俳句の誕生_Fotor

空白の時間に遊ぶ〜『俳句の誕生』

◆長谷川櫂著『俳句の誕生』
出版社:筑摩書房
発売時期:2018年3月

俳諧連歌にはいろいろな形式がありますが、江戸時代に流行したのは歌仙だといいます。五・七・五の長句と七・七の短句を連衆と呼ばれる参加者が交互に三十六句詠み連ねるものです。

歌仙では一句ごとに描かれる場面が変わります。同時に句を詠む主体も次々に変わっていく。主体の転換こそが歌仙を進めていく原動力となります。言い換えれば自分ではない他者になって句を詠むことが行なわれるわけです。俳諧の「俳」の文字は白川静によると「二人並んで戯れ演じること」を意味します。それは「ある人が別の誰かに成り代わって演技」することにほかなりません。「俳優」と「俳句」に共通して「俳」の字が使われているのは偶然ではないのです。

では歌仙の発句が独立して俳句が誕生したとき、主体の転換はどうなったのでしょうか。結論だけをいえば一句のなかでそれは実現されたというのが本書の認識です。

一句の中での主体の転換は「切れ」によってもたらされます。芭蕉の有名な句「古池や蛙飛び込む水の音」では「古池や」で切れが生じ、そのあとに間が広がる。この空白の時間のうちに「現実の芭蕉」から「心の世界の芭蕉」へと主体の転換が起こった、というのが長谷川の読解です。

こうした主体の転換こそは、柿本人麻呂の時代から日本の詩歌で実践されてきた重要な特徴といえます。詩歌を作るとは「詩歌の作者が作者自身を離れて詩歌の主体になりきること」。他者を宿すには役者は空の器でなければなりません。我を忘れてぼーっとする。空白の時間に遊ぶとはそのような意味です。それは言葉以前の世界の消息を伝えようと試みることでもあります。

ところで俳句の創始者・松尾芭蕉が生きたのは古典主義の時代でした。江戸の太平の時代が訪れたとき、内乱で滅んだ王朝と中世の古典文化復興の機運が沸き起こります。文学の世界でそれに取り組んだのが芭蕉です。
すなわち、芭蕉は俳諧と発句という江戸時代の新しい文学の器に古典文学を蘇らせようとしたのです。先の文脈に即して言えば、俳句のなかで「空白の時間に遊ぶ」ことをやろうとしたわけです。

ところが江戸時代の半ば以降、家斉の贅沢三昧な治世の下で貨幣経済が農村にも浸透していきます。社会の大衆化がすすみ、大衆文化が花開きました。俳句人口も膨れ上がり、当然ながら古典文学を知らなくても作れて読める俳句が求められるようになります。そのニーズに応えたのが小林一茶です。一茶は古典など引用せず、日常のふつうの言葉で誰でもわかる俳句を作りました。

そのとき近代が始まったと長谷川はいいます。なぜなら大衆化こそが近代をもたらしたものだから。
政治に参画する主権者が特権階級から市民階級にまで拡大したこと、政治の大衆化をもって政治の近代化というならば、大衆化こそが近代化というのが長谷川の見解です。その意味では、一茶の俳句は芭蕉や蕪村の古典主義俳句を脱してすでに近代俳句だったということになります。

そうすると正岡子規に与えられてきた近代俳句の創始者としての看板はおろさねばならなくなります。が、単なる中継者の地位に下落するわけでもありません。子規は「写生」という近代俳句にふさわしい方法を提起しました。そのことを長谷川は評価します。

それは「目の前にあるものを言葉にしさえすれば誰でも俳句ができるという、近代大衆俳句が待ち望んでいた俳句の方法」でした。子規は近代大衆社会の新しいメディアである新聞を舞台に読者大衆に写生俳句を広めていきました。子規の写生は近代大衆俳句の立て看板になったのです。

ただし子規の写生は「詩歌の源泉である心を遊ばせること」を否定するようなものでした。言葉の想像力を視野に入れないという重大な欠陥を抱えていたのです。

子規の弟子・高浜虚子は写生をさらに先に進めて「客観写生」を唱えます。それは長谷川によると、想像力の働きを無視するという写生の欠陥をさらに際立たせる方法でした。それに対して批判が起きると「花鳥諷詠」を提唱します。これは事実上「客観写生」を否定するものです。
その後、加藤楸邨、飯田龍太の二人にいたって、俳句はふたたび言葉の想像力を回復し、古代以来の詩歌の大道に立ち返りました。

……以上が本書によって描き出される俳句の大まかな流れです。
このような俳句史が研究者のあいだでどの程度の支持を得ているのか、私はよく知りません。率直にいって本書を読んだかぎりではいくつか疑問も残りました。芭蕉の句「古池や……」に関する解説はやや大仰な感じがするし、連句とシュルレアリスムとの共通性に言及するくだりも面白いといえば面白いですが、やはり少々の無理を感じます。

一茶論のくだりで大衆化すなわち近代化とする大雑把な用語法にも違和感は拭い難いのですが、とはいえ一茶の句が親しみやすい庶民性をもっていることは確かでしょう。俳句に限らず映画でも美術でもそれを味わうためには歴史的文脈をある程度知悉しておくことは必要ですが、作品のハイコンテクスト性が強ければ強いほど、そのジャンルはより閉鎖的になることも否めません。その意味では一茶が俳句の歴史に刻んだ足跡は貴重だと思います。あらためて一茶の句集を手にとってみたくなりました。

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