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【短編小説】思考キャンセルの術

あれがちょうじん、と耳にして覗いた窓に見えましたのは、全身に羽根をまとった奇天烈な鳥人間、真紅の衣をまとう一羽の御婦人でした。黄色いくちばしを殺傷目的のご武装かと思わせるほど鋭くとがらせております。人間をはじめとする脆弱なすべての動物種の心臓に狙いを定めて一突きにするためでありましょうか。ええ、およそ深すぎる憐憫の情を基礎とする殺意のきらめきが、窓ガラスを通してわたくしに伝わってまいりました。

「超人」と思い込んでしまったことをわたくしは後悔しましたけれど、責任は「ちょうじん」と発音した友人にあるわけでも、問わずして安易に納得したわたくしにあるわけでもなくひとえに、わたくしたちの使用する言語という道具の不親切さにあるものと考えます。
これすなわち、言語を憎んで人を憎まず、と。

話はさかのぼりまして今朝のこと。わたくしの友人は(出不精のわたくしをあちこち引きずり回してくれるたった一人のこの好人物のような友だちを、わたくしは二度と得ることはできないでしょう。なぜなら彼はわたくしの小学生時代からの幼なじみでありますが、大人になってからそのような幼なじみの関係を新たに構築することは超時空的物理学の観点からみて、きっぱり無理であるといえるためです。時間は決してさかのぼらす、わたくしの小学生時代は永遠に埃をかぶり続けるのです。故に友情こそ生涯にわたる資産であるとわたくしは結論づけます。)、わたくしの万年床の片隅のわずかにめくれていくらか風通しのマシなあたり、影と畳がねちゃりと溶けて粘性の薄緑色になっているところから海女さんのように這い出てきまして、すす汚れの顔の中の真珠のような目玉を朝日にきらめかせつつ「覗きに行くのだ」と澄んだ声で誘ったのでした。

わたくしはいつものように甘い死に憧れながら(ロマン派の詩人の影響でした。彼らに影響を受けるということは、現代的速度から置いてきぼりを食らう残酷な将来を暗示しているかのようでございますが、優良運転者であるわたくしは気にしないことにしております)無理矢理の眠りの中に不法滞在しておりました。
わたくしが近頃観る夢というのは、得体の知れないいくつもの顔・顔・顔。わたくしは他人の顔ばかりを、衣装売り場のハンガーに掛けられた服と服のあいだや、アフリカゾウの足の裏、小便器の純白の表面、百合の花弁の中の狭いエリア、自動販売機の下の恐ろしい漆黒のデッドスペース、などに見つけてしまい、そのたびに世間知らずのお嬢さんのように、ひっ、と小さな悲鳴をこぼして冷汗まみれで覚醒するのです。バターのようにまろやかな熟睡はすでに、幼い頃(おそらくは小学生まででしょうか)の思い出の中にしか存在しておりませんでした。

友人の声の響きが釣り糸のように、眠りの中のわたくしの鼻先に垂れてきました。

「覗きに行くのだ」
「あまり美しくないものはいやだよ」

わたくしが保険をかけますと、

「ちょうじん」

と一言だけ。

超人と聞き間違えたのは寝ぼけ頭のせいだけともいえず、生活習慣によるものもあったはずでして、つまりわたくしの仕事に関係しております。
わたくしは毎日のようにわたくしの思想を書いた紙を売るために街に繰り出して、その売上で生活しております。売れないときには思想紙を使って火をおこして暖をとるにとどまらず、簡素な料理もいたします。ピーマンを焼いたりするのにはちょうどよい火力ですので、わたくしはしばしばピーマンを焼きます。

でも、申し訳ありませんが、わたくしはピーマンがあまり好きではありません。あの野菜の内部の空洞を眺めておりますと、自分自身のからっぽさについて改めて検討せざるを得ない地点に立たされてしまう気がするためでございます。加えて、あのびっしりと詰まったミリの種ども、あの中に不安を煽る虚無の空洞を生み出す遺伝情報が書き込まれているとは、なんとスケールの大きなご冗談でしょうか。

話がそれてしまいましたが、わたくしが申し上げたいのは、一般の方が「ちょうじん」と聞いて当然のように鳥人を想起するのと違い、思想紙を書き散らすわたくしからするとむしろ超人のほうを身近に感じているのだということです。

さて、窓越しに聞こえる鳥人の声は、人の言葉をうまいこと操っているご様子で、流暢な話しぶりは多少の尊敬をおぼえかねない代物でございました。
鳥人には話し相手がおりまして、部屋の中の鳥人の会話相手たる一匹の大熊もまた「熊人」と呼ぶべきなのではなかろうかと思いましたので、お隣におります友人に小声で相談いたしました。声をひそめましたのは覗き見を気づかれ、警官を呼ばれでもしたら大変であると考えたためです。
警官はわたくしが思想紙を売り歩いていることを知っておりますから、わたくしを見つけ次第、わたくしを殴ったり、蹴ったり、つばを吐きかけたりすることが平気でできるのです。相手を同胞と思わなければ容易なことでございますし、そのうえ法律上正当な理由まで得たとなっては、わたくしは明代の処刑方法に則って体を真っ二つにされてしまうでしょう。

「ねえ、その熊人というのはどうやって発音するの?」と友人が言いました。

発音なんてできなくても目で読めればよろしいというわたくしの価値観とは別の価値観の中に生きている人らしいということを、わたくしはこのとき初めて知ったのですが、友人のそういう一面を知るたびに少しずつ幻滅の度合いが増してゆきます。

わたくしが実際に知るのはまだ先のこととなりますが、熊人と鳥人にはそれぞれヨジンバとイズカという名前がありましたので、これからはこの名前を使うことにいたします。獣人たちの人となりを知るためにも、びゅうびゅうと風の吹き抜ける路地から、聞き取りにくい会話を拾って以下に並べてみることといたします。

「おれたちは吐き捨てられたガムみたくこの路上に貼り付いたまま、あとどれくらい生きていなくてはならないんだろう。具体的に、あと何日なのか」
熊人ヨジンバが深刻な声音で言いました。
「あんたが罪を償うまでよ!」鳥人イズカの甲高い声です。
「教えてくれよ、頼む、おれの罪ってなに? あといくつ残ってる?」
「あたいが知るわけないでしょ!」
「罪を償うまで、って今言ったじゃないか。罪を知らずにどうやって償うっていうんだ。そんな無理を言っておれを困らせようとしてるんだな。もうすでに困っているというのに、さらにもっと困らせようと意地悪ばっかり言うんだ」
「バカ! 自力で思い出すんだよ! 自分の犯した罪でしょうに!」
「まったく心当たりが無いんだ。忘れてしまった・・・・・・。絶対に思い出せない」
「キャッシュカードの暗証番号は忘れず覚えてるくせに!」

友人がデニムのポケットからアライグマを取り出しました。そして、より多くの音を拾うために指を使って耳の穴を拡張しようとしながら、そのせいでかえって指で耳の穴を塞いでしまうという、聴覚における解決不可能なアポリアに陥っているわたくしに笑いかけてきました。アライグマが笑いかけてきたわけではありません、アライグマは死んでおりましたので。

イズカは極端に鼻が効くのかもしれません、窓の外から香る彼女の大好物が垂らす血の匂いに気づいた途端、顔を横に向けて猛突進してまいりました。そうして突っ込んできたイズカを捕まえて直ちに羽をむしったのち、臓物を香草や野菜に詰め替えて塩コショウをふって、オーブンで焼いてしまおうという友人の周到な計画はしかし、残念なことに、破綻したのです。
網はヨジンバにひっかかれて裂け、凶器から身を守る術を失った友人の心臓はイズカのとがったくちばしでひと突き。ダメ押しでヨジンバの爪とぎのために体を弄ばれ、内蔵をまろびだし眼球一つ地面に転がして、不細工な見た目で死んでゆきました。
わたくしは後日友人の最期を悼んで少し泣きましたが、このときはびっくりしたまででした。

ヨジンバが、

「お前たちは何者なんだ?まるでおれたちに死をもたらしに来たかのようだ。古来より死神は二人組で現れるという・・・・・・」

と言いました。イズカはアライグマを突っついてほぐしながら、柔らかくなったところから美味しそうに頬張っていました。
わたくしが、

「死神は君たちのほうかと思いますよ」

と嫌味っぽく吐いてみますと、ヨジンバは、

「嘘をつくんじゃないぞ。本当は死神なんだろう? そうだな?」

と、まるでわたくしたちが死神であってほしいと思っているような言い草でした。
ヨジンバは本物の死神を見たことがないせいで、変な妄想にとらわれてしまっているのかもしれません。わたくしのような人間が死神でないことは、死神に関する本を一冊でも読んだことがあればすぐに分かるはずなのですが。

人間が一人死んでしまった直後なので警官がやってくるかと思われましたが、どうやらわたくしたちがいる場所は警官とは無縁の土地らしいということがわかってきました。思い返せば、今までに一度も思想紙を売りに来たことのない未知の地域でございまして、動物が気ままにお喋りをしているくらいですから、専制君主的な政治が行われているのでしょう。民主主義ではきっと不可能です。

友人の身体の残り半分は夜食に回すことに決めたイズカが、

「さあ、ミステリー! だれがこの人間を殺したの? 殺人犯はだれ? 証拠隠蔽のトリックは?」

とけたたましく鳴き上げました。

「おれだよ。証拠はおれの血塗られた爪さ」

ヨジンバはそう言うと、自分のネイルがよく見えるように差し出しました。

「あんた名探偵だね!」

そうイズカに言われたヨジンバの毛むくじゃらの顔がぱあっと明るくなりました。そして照れた様子で一言。

「Quod Erat Demonstrandum.」

血みどろのわたくしらは体についてしまったよごれを、街の中心にあるドーナッツ状の流れるプールに浸かって洗うことにしました。何を隠そう、わたくしもミステリーを嗜む者でしたので、彼ら二人の獣人と仲良くなるのにそう時間はかかりませんでした。とくにヨジンバは、わたくしが思想紙を書きまくっていることを知りますと「おれの思想も書いてほしい」と頼み込んできました。
他人の思想を書き写す商売はやってない、わたくしは似顔絵屋さんじゃないんだよ、とたしなめますと、ヨジンバは子熊の皮剥ぎに遭遇したかのような悲しげな顔をして言うのです。

「ああ、そうかい。おれは何一つここに存在した証を残せずに死んでいくんだ。わかったよ、おれはほかの動物たちと何ら変わらない。最悪の人生を誰とも共有できず、一人抱えて死んでいく・・・・・・。まるで重すぎる鉄球を抱えて一人、氷河の底へ沈んでいくみたいに・・・・・・」

そこまで言われると可哀想に思えてきて(このときは知る由もありませんでしたが、同情してもらうことで自身の実在を実感するタイプの熊なのです。熊という生き物は一般に、自分を可愛く見せたり、あるいは憐れに見せたりする能力に長けているのだと考えられます。覚えておいてください)プールに並んで浮かびながら「2枚までなら良いよ」と言ってしまいそうになりました。でも、わたくしがヨジンバの思想紙を書いているあいだ、わたくし自身の思想紙は誰が書いてくれるのでしょう? 時間が足りなくなりそうなので、やはり断ることに決めました。

わたくしたちを洗ってくれているプールの水は薄桃色に染まりました。見た目以上に血を吸っていたヨジンバとイズカの毛と羽が、プールの水に吸っていた血を吐き出したのです。人工の水流に流されながら仰向けに見た空は紫色でした。もし降ってきた空に押しつぶされて死ぬとしても、このような特別な色の空なら悪くないと思ったとき、わたくしはふと、あるいはこれは思想になるかもしれないという直感を得ました。売上に直結しそうなアイデアに浮かれて(死を嘲弄するタイプの思想紙は、比較的人気が高いのです)、わたくしがイズカに「もしこの空が降ってきて・・・・・・」と早速話しますと、イズカは「空は飛ぶものよ!」と叫びました。

わたくしはびしょ濡れで縮んだように見えるイズカの姿を憐れに思いましたが、わたくしもびしょ濡れでしたし、その上、羽がないのでした。どちらの方がより憐れか、そんなことを考えても仕方ないので、わたくしは考えなかったことにしました。初めからなにも考えなかったことにすれば、すべて無に帰するわけでつまり一件落着です。
わたくしが「思考キャンセルの術」と読んでおりますこの方法は、わたくしの思想の中では最もプラグマティックなものとなっております。

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