人間の未来AIの未来

知性の再定義を迫られる時代を生きる〜『人間の未来 AIの未来』

◆山中伸弥、羽生善治著『人間の未来 AIの未来』
出版社:講談社
発売時期:2018年2月

異業種対談なるものは、往々にして両者が無理に話を噛み合わせようとするあまりに一般化・抽象化に流れてしまい、一流人同士でも思ったほどおもしろくならないことが多い、と常々感じてきました。けれども本書はその不首尾を免れた貴重な一冊といえそうです。

話題は多岐にわたります。iPS細胞研究の最前線やノーベル賞受賞時の挿話、将棋界の新しい動きや藤井聡太論、人材育成のあり方……などなど。二人の達人が互いに相手をリスペクトしながら交わす言葉のやりとりが穏やかな中にも適度な知的スリルをもたらしてくれるとでもいえばよろしいか。

そのなかでもとくに読み応えを感じたのはAIをめぐる対話。どちらの分野にとっても関連のあるテーマということもあってか多くの紙幅が費やされていて、リラックスしたなかにも濃密な議論が展開されています。

山中のユーモアをまじえたトークも楽しいものですが、羽生の勉強家ぶりにも大いに感心させられました。やはり知的な人だと思う。AIと人間の関係をめぐる羽生の問題意識は、知性が抱え込まざるをえない自己言及的な性質を意識したもので、古くて新しい哲学的問題といってもいいでしょう。

「今後、私たち人間は「知能」とか「知性」をもう一度定義しなおさなければならなくなるかもしれません」と秀逸な問題提起をした後に、さらに次のように言葉を継いでいきます。

「この分野ではAIは人間以上のことができる」とか「これは人間にはできても、AIにはできないだろう」といった議論をしているときに、「では人間が持つ『高い知能』の知能とは、いったい何なんだろう?」とあらためて考えざるを得なくなると思います。(p91)

山中はそのような発言を受けて、AIは「膨大な知識」を持ち、冷静沈着な判断を行なうが、あくまで「優秀な部下の一人」「セカンドオピニオン」にとどまるとの認識を示します。最終的な判断を行なうのはやはり人間である、と。AIは発展途上のテクノロジーですが、研究者としての現時点での当然の結論かもしれません。

さらに羽生がみずからの将棋観を語るくだりも将棋という一分野にとどまらない普遍性をもったもののように感じました。

将棋の世界は「いかに得るか」よりも「いかに捨てるか」「いかに忘れるか」のほうが大事になってきます。たとえば自分がすごく時間をかけて勉強したものを捨てることはなかなかできないんですよ。(p133)

羽生のこのような考え方は、ロラン・バルトの言葉を想起させます。「学んだことを忘れてゆくという経験」を「叡智」と名付けたバルトの言葉を。

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