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ネガティブの曖昧さに、耐性をつける。

マイノリティ側の子ども達の集う場所をサポートしていると、(小さくて頻度も少ないですが)思い通りにいくことの方が少ない。
そこが予想外で面白くもあり、私が学ぶべきところでもあります。

「本物の教育者って、早い子も落ちこぼれる子もちゃんと目をかけられる人じゃないの!?」という母の言葉を浴びてきたためか、(笑)
私の反骨心が疼くのですよね。教育者の資格もないのに…

マイノリティ側を生きてきた性分かもしれません。

子どもたちに100%伝わると思っていないし、
100%知らなきゃとは思わないけれども、←すべて!なんておこがましいと感じるから

その子に今、嘘がないだろうか?は、その子をリスペクトしたいからこそ。専門家ではないからこそ。
様子を気をつけて見るようにしています。
(嘘があってもよくて、それを確認できておくといいということ)

ポジティブな時は盛り上がりすぎてセーブも役割ですが(笑)
皆が仲良く盛り上がったり、気付きが生まれれば、
それは当たり前ですが、とてもやりやすいです。
サポートとしての自己価値も感じやすいですしね。


問われるのが、誰かがネガティブ発言をしたり、気分がダウンしてたり、トラブりそうな時。

気分が乗らないんだ。
何となくお腹いたい。
緊張する。
その話題には入れないから、なんだか嫌だ。

そんな呟きはもう、よくあります。
マイナスなことでも口に出してくれる子は分かりやすく、言える雰囲気で良かったと安堵した上で
話せる時はどうしたいか聞いたり、いろんな提案をしてみます。

本人は辛いとは思うけど、私はギフトタイムだと思っています。

周りの子ども達にとっても、様々な状況を共に考えられることは、本質的な学びに繋がると感じています。

また、口に出して言えないお子さんも当然います。
(昔の自分を見てるよう)
それは自分を守る大切な時期ですから、そんな時はお母さんの出番。
お母さん同席、むしろオッケーにしてる理由はここです。

お母さんは、外への安心を繋いでくれる。
子どもには偉大な存在。キーパーソン。

子どもに、どうしたの?何でも言ってごらん?って、私(第三者)からだと緊張が増すこともあり、あまり簡単には言えない部分を、お母さんなら言える。

お母さんと会話があるだけでも安心するし、
今はその段階なのね~と私はじゅうぶん納得もできます。

無理に引き上げられたり、みんなといて楽しいでしょ?とか無意識な同調を求められるのは私だったらいや!(笑)

1人になれば意外と周りに溶け込む子はいるけど、
荒治療になると私が判断した場合はやらずに、
そんな時はお子さんではなく、お母さんのフォローをします。

居場所だからと言って、もう少し頑張って居てもらいたい、、にこちらがなってしまうのは、なかなか危険だと思っています。

それはどんなレベルの場でも同じで。
そこがどんなに楽しい場所でも、エネルギーは使うからです。


そして個人的に、ここを最も今重視してる点!

お子さんが参加できなくなった場合に、お母さんに多かれ少なかれ罪悪感が生まれます。
せっかく申込んだのに居られなかった…とか。
気が乗らなかった…とか。

参加すると言ったけどそうさせられなくて、(講師側に)申し訳ない…とか。

私もそんな経験がたくさんあるからよく分かるけれど、
主催側になりすっっごく感じるのは

その罪悪感や無理やりの頑張りが
いちばん子どもを傷付けるということ。


だから、まずはお母さんに安心して欲しいと思う。
主催側も参加側も最低限の気配りが必要とはいえ対等な人間なのだから、悪く思わずに「相談」をしたらいいと思います。
すでに信頼関係があるならば、きっと親身に聞いてくれるはずだし、お子さんの応援者として関わってくださるはずです。


我が家も、最近は娘にとって大切な習い事をひとつ
本人の意志で卒業したのですが、
その時の先生の捉え方にとても勇気と安心をもらえました。

自分の意志で、区切りをつけられた。
これは成長なのだということを、私と分かち合ってくれたんですね。

曖昧な感覚の中で、本人がやめる選択をするって
けっこう大変なのだと、
特に不器用な子ども達は「失敗」とか「親に悪い」と捉えがちだなと、私は感じています。

約束、とか、目標、とか、
その時に掲げた気持ちを嘘にしたくない。
でも出来ない、そんな自分が不甲斐ない。
完璧主義の子ならなおさら。

だからこそ、本人の主体性に気づけなければ
ただ、やめる!になって、失敗体験となってしまう。



娘もいろんな複雑さの感情に呑まれそうでしたが
私もそこは仕方ないな〜と感じながら過ごしていたら、
自ら切り替えて、最後の時間は朗らかに楽しそうに、そのひと時を過ごしました。

次はいつ会えるの?とかね!やめてもそんな関係でいいんだなぁって、そのやりとりに嬉しくなったのは…。

実は私も昔、10年も習っていたピアノを最後はブッチしてやめたのでした。
母よ、ごめん(笑)
近いので先生とすれ違うこともあり、ほんと何ともバツが悪かった(笑)

自分で、区切りをつけていいこと。
自分の中のモヤモヤに目を向ける余白をとること。


そこの耐性を身に刻んでくれたらいいなと思いながら、
周りの子どもたちには長い目で接していこうと思っています。


私も運営として参加している団体では、不登校や発達特性のあるお子さんの親御さんに向けて、月1回オンライン交流会を行っています。
今月の告知はもう少しお待ちください♪





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