教訓を根として生きる。それだけかもしれない。
不登校家庭としてはドカンと落ちた時期もありましたが、主にオンラインでエンパワメントされ、今改めて個人的にいちばん大切にしていることは何だろう。と考えてみました。
自分の人生に起きた、様々なことから学んだ教訓があります。
そこを根として、自分なりに、地域でリアルを生きること。。
なのかもなぁ〜!と思いました。まず子どもたちがリアルに生きているから。
その中で、理想と、教訓を活かす生活は、
実際違うことが沢山ある。
例えば私は静かな田舎でゆったり暮らしたい理想がボヤんとあったりはするけど、
今はわりと人や子どもが密集した賃貸マンションで誰でもピンポンダッシュできるような環境にいます(笑)
これは幼少期からど田舎育ちで、子どもが少なく、
人付き合いに家庭ごと苦労していたり、
お年寄りと父母世代のしがらみをしっかり見て育っていたり、
子どもの頃はやっぱり子ども同士がイイと感じたことが、多分そうさせています。
学校へ行っていなくても夕方は日々誰かどうかと長男はつるんで遊んでいます。
よく喧嘩した〜怪我した〜もあるけど、周りのお母さん達と情報交換しながら見守っている。
我が家含めそこまでリッチな家庭は恐らくいない層の住むマンション(失礼)。
だからかは分からないけど、金銭的な話題や、シビアな家族の深い悩みなんかもわりと話せる。
逃げようがないし、そうしないと生きられないのもあるよねーと。
子育てに、やはりプライドは邪魔なんですよね。
また、子どもだけでなく、私も繋がりを感じながら生きていて、無意識だったかもしれないけどこの状況が必要だから、動けた環境作りなんだなと感じています。
他には、自分の妹達が自立できていないことから、
子どもたちが家で親とずっといることへの依存性や危険性はけっこうあると思っていて、親以外の大人と繋がる環境にずっと力を入れてきました。
私もへっぽこ親だし。
子どもが家から出れない時期は、人を呼んでいました。
様々な大人と接することは、社会との繋がりになると感じているからです。私は一人暮らしをしてから周りに育てられたので、年齢でいえば焦ることじゃないんだけど、大切なのは本人のタイプだと感じるから。
ただ見守って、待って、、、いたけど変わらなかった!を目の前で見ているから。(見守っていたら自発的に動き出した!タイプが沢山いるのも知ってます。)
あとは、肯定感はそんなに強くなくてもいいと思うけれど、自己否定する時にまずは自らを俯瞰する力があるといいなと感じ、悩みや想いを聴くようにしています。、
子どもだし傷つき体験が多いと、まだ対話は難しい。
でも、自分を俯瞰できないと、頼ることも難しいんだよな、と感じているから。
ただやたらに頼っても、仕方がないのよ、という部分もあるしね。
普通にハンデのない人だって、悩む時は悩む。
フェアに悩めるよう、
大騒ぎをしなくても自分は大切な存在なんだと納得してもらえるよう、
自律心やその扱い方を、親として伝えたいなと感じる日々です。
そして、たぶんそれはゆっくりゆっくり構築するものなんだよね〜。
子どものうちにいっぱいやりたい放題、恥ずかしいこと、辛いこと、怠けること、失敗すること、虚勢はること、嘘つくこと、傷付けること、そんなマイナス面もいっぱい味わったらいいと思う。
自分で気づく。
自分で決める。
自分で立て直す。
その良さはマイナスを知ってないと出来ない。
生きるってしんどいけど、それ以上に楽しい、
しんどさひっくるめて人生。
それをいつか、知ってくれたらと思い、今は一緒にいます。
(まぁ、伝わらないかもしれないけどやれることはやりたいなぁと。自立しなかったらその時考えよう、前例は見ている^_^)
地域で集まっている農業のママ達と先日話して感じたのは、
畑を今やっているのも、野菜を育てること以外に
気持ちや距離感の広さがあり、、
何気ない一コマでサラッといろんな話がしやすい環境があるのだと。
これは小さなコミュニティなのだと、改めて感じました。
すぐに繋がる関係性はないからこそ、
焦らない、決めつけない、時間をかけた人との繋がり。
繊細な人には、地元こそ難しい。
からこそ、燃える(笑)し、大切にしていきたいと改めて思っています。