見出し画像

反骨精神をオブラートでつつむ!?〜『よもだ俳人子規の艶』

◆夏井いつき、奥田瑛二著『よもだ俳人子規の艶』
出版社:朝日新聞出版
発売時期:2023年9月

正岡子規は近代俳句の創始者として日本の俳句史においては最重要の位置を占める一人。子規は何よりも「写生」という近代俳句にふさわしい方法を提起した俳人として知られています。

本書はそのような子規について、俳人の夏井いつきと俳優・映画監督の奥田瑛二が語り合います。奥田も三十年以上、趣味で俳句を作っているらしい。

表題に採られている「よもだ」は伊予の方言で「へそまがり」とか「わざと滑稽な言動をする」という意味。天野祐吉はそれを「反骨の精神をおとぼけのオブラートでつつんだような気質」と表現しました。
「修辞を捻くり回す守旧派を陳腐と断じ、西洋画からヒントを得た「写生」という技法を提唱」(夏井)するに至る子規の姿勢から二人は「よもだ」的気質を読み取るのです。

私自身、子規の俳句を熱心に読んできたわけでありませんが、病床で苦闘した俳人としてのイメージが強かったと思います。本書では、奥田が「艶俳句」と呼ぶ、遊里や遊女をモチーフにした句について対話が弾んでいるのが印象的。子規はそこでもありのままに遊女を「写生」したのです。

色里や十歩はなれて秋の風
虫干や釈迦と遊女のとなりあひ

……当時、宝厳寺という寺は遊郭街のどん突きにあったらしい。何も知らずに読めばこれらの句の意味を汲み取ることはむずかしいかもしれません。二人は当時の面影を残す建物がなくなったことを惜しんでいますが、私もそう思います。

女郎買をやめて此頃秋の暮

……子規自身もけっこう女郎買いをしていたようです。「もしかしたら子規は、季語〈秋の暮〉が内包している「もののあはれ」のような感覚を持っていたのかもしれないね。常に心のどこかで、〈十歩はなれて秋の風〉を感じている」という夏井の解釈が興味深い。

傾城の噛み砕きけり夏氷

……盛夏に遊女が氷をけだるくかじっている図は想像だけでは生まれないでしょう。実体験のリアリティを感じさせる句。奥田はこの句に「映画的」なものを感受しています。

というわけで、映画のように句を読む奥田とスチール写真のように解釈する夏井の読解の相違は、本書をとおして随所に感じられる好対照です。当然ながら俳句の味わいは、読み手次第でいかようにも変化するのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?