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「新・日本列島から日本人が消える日(上)」/ミナミAアシュタール

<毎週1冊、小説を読むPJ>… No.11

読了日:7.1

ある種の整合性を持つ 歴然とした年代記
それを史実と認めるならば
我らの肯定してきた歴史とは何なのだろうか?

「黒の予言書」アルバムChronicle2ndより/Sound Horizon


「新・日本列島から日本人が消える日(上)」について

作者:ミナミAアシュタール
出版社:破・常識屋出版

この本を「小説」と呼んでいいのか…少し難しいところがあります、が、いいでしょう!

著者の1人であるあつしが、ミナミという女性と出会う。何気なく話していると、彼女は突然「レイキ」について語り出す。さらには、宇宙人と会話ができることも。彼女が会話をしている宇宙人「さくや」が、宇宙と地球の真の歴史をあつしに語る。ムーとアトランティスの真実。日本列島の持つ意味。宗教の成り立ち。日本の歴史の真実…。衝撃を受けながらも、あつしは真の歴史を理解していく。

途中からは、基本的にあつしと宇宙人さくやの会話形式のみで進んでいきます。というところで、小説…?となるし、この本としては「真実」を語っているので、歴史本、でもいいかもしれません。

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「新・日本列島から〜」と私


この本を、私は一度読んでいます。
先日の「十字架の女」のレビューの中でも紹介した通りです。

今回もう一度読もうと思ったのは、今週の小説の目星をつけられなかった()のと、「十字架の女」で思い出したので、もう一度読んでみたいと思ったから。

この本との出会いは、前職時代。
当時の上司にお勧めされたのです。

読んでびっくり。普通の本ではない!
この本をお勧めする、っていうのはそこそこ勇気がいることだと思うんですが。
上司すごいなと思いました。

なぜこの本をお勧めされたのかというと。
当時私は、会社内での女性活躍について、若手女性で意見交換をして社長に上奏する、というプロジェクト?の簡単なまとめ役をしていました。
そこで、女性活躍について、何かいい本はないか?と、同じ女性で活躍している上司に聞いたんです。

そこで返ってきたのが、この本でした。

読み始めた時は、全く理解できませんでしたね。この本が女性活躍とどう関係あるのか…?と。突然宇宙人が出てきて、真実を語り出す訳ですから、もう女性活躍どころの話じゃない。

今回は上巻のログなので、話は出てこないのですが、下巻まで読んで、やっとなんとなく意図が理解できたような気がします。

まぁ、びっくりしながらも、一気に読んでしまうくらい、惹きつけられる面白さはありました。

ただ、「うわ〜。この本も、お勧めした上司もやばいな〜」とか思って読まずに上司とも距離を取る、とかしなかった私もすごい。
結局受け入れる素質があるからこそ、相手もお勧めしてくれるんだろうなと今では思います。


読んでよかったか

これは、読んでよかったですよ。
若干の誤字脱字や会話形式が気になるところもありますが、内容は本当に面白い。興味深い。

歴史は勝者によって書かれたものである

ということは頭では理解していますよね。
中国の歴史についてでもよく言われる言葉です。
前王が悪いやつだった、ってことにしないと、それを倒して王になった現王が素晴らしい人だ!ってことにならない。っていう。

それがもっと、大きなところでも行われている、とは、中々思えないんですね。そして今現在も行われている、とは。

この本に書かれたことを、全部そのまま真実だと捉えるか。
それは、人によっては抵抗があるだろうし、誰か1人が書いたものを鵜呑みにする、ということにも若干の抵抗はあります。

が。
私が感じていること、それは宗教に対してもそうですが。
こういうことは、信じた方が信じないよりは面白い、ということ。

これが真実かもしれない、って思うワクワクは、損ではないと思いますよ。
そして確かに、教科書で教わったものよりも、説得力はあります。


感想


この本を、読み進めることができる素質のある人。

これは、全くのフィクションではない、ということはすぐにわかります。著者名の説明が出てくるからです。

ミナミAアシュタール

とは、あつしがA、あつしと出会ったミナミ、ミナミと会話している宇宙人のアシュタール、をくっつけたものだ、と。

そこで、あ、この人は、実際に自分に起きたことを書いているのだな、とわかります。その上で、会話形式も受け入れつつ、宇宙人との会話という状況も受け入れつつ、読み進めることができた人。

が、まず納得できるポイントって、縄文土器についての説明かな、と思う。

縄文土器と弥生土器についてどう習ったか?

縄文土器は分厚くて脆い。
弥生土器は薄くて硬い。

こんなの小学校とか中学の歴史で習うくらいのものだけど、いまだに覚えてる。
ここで、縄文→弥生で技術が進化した、っていうことが書かれてたと思う。
=いい事。

そこでさくやさんは、「土器の装飾はどうか?」と尋ねる。

弥生土器はシンプル。縄文土器は装飾が施してあり、祭祀用だったのではと言われている。つまり、日常に使っていたのではない=常用に耐えられない脆さである、とも。教科書に書かれている事である。

対してさくやさんはさらに、「縄文土器がそんなに脆いなら、何故このような凝った装飾が可能なのか。細かい装飾が、何故長い年月を経ても土の中で崩れずに、そのまま出土しているのか」と指摘する。

これは考えたことがなかったし、とても説得力のある言葉だと思う。すごく納得できた。

この発言だけで納得することも愚かなのかもしれないけど、教科書で習ったことに対して、大した疑問も持たずにいたな、というのを自覚する。
これが真実だとしたら、それを裏付ける確証は…と思ったりもするけど、そういう話でもないかもしれない。

これまた私が考えていることではあるけど、「真実」っていうのは存在しないんじゃないか。これを言うと元も子もないかもしれないけど。

ない、って言うと難しいから、いくつもある、でもいい。
でもいくつもあるんだったら、それは真実、って言えるのか?ってこと。
そういう意味で、ない。

観測者によって真実は変わるだろうし、記されたものが伝えられるうちにそれが「真実」となってしまうこともある。

現代の人が、何かに対して「真実かどうか」「実際に起こり得るかどうか」を判断する基準のほとんどは、科学的根拠な気がする。
霊的存在を信じないだとか、占いを信じないだとかもそう。

霊的存在は見えないから信じないのに、電波の存在を信じているのはなぜ?と問われて、電波は科学的に立証されてるから、と答える。

科学的に。

私は結局それも、科学絶対主義も、ある種の宗教なんじゃないかと思う。
神学が教えられていたように、現代ではたまたま科学が教えられているんじゃないか。

科学は全てを解明しているわけではないのに、現在の知識で分解できるものしか信じない世界は、少し寂しい。


「実は縄文土器を作るのには高い技術が必要で、縄文土器の強度は高い」ということを言うのに、科学的根拠を集める必要は必ずしもないんじゃないかな。

「真実」を追究して突き止めることよりも、その事象や主張を、自分がどう受け止めて、どう感じるか、何を思うか、なんじゃないかな結局は。

ということを考えました。
まぁ、この本が真実だったらいいな〜とは思うかもしれない。私は。


読んでいる最中の感想は、この記事冒頭に引用した歌詞そのままである。


ある種の整合性を持つ 歴然とした年代記
それを史実と認めるならば
我らの肯定してきた歴史とは何なのだろうか?

「黒の予言書」アルバムChronicle2ndより/Sound Horizon

この小説は、本当にこのまま。
これが事実だったら、私たちが今まで教えられてきた歴史って何なんだろう?ってなる。

正確にはならないかもしれない。勝者の歴史だな、ってなるだけかも。だからどちらかと言えば「何」はwhatじゃなくて、「真実って一体…」っていう、虚しさ的な感情である。

だから、結局はどこから見るか、なんだな、ってなる。
観測者は誰で、視点はどこなのか。

事実如何あるけど、そういうことを考えさせてくれる小説なんじゃないかなと思います。

来週は下巻を読む!

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