼ぎました。
ただ、その間、教育実習やら、
教員採用試験やらとありましたが、
何とか中国を旅するだけの旅費を稼ぐことができました。
そして、7月後半だったと思いますが、
中国へのツアーのため、羽田に集合しました。
ただ、ツアー参加者は思いのほか少なく、
その数は10名ほどだったように記憶しています。
しかも、ほとんどが、1週間ほどの旅行で、
私のように何か月間も中国を旅行するという方はいませんでした。
私は、もしかすると、
自分が無謀なことをしようとしているのかもしれないと、心配になりました。
さて、飛行機は無事羽田を出発しました。
直接中国に向かったわけではなく、
羽田からまずは香港、そして、
香港から広州までは国境をまたぐ電車で移動したと記憶しています。
そして、中国の広州の駅に降り立ったのです。
その時、初めて中国国内を
見ることになったのですが、
その時のショックは今でも覚えています。
広州でフリーズ
駅を出て、ツアーバスが私たちを
広州のホテルまで運んでくれたのですが、
そのバスから見る広州の光景は
ツアーに参加した全員に衝撃を与えました。
息をのむとはこのことです。
東京を出発してからわずか
5〜6時間しか経っていないのに、
私たちが今降り立った場所は、
その5〜6時間をはるかに凌駕し、
100年前あたりに連れ戻された感覚になったのです。
なんとも表現しがたいのですが、
とにかく、異様な光景だったのです。
中国の広州といえば、
その当時も、中国で5大都市に入る大都会でした。
しかし、明らかに他の国の大都市とは異質な空気なのです。
まず、人の多さ。
日本でも、地方の田舎から
東京の新宿あたりに行くと、
その人の多さに度肝を抜かれるのですが、
中国の広州はその比ではありません。
駅の周りや、主要な場所の
人の多さというと、
何か大規模な集団デモが
行われているかのごとく、どこもかしこも人のるつぼ。
しかし、私たちを驚かせたのは、
人の多さだけではなく、その貧しさなのです。
人々の着てる服、持ち物、
その風貌、そして不衛生な都市環境。
さらに、街の至るところに
「物乞い」がいることも大きな衝撃でした。
社会主義の国です。
すべての人民が、平等に暮らせる理想の国のはず。
ところが現実は、
路上で物乞いをせずには
生活ができないほどの貧しい状況に
陥ってしまっている人がかなりいたのです。
ツアーだったので、
私たちが泊まるホテルは
それなりの高級なホテルでした。
しかし、そこにたどり着いた私たちツアー客は、
バスの中から見た街中の光景が
目に焼きつき、ほとんど言葉が出なくなっていました。
フリーズ状態。
一緒に参加した
3人の女子大生にいたっては、
今にも泣き出しそうな雰囲気でした。
また別の男性は、
それまで、いろいろな国を旅してきて
旅慣れしている方でしたが、
その方ですら口数が少なくなっていました。
明らかにみんな、怖気づいていたのです。
とんでもないところに来てしまった。
この先が不安だ。
ツアー客のみんながそう思ったはずです。
そして、その予想は
その通りだったどころか、
それ以上の艱難辛苦(かんなんしんく)を味わうことになります。
海外のことを
ほとんど知らない純粋な大学生が、
体力、精神ともにズタズタに引き裂かれたはじめての旅。
それが39年前の中国旅行でした。
この続きは、また別の日の記事で紹介します。
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