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書評エッセイ/『エタンプの預言者』(アベル・カンタン著 中村桂子訳)一冊の本の大炎上と熾烈なキャンセル・カルチャーを描いた仏文学の傑作

 二〇一九年にデビュー作がフランス最高の文学賞であるゴンクール賞候補となったアベル・カンタンの第二作は、「レイシスト」のレッテルを貼られ大炎上してしまう六五歳の元大学教授の話である。大バッシングの嵐に晒され身も心もボロボロになるなか、主人公は自身の反人種差別信条が時代錯誤であることを教えられる。読者の多くは主人公と共に、欧米の新しい反レイシズムの考え方を学び、その厳格さに当惑するかもしれない。

 デビュー作同様数々の著名文学賞の候補になった本作は、エスプリの効いたユーモア小説でありながら、仏米が戦後辿った社会情勢や多様性に関する様々な考え方が織り込まれており読み応えのある一冊である。

 物語は、キャリアでも家庭生活でも失敗し酒浸りの日々を送っているロスコフが一念発起して、アメリカ黒人詩人ウィローについての研究書籍を出版するところから始まる。『エタンプの預言者』と題されたその本への世間の反応は希薄だったが、出版記念トークショーでのロスコフの発言が参加者のブログにアップされるや、彼はネット狩りの餌食になる。

 ロスコフは、著書のなかでウィローが黒人である側面を全く語らなかったことを理由に、レイシストのレッテルを貼られたのである。かつてアラブ人の人権運動に身を投じたロスコフにとって、それはいわれなき誹謗中傷であった。輝ける八〇年代そのままの理想を掲げる彼は「人種」という概念に囚われずに詩人ウィローをカラーレスに評価することこそが、反レイシズムの究極の目的に繋がると信じていたのである。さらにアメリカ現代史に詳しい彼は、ウィローがアメリカ黒人中産階級のしがらみから解放されたいが故に共産主義者に転じ、フランスに逃れてきたと解釈していた。

 「ウィロー本人が黒人作家として読まれることを望んでいなかったはずで、自分はその意志を尊重したのだ」というロスコフの主張は、多くの人々を激怒させ、自宅に落書きをされたり、家族が身の危険に晒されるまでに事態がエスカレートしていく。

 そんななか、進歩的な考えを持つ娘のガールフレンドに、「差別されない」という特権を持つ白人が黒人の人生を代弁することは絶対に許されないということ、ロスコフの主張はウィローを黒人というコミュニティーから引き剥がそうとする「文化の盗用」にあたる危険思想であることを、諭される。ようやくロスコフは、社会の新しいルールを犯してしまったことを理解する。不適切な行為や発言をした者は社会的に抹殺される運命にある「キャンセル・カルチャー」の熾烈さも身をもって実感した。それでも彼は自分の間違いを公式に認めることを躊躇した。沈静化を狙ってラジオに出演するも、彼のこうした態度はパーソナリティーに巧妙にやりこめられる羽目になった。プライドを捨てられないロスコフの頑なな姿勢は、当初支援してくれた家族や親友、編集者までも遠ざけていった。それでも、ある出来事をきっかけに、ロスコフは新しいルールに従うかどうかの決断をくだしそれを実行する。ようやく終結したようにみえた物語に、とんでもないサプライズが最終章で加わり最後まで読者を飽きさせない。  

 本書はアナクロ二ズムの哀れを描く一方、行き過ぎたポリティカル・コレクトネスにも警告を発している。特権を持つとされる白人やヘテロ・セクシャルが、有色人種や性的マイノリティの人々について語ることを良しとしない風潮は、ともすれば排他性を助長し、表現の自由を侵しかねない危険性を秘めている。本書が、ロスコフ著の『エタンプの預言者』のように炎上することもなく、高い評価を得た事実は、フランスにおいても、これは白黒つけがたいセンシティブな問題であることを示唆しているように思える。



 


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