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学歴差別に敏感なのは、何故だろう。


ニッチな世界に惹かれます。

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(※よく知らないからって引かないでー笑)
(※このインパクトに惹かれ?たまにフラッと人が入ってきます。笑)
(※全人類に理解してほしいとは思いません、好きな人と繋がりたいだけ)


昔からずっとそうなのだけど、、
名の知れた組織や企業より、知られていないところや人の魅力に影響され、あえて繋がるのが好き。
学年、学校で1人いるか?ぐらいの。

何かしら偏見や拘りが、私にあるのだろうけど。
(生育歴や環境で培われたものが😅)

学校も、もっと上狙えるぞとか、美大行かないの?とか散々言われて、昔の自分はそれを選ばなかった。
その時は(いや、今も…)必要性を感じられない。
当時は反抗だったかもだけど、あまり心が動かない。


学校へ行かない子ども達も、憧れはあるとしても
そんな感覚に近い子は一部いるんじゃないかと思う。


一時期バイトで(確か事務・電話系)いくつか大企業オフィスを点々とした時、虚しさは感じたことがあったな。
あと、やはり出身地や学校は聞かれる。もちろんいいのだけど、そこから学歴で判断されるような場には、身を置きたくない。

無意識のうちに、何だか不安定な社会や、景色を、頭の中に育ててしまったのだと思う。

(学歴ある人を批判したいとかは無いです。高い学歴のある知り合いや親戚はいますし、やはり知識量が違うなーとか、好きな人も多い)

でもその歪みこそが、私の自立心を助けてくれたとも思っています。

それが良かったかは別ですが。
その歪みが、今の社会問題全てに何かしら繋がっているとは思うので。


ちなみに「誰でも入れるよ〜」と言われる学校へ入ってきましたが、出会いや実りは沢山ありました。

特に専門時代は、皆わりと個性必須なのに、
見栄のない繋がりだったなーとか。
ネガティヴさを共有できるバックグラウンドの持ち主も多かったなとか(笑)

精神論だけに囚われず、
弱い者や悪役にもイメージを馳せられる、
正義感だけで突っ走らなかったなぁ、とか。
誤解を恐れないタイプも多かったかも。(仲間うちでは話せるけど、外向きいちいち言い訳しない)

そんな仲間のおかげで、孤独を感じない自分の居場所はちゃんと掴んでいけるって、
わりと若いうちに知ることができました。

その時期も、通っていた学校よりも大切だった外の世界や、哲学を誰かと満喫できたから、
いまでもそれは肥やしとなっています。

不器用な人たちの人間くささや、
そこまで名も知られない場に集まる人達の、
据わった肝が好きだなといつも思います。


社会人になってからは学歴ある人ない人ごちゃ混ぜで過ごせたけど、
本質的なところで諦めを知らない、自分にちゃんと正直でいる、そんな人達といると感覚が通じてすごくラクでした。

そこは学校と同じくらい、もしかしたらそれ以上に
私に学びをたくさんくれています。


そういう意味では、「学校以外でも学ぶことは沢山あるよ」と、一個人として言ったり見せたりはしていけるけど。(私も不登校していた時期があったし)



ただ、個人的に思うのは、


公の学校や社会こそ、ほんとうは
全ての人が安心していられる、隠さず誤魔化さず違いを知り合って学べる状況・状態になることが、いちばんいいなと思っているし、←今は違うと放置されてしまうけど

その願いは、ずっと変わらないと思います。


学歴社会が蔓延っている現状は、昔からあまり変わらずにある。
本当の多様性は認め合う環境だとか多様性を!なんて声高らかに叫ばなくてももうあるのだから、個々が主張できる環境であればよいだけ。

学校が苦手な子は、その小さな違和感やジレンマ(本音を出すとうまくいかない)を常に感じているのだろうし、ほとんどの居場所につながらない子ども達こそ、出せないけど知っていることがあると思っています。

(もちろん家庭もそれを創る一つの環境として、役割があると思っています)





昨日は会社の公開制作日だったのに、台風の影響で風が凄すぎていろんなものが吹き飛ばされてしまうため、アトリエの扉を閉める時間も多かったです😂

けど、そのおかげでみっちりある試作をスタッフ達と話し合いながらでき充実していました。
18時ぐらいに帰宅して、そのまま夕飯ガッツリ作れるぐらいエネルギーをチャージ。

(逆に在宅で子ども達と遊んでくれていた夫が、料理好きにも関わらず出来ないほどにエネルギー吸い取られてしまっていた。笑 
そう、大人が子どもがいる中ずっと家にるってスゴイことよね〜改めて)

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