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親離れ、子離れ


子供たちを送り出す。

朝のこの時間がホッとする。

息子は小学校を卒業間近。

もう6年前になるのか、と振り返る。
入学したての頃は、
毎朝無事に学校についたかどうか
心配で朝は気が気じゃなかった。

今では無事を祈りつつ、
心に余裕を持って束の間の自分時間を
大事に過ごせるようになった。

無事に学校についてくれている証拠。
ありがたい日々に感謝。


いじめ


突然だが、私の母は過保護だったと思う。

学校で嫌なことがあって、初めて休みたいと訴えた5年生の夏。
当然、母は執拗に何があったのか尋ねてきた。

それからだと思う。
私は母に何か打ち明けるのを躊躇うようになった。

嫌なこととは、同じ女の子に中学に入るまでいじめの標的にされていたということ。
そのいじめが2年も続いていたのは、彼女は私をいじめながらも都合よく私を”親友”と呼ぶので、親友なんだ、、と思うと離れられなかったのだ。

母に知られてはいけない。

理由なんてわからない。
でも、絶対知られてはいけないと隠し続けた。

子ども心に親に心配をかけたくなかったのか、
執拗に聞かれるのが嫌だったのか、
正直なぜだか覚えていないのだが、

思えば休みたい理由を聞かれた時、母はヒステリックになっていたので私は、自分が怒られていると思っていたのだ。

もちろん母が心配してくれていることはわかっていた。

だけど波風なんか立てたくない。
ただでさえ学校でも落ち着かないのだ、
家では平穏で居たかった、ような記憶がある。

必死で元気で明るい娘を演じた高学年時代だった。


子離れ


いじめを一人で乗り越えたわけではない。

しかし残念ながら親には解決できなかったと思う。

中学に入っても相変わらず標的になっていた。
そんな私を救ってくれたのは何校かの小学校が合併したので、中学で出会った新たな友人だった。

別の小学校の気に入らない奴が大きい顔をしていることに気付いたのだろう。

私をいじめていることを理由にガツンと言い負かしてくれた。
特に話した記憶もなかったので驚いたけれど、今思い出してもあれは逆転劇だった。

救ってくれたのは当時でいう、ヤンキーギャル。
そのことで仲良くなり、今でも私が心を許せる友である。

私を”親友”だと言っていた彼女は
その一件以来、控えめな女の子になった。
私を見るとニコッと笑い、別に従える子を連れて
いそいそと離れてくれるようになった。
(全くもっていじめをやり返したわけではない)


このように、親の出る幕は私の場合なかった。

親に隠して学校に行き続けた経験は、今でも私の中で自信となっている。

逃げ出したい時に、
よく学校に行き続けることができたね。

ある意味親のおかげかもしれない。

もちろん、耐え続けろ、と言っているのではない。
あくまで”親が出来ること”の話である。
休むもやめるも行くも、本人が選択するということ。

私の場合は、高校や仕事で何かあっても、極力行くことが出来た。

いいことも続かないが、嫌なことも続かないのだと学ぶことができた。
そうして自分で学べたことは自信につながる。
自分で学ぶことが重要。

親は、心配な時はあくまで目を離してはいけない。心を離してはいけない。

あの時親が入り過ぎてしまっていたら、
いじめは無くならなかったと確信している。


私も親になった今、心配は尽きない。
息子のことを何でも把握したい時期もあった。
でも、やはり息子自身もそれは望んでいないのだ。

子離れの必要を感じた時、
わたし自身の経験を思い出した。

あの時乗り越えられなかったら、
今も嫌な過去のままでいただろうし、
息子を心配する気持ちは一層、膨れ上がっていただろう。

乗り越える経験、というのは
できれば目の届く内に経験させてやりたいのだ。


いじめの連鎖


結婚して家を出てから、風の噂で聞いた。

私を”親友”と呼んでいた彼女の実家の話。

よく放課後、家に遊びに行っていたとき
いつもおばあちゃんがもてなしてくれた。

少し先生が介入しなくてはいけない問題が起こったとき、彼女の母親は本当に丁寧に謝ってくれた。(それでもいじめは続いたが)

彼女の家族にはそのくらいの記憶しかない。


風の噂とは、嫁姑問題だ。

彼女の母は子どもたちが巣立つタイミングで同居を解消。

それも相当揉めていたのだと言う。

子育てを終えて次に待っていたのは
介護だったのだ。


私が初めて知った事実は、(友人からすると)お婆ちゃんがお母さんをいじめていたのだと言うこと。

家にお邪魔する時、いつもお母さんが居なかったのは
台所に立つことを許されていないほど当たりがひどかったので、家に居づらく働きに出ていたからだった。

仕事をし始めると孫に母親の悪口を言い、孫の目の前で母親を罵っていた。

孫の胸中はどうだったのだろう。

夫婦喧嘩は子どもの前で禁物、と言うように
子どもは罵声に敏感だ。
罵声を浴びせずとも嫌がらせが酷かったそう。

家庭で起こる問題は子どもの心が抉られるようだ、
と聞いたことがある。

そして噂を聞き悟ったのは、友人も心が傷ついていたと言うこと。


日によってはご機嫌で、
日によっては不機嫌で、
そんな彼女にいつも振り回されていた。

お母さんがいじめられているのに、
守りたい
そう思える心が持てなかったのは
同居によってあまりにも日常過ぎて
子どもの心が麻痺していたからだったのだ。

自分自身不安定だったのだろうと大人になって理解する。

いじめの連鎖とはこうして起きるのかもしれない。


親の役目


私はいつもこう思うようにしている。

”私たち親が、子どもにできることはたかが知れている”
と言うこと。

これはあくまでもいい意味で。


子どもというのは本当にすごい。
よく可能性は無限大、というが
言葉の通りどの子もその可能性は計り知れないと思う。


オリンピック選手だったり何かを成し遂げる力だったりは、確かに目に見えてすごいのだが。

すごさとはそうではない。


育てているようで、私たち親は確実に子どもに育ててもらっている。

守っているようで、守られているのだ。

生まれて、生きて、居てくれるだけで救われる。
さんまさんの”生きてるだけで丸儲け”、とは
それだけ価値がある、ということなのだろう。

たかが知れているというのは、
”私がいなくちゃ”という概念を持たないということ。

子どもを見守る強さを持つのだ。

してやれることは、確かに年々減っていく。

では、幼い頃にどうやって関わるか。

これは私も耳の痛い話だけど、子どもが幼い頃はそんなことを常々考える余裕もなく、ただただ目まぐるしい環境に一杯一杯である。

しかしそのことに気付いた時、が
子どもの一番幼い時期なのである。


今より幼い時期は二度とこないということ。

極論、子どもが30歳でも50歳でも、子どもに悩む母たちにも同じことが言えるのだ。


やり直し、ではなく、
築き上げるということは
常に出来るし、今までもそうしてきたはず。

大切にしているのは
間違いや後悔の先、どこでどうシフトチェンジをするかということ。

子育てなんて失敗の連続。
なのに、子どもは親を必要としてくれる。

そんな存在に時には甘えても許されるのだ。

大きくなるにつれて自分を大事にできた子は
やがて親から巣立っていく。

しかし、甘え甘やかしが続く親子は
いつまでも親から気持ちが離れられていない子になり
自分を大事にできていないと感じる。


これは性教育の一部だと思う。

性的ではなくとも、自分の体を気遣えず大事にしない親を見て、子どもが自分を大事にするようになるのだろうか。

毒親から離れる、とよく目にするが、その考え方では、一生囚われているのではないかと思う。


ただ、自分を大切にする。


親がそうであれば、きっと子どもは安心して
自立できるのではないかと思うのだ。


私の知る例で、
常に目をキラキラさせている世界を飛び回っている友人がいる。彼女は自身の両親を尊敬している。

父だけの収入で充分暮らせたのに、
母は仕事も趣味もこなし、
こども三人を立派に育てた。

沢山求める人は、どれも自分の思い通りになるわけではない。
もちろん求める分、こなしたい分大変だっただろう。
けれど自分を大切にするにはどれも妥協できなかった。

ある程度子どもが成長して
仕事で家を開ける時、趣味に出かける時も
子どもが寂しくならないように、
母はいつも楽しく振る舞った。

申し訳なく出かけるお母さんよりも
楽しむお母さんなら子どもも嬉しい。

常に一緒にいる両親ではなかったそうだが
不仲を感じたこともないそうだ。
自分を大事にできる相手を尊重しているという。

そんな両親は子どもを信頼し続けた。

何をする時も信じて応援してくれた。
そしてたくさん挫折もした。
そんな時友人が親御さんからかけられた言葉が、

あなたは大丈夫、

だった。
それも笑顔で。

頑張れ、ではなく、大丈夫。
失敗しても、助言ではなく大丈夫。

実際そう言える親がどのくらいいるだろうか。

子どもを安心させるのは、親の心の底からの
信頼と励ましが効果的なのだ。

それを続ければ子どもの心は必ず変わる。

きっと心の支えになるのだ。

だって、悪いことも一生続くなんてことはないのだから。

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