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台風を好いているのです

シンフォフィリアという言葉を耳にしたことはありますでしょうか?
大規模自然災害などに興奮してしまうことらしいのです。
どの程度からシンフォフィリアと呼ぶのかはわかりませんが。

なぜこんな話をするかと言いますと、私自身、自然災害にドキドキしてしまうのです。
不謹慎な話だとは存じながら、これに関してはどうにもならぬのです。

台風のニュースが飛び交うとワクワクしてしまうのです。
嵐の前の静けさと言いますか、妙に穏やかなその空を見上げると、心拍数が上がるのです。
学校が休校になり、電車が運転を見合わせていると聞くと、これからどうなるものかと心を弾ませてしまいます。
誠に不謹慎極まりなく、申し訳ありません。

風が建物の間を通る音
雨が窓を打ちつける音
日常では見られないその光景にドキドキしてしまうのです。
素足で飛び出して、この小さな身体全身で地球の叫びを受け止めたい。
そんな風に、思ってしまうのです。

台風だけではございません。
雷鳴に悲鳴をあげる同学級の女の子たちをよそに、七つの私は心を躍らせておりました。
なんとも表現仕様のない心地よさと高揚感を覚えたものです。
嵐、吹雪、地震や竜巻でさえも。
大規模までいかぬ程度の自然災害。
一日で尽きるその儚さ。

シンフォフィリアとは、こう言うものなのでしょうか。

もちろん、自然災害は怖いものです。
たくさんの命を一瞬にして奪い去ります。
爪痕を何百年と残すこともあります。
身をもって経験しております。

非日常がそうさせているのか、単に自然災害がそうさせているのかはわかりません。
しかし、そんな非日常な環境を、自然災害を、好いてしまう私がここにいるのです。
きっと多くのお方が無情であると思っていることでしょう。

お葬式で笑ってしまう方も、同じ気持ちなのでしょうか。
理解してくれる人が少なく、他人からは不謹慎だと非難される。
好きでそうしているわけでもないが、非情であると囁かれる。

好きなものを好きと言うのは難しいことであります。
その対象が人以外にあると言うのは時に、辛いことであります。
思うに、好きな人やモノを好きと言えるのは勇気があると言う証であります。
そしてそれは同時に幸運なことであると思うのです。
愛しあうことができるのは加えて、幸せなことであります。

大衆から逸れてしまうと世に生きるのが厳しくなるのは事実。
大衆の一部として自分を隠し生きることが、なんともつまらぬ、生きにくい人生になるのもまた、事実。
そう、思うのです。

人はみな違うためこの世はからふるなのです。
それらが同一になろうとしてしまうのは少し、悲しいことであります。

あまた色があるゆえ、美しさを感じる。
空にかかる橋も一色ではつまらぬとは思いませぬか。

#シンフォフィリア #失笑恐怖症 #対物性愛
#台風 #自然災害 #好き #エッセイ #とは

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