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「小さな感動屋」と「小さな不満屋」

こんばんは。
調子に乗ってまたまた今夜も来てしまいました。

ほんで、なにこのタイトル?
ってなりますよね笑
これは、歩きながらなんとなく思っていて、ネーミングに関してはお風呂の中で閃きました。

世の中には大きく分けて二種類の人間がいる。
こんなセリフ聞いたことありませんか?
例を挙げるなら「雇う側か雇われる側か」「品位ある人種とそうでない人種」「善人と悪人」などなど、その内容はさまざま。
今回私がお伝えしたい、二種類の人間。
それは「小さな感動屋と小さな不満屋」
別に店でもないのにねwネーミングセンスw

でも、確かにこの二つに分けられると思っている。
「小さな」というのは「小さいことでも感動を感じられる人」「小さなことでも不満に感じる人」という意味でつけている。

あなたの周りの人たちはどうだろうか?
ちょっとしたことでも「うわ~めっちゃいいことあったわ」と言う人もいれば「なんであんなことになんの?ほんま腹立つ」とか言って四六時中何かに文句を言っている人はいないだろうか。

私は自分で言うのもなんだが、わりと感動屋である。
それも大したことでなくてもけっこう喜ぶ。
今日の私の幸せをみなさんに聞いてほしい。

まず、今朝も徒歩通勤してきたのだが、なんせ朝日が清々しくて気持ちがいい。
さらに鳥の「チュンチュン」という鳴き声がさらに朝のさわやかさを増長させた。
たまにキラキラした道路があるのをご存じだろうか。
カレット舗装といって(今急遽調べた)、車のライトで照らした時にキラキラを反射させて、道の区別をつける的な効果があるのだが、それさえも
「朝日がこのキラキラした道を照らしてくれている!!私と言う主役が通る道を…!!!」と思いながら朝からてくてく歩いて会社に行きました。
楽しいよね笑

続いて、昨日奥歯の被せものがとれてしまったのだが、朝の開業と共に、前に通っていた歯科医院に電話をしたところ、30分後に来てもらえたら診察できますと言われた。

そこはかなり前から通っていた歯科医院なのだが、うちの支店が移転したことによって徒歩10分で行ける場所になった。
しかも、うちの会社はスーパーフレックスなのでこういうことに融通が利く。これも、私が異動してから変わった就業規則である。
なんて恵まれているんだろう…という満ち足りた気分で胸をいっぱいにしながら、足取り軽く歯科医院へ。
「歯が折れています」という衝撃的なワードを聞いてもどこへ吹く風。
「歯を残す方向で頑張ってはみますが、もしかしたら抜かないといけないかもしれません」というまたまたハードでバッドなお知らせもあったが、まずはすぐに歯医者に来ることができたこと、そしてしっかり処置をしてもらえたことの喜びの方が大きかったので、全く凹んでいない。むしろ、鼻歌を歌いながら会社に帰った。

夕方の甘いものが欲しくなった時間に、上司がカントリーマアム(しかも贅沢バニラ!※ちょっと高そう)と、期間限定のピーチティーを分けてくれたのも嬉しかったし、帰りも涼しいからとまた歩いて帰ってきたら、今まで気づかなかった超お洒落なスイーツ屋さんがあることに気付いたときの私の目の輝きと言ったら…

さらに帰りに焼き鳥屋さんを見て、上司と行きたいな~今度焼き鳥で一杯いかがですかって言ってみようとLINEでその旨を伝えたら、「え!?!?私も焼き鳥誘おうと思ってたよ!!明日行こ!」という返事が返ってきて言葉にならない喜びを感じた。

本当になんでこんなに嬉しいことが、幸せなことがどんどんどんどんやってくるの!?と、天にも昇る気持ちになった。

ちなみに彼は趣味を楽しんでいる真っ只中で、それを見ているだけでも幸せが込み上げてくる私なのであった。

どうだろうか?
このエピソードを聞いて「しょっぼwwwwww」と思う人もいれば「こんなにいいこと続きだったんだ~」と微笑ましく思ってくれる天使のような方もいらっしゃるかもしれない。はたまた「たまたまいいことが重なっただけじゃないの?」と思っている人もいるかもしれない。

たまたまと言われればそれまでかもしれないが、私の幸せの沸点は異常に低い。
1つ、本当に幸せだなと思うのは、味覚が鋭くないこと!笑
なにを食べても美味しいと感じるのは幸せなことだと思う。

では、もう一方の小さな不満屋について書いていきたい。
みなさんの周りにも必ず一人はいるのではないのかなと思う。
ちょっとしたことでも不満を言う人、文句を言う人。

今日の私の例で言うと、どれだけ清々しい道を歩いても「いや、日焼けするわ」と感じたり、「歯折れてるとか絶望でしかない。ほんまいいことないわ」「ピーチティってなんやねん、コーヒー飲みたかったわぁ~」と思うだろうし、彼は趣味と向き合わず私と向き合えと思うだろう。

不満屋だって感動するときもきっとあるのだと思う。
もちろん、感動屋が不満を抱くこともある。
でも、大きな違いとしては「現状に満足できているかどうか」かなと思う。
※個人の見解です

今の自分に満足していたら「そりゃこんな私だから良いことが降ってくんのよ~わかるぅ~!?」ぐらいの思考になる。私がそうだ。

だが、自分ってなんでこうなんだろう…と思っていると、ちょっとしたことでも人と比べ、劣等感を抱き、それが相手に伝わらないようにさらに棘のある言葉や内容を投げつけ、誤魔化す。

私は、私の批判をしてくる人はみんな私に憧れているんだと本気で思っている。
その人にないものを持っているから、仕方ないよな~と納得する。

でも、これもきっとすべて繋がっているんだと思う。

恋愛で例えてみると、先日彼が美容院に行っている間に時間を潰さないといけなくなった。聞けば3時間はかかるという。
この時、あなたはどう思った?

私は「え!?3時間もこの広いイオンを自由に見回っていいってこと!?まずはパン屋でパンとホットココアでも飲んでから、大好きな家電屋に行って家電の匂いをいっぱい嗅いでこよう!(変質者)それから家具も見に行って、服も見に行って、化粧品も…」ということで頭がいっぱいになった。
またある時は「彼が3時間いないのか~じゃあ私はマッサージ屋に行って、癒されてこよっと♪」と言うように、一切の不満を抱くことがない。

私のような人間もいれば「3時間て…ふざけてる?私のこと好きじゃないやん!一人にするなんてあり得へん!!!」と、不満で満タンになる人もいるだろう。

どちらが絶対正しくて、絶対間違っているとかはない。
あくまで私の感想だが、どちらの方が楽しそうかという点においてはきっと感動屋に軍配が上がるのではないかなと思う。

これを読んで、「私は普段から不満が多いから、感動できるようにならなきゃ」なんてことはしなくていいし、感動とは無理やりするものではない。

ただ、そういう目で一度周りの人を見てみてほしい。
感動屋はどんな生き方をしているか?欲しいものを得ていそうか?人生に満足していそうか?
また、不満屋が口にしている不満は、考え方を変えたら感動屋になれないだろうか?この人、自分で不安を迎えにいってるよ…という人もいるかもしれない。
不安になりたい人なんていないと思うが、不安のほとんどは自分が勝手に決めつけたり、思い込んでいるだけだったりする。やめよう、時間がもったいない。
なにか発見があったらぜひコメントで教えていただきたい。

この、周りの人を観察する癖がついたら、きっと自分の口癖や思考にも気付けるようになっていると思う。

感動屋になるために!!でなかったとしても、
「この人小さな感動屋だ!」「この人は小さな不満屋さんだな」と考えながら観察しているとシンプルに楽しいのでおすすめです笑

あと、潜在意識の観点からいくと、感動レベルは一定だとよりよさそう。

例えば「彼に会える♡」これは感動レベル100で間違いないだろうが、「天気いいな~」これも100、「チキンラーメン美味しい!」これも100、「いっぱい寝れた~」これも100というように、どれだけ小さいことでも100点満点感動できていれば、きっと感動レベル100のことがたくさん起こるようになります。
これはぜひ、試してみてくださいね。

まったくうまいことまとまっていませんが、今日はこれにてドロンします(古)


昨日のnote、たくさんの方にご覧いただけてとっても嬉しかったです。
ありがとうございました!


それでは、また。

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