脳汁の出た文章を引用させていただきます。
これを読む人に脳汁湧出の契機を。
→サイバーパンクにおける身体改造フェチとのつながり。たとえば、チャイナ・ミエヴィルでは人体工学ではなく魔術に変換される。
(インスタ美学に基づいた)整った形への整形と、人間から意図的に離れた異形への変形という、異なる志向。前者は「ボディメイク」などと呼ばれ度を越さない限り比較的正常な欲望とみなされる。後者は正常ではないとされる。それほど明瞭な分割線があるだろうか?
→理想に破れた男たち。都市の喧騒を離れ、自然のなかでのサバイバルに人生の意味を見出そうとしたが、現実の過酷さに直面して転向、快楽主義の現状。馬鈴薯と牛肉はそれらの象徴。岡本は彼らのなかでひとり、別の願いがあるといい、平凡なロマンスをわざわざ否定してから、その願いとは「驚きたい」というものだと言う。自分を含め大概の人々は驚くことがなく、自分が死んだときに「まさか自分が死ぬとは」と驚くだけ。つまり、死ぬまで「驚く」ことができないほどの鈍さ。
→植物のイエベ、ブルベ。砂漠と湖。
→唐宋の中国の詩人にとって、アンソロジーを編むという行為には大きな意味があったという。一編のアンソロジーは詩人自身の沈黙のうちに秘めた価値観・思想を雄弁に語っているのであるから。
有名作家との抱き合わせる商業主義的編集や、若いうちにこれだけは読んでおけという教養主義的な趣味の悪い編集とは異なる。一貫した好みに基づく編集こそ。
→サイバーパンク:エッジランナーズ
サイバーサイコシスは新自由主義経済の被害者であり、消しきれない人間性に苦しめられているもっとも「人間らしい人間」では?
経済・能力格差の拡大するネオリベ社会に、初めから存在しないがゆえに永遠に終わることのない郷愁が共存している。そこに慢性化した物質的快楽が加わる。パンクの精神は表層にとどまり、失敗の美化、英雄化によって、子どもはわけもわからず宇宙的多幸感の中で失神する。
三島由紀夫「天人五衰」
→運命が「ない」ことを「否定」するために、その「ない」が明らかになる前に自ら死を選ぶ。死により、訪れなかった運命は明らかにならず、宙吊りになる。こうして、運命は守られた。ただ、シニカル。