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火渡りの行の意識の持ち方をコロナウイルスにも

フィールドを毎瞬、色とりどりにクリエイトする皆さま、こんにちは。

今回は、火の上を渡る修験者の方々の鍛錬された心と身体の意識を、コロナウイルスにも持っていけるんじゃないか、というお話です。


わたしは特定の宗教は持ちませんが、修験の師匠がいます。

大好きな尊敬する人生の師、という方です。

いろいろな数奇な巡り合わせでお会いできた先生でしたが、先生達にお会いするまで、20年以上、いや30年近く、考え続けていたことがありました。

それは、

「インドの行者は、何で燃えた火の中、赤く焼けた石の上を歩いても、ヤケドしないんだろう。」

ということです。


多分、子どもの頃に見たテレビの、映像がきっかけだったと思います。


今のわたしが同じことをすれば、絶対ヤケドする。

でも、ヤケドしない人がいるということは、同じ人間ではあるから、
わたしも、わたしとそのインドの行者との間にある、何かを詰めていけば同じことができるかもしれない、

なら、何をすれば、そこへ近くなるのか、

ということが、いつも頭の隅にありました。


その中で、理解していった一つの法則は、
「強い観念がある限り、変わらない」というものでした。


例えば

「絶対ヤケドする」

と、思っている限り、絶対ヤケドする、という感じです。

でも、ヤケドしない!と、思ったとしても、観念も変えたつもりでも、深層意識では、

「そうは思っても、普通の人間は、ヤケドするだろう」

と信じているので、やっぱりヤケドするのです。


観念は、なかなか目で見て体験しながら知っていることは、変わりにくく、

逆に、全く知らなくて
「へー、そうなんだ」と、スッと入ってきた情報は、信じきれたりするので、

そういう入り方をした願望は叶いやすかったりします。


そして、時は流れ、その中でまた、理解した法則は、

「信じたいことが確信に変わる程、その成功体験や、叶った事例や、その人を間近で見ると、同じことが当たり前に思えてきて、同じことができるようになる」

というものでした。


自分では無理だと思っていたことを、当たり前のこととしてやっている人と一緒に過ごすと、
だんだんそれが、当たり前になってきて

気がついたら、前に無理だと思っていたことが、当たり前のようになり、できるようになっているのです。

成功法則をうたう人たちが、お金持ちになりたかったら、お金持ちの友人を沢山持て、というのは、このことですね。

または、ガンが本当に消えた沢山の人と会って話を聞いたり、一緒にいる人は、同じようにガンが治る、と言われるように、

治ることが当たり前だと思えるようになることで現実が速くシフトする、という末期ガンが消えた体験者の方に話を直接聞いたことがあります。

そして、わたしはついに
「火の上を、人は渡ることができる」
「焼けた石の上を、人は歩くことができる」
ということを実践している人たちに、偶然会うことができ、行動を共にできる機会を与えられたのです。


というより、長年、何でか知りたいと思い続けたことが、この現実を引き寄せたのかもしれませんし、
ご縁があって修験の先生たちに会うことになっていたので、今世では、この疑問も小さい時から持つように生まれてきた、と、
逆算できるのかもしれません。


とにもかくにも、修験者の先生たちは、長い修行を経て、身体と心と信心がピタっと一致しているために、

焼けた炭や、木や、炎の中を素足で歩いても、ヤケドもしないし、服も燃えない、

というのを、目の前で何年も見させていただきました。


見ても見ても、不思議ですが、
腰の辺りまで炎が上がっている中、バンバン渡って平気です。。。


わたしも、2回ほど渡らせていただきましたが、
先生いわく、

「お不動さんの火は、業を焼く火や。
ヤケドはせん。」

。。。


檀家さんいわく、

「ここの火は、熱く感じても、不思議とヤケドはせんのよ。
なんにも、(こわいことや、ヤケドは)起こらんよ」

。。。

(修験の修行に参加する子どもさんも、地元の檀家さんも、かなり赤く燃えた炭の中を歩きますが、スタスタと平気で、これを見た最初の頃はほんとに驚きました。。。)

初めて赤く燃えた炭と、火の上を歩いた時はほんっとに実は怖かったですが、
直後、やっぱり熱くて冷やしましたが(^◇^;)

確かに足の裏は何にもなっていませんでした。
あんなに燃えてる中を歩いたのに。

2年目は、歩く順番が遅かったこともあったと思いますが、炭も燃えていましたが、平気でした。


とはいえ、先生方や、修験者のお弟子さん達は、燃え盛る火の中を歩きますので、やっぱり見ても見ても、息を飲む、というか、
怖いし、
何でヤケドしないのかと、未だに思ってしまいます(^◇^;)


先生方を見ていると、スイッチのオンとオフがすさまじく、
まさに周波数が変わる、という感じです。


そこから思うことは、

人間とは、人間が思うよりずっとずっと
もの凄い能力と可能性を無限に持ち合わせた生き物なのではないか、

ということです。

ただし、それをどう使うか、

そこが摂理に反すると、

起動しない生き物なのではないかと思うのです。



経済学では「見えざる手」の介入という

自我欲の為に個人が全ての利益をむさぼろうとしても、やがて人智を超えた見えざる手の介入によって、全ての人が豊かになるよう経済の分配がなされる摂理があると言われています。

深い人間の集合意識の深層心理や、宇宙的正義とてもいうような何かが、摂理に導くのではないかと思うのです。

そんなふうに、
世の中でも、今回のコロナウイルスや、これまでの陰謀説がいくら席巻しようとも、
結局は、塞翁が馬、
全ての存在にとって、よいことになるし、

人の深い意識で、そうなっているのではないかと思いました。


コロナウイルスでは、
かなりいろいろな説が飛び交っていますが、

結局は、よくなる。

それでよかった、となる。

そこに意識を持っていれば、
そうして生きていこうと意図すれば、

さらに速く、そうなるのではないかと思います。

火の中の赤く燃えた炭と炎の中を
無傷で歩けるまでの、

身体と心と信心の一致は、修験の修行の中での体験、経験から培われて、

「当たり前」にまで昇華されています。


修行をしていない人たちがそこまで、できなくても、
このことから、
人間は、心や身体を、意識と一致させたものに変容することができる生き物である、

とは、言えるのだと思います。

小さい頃に見たインドの行者の火渡りへの疑問が
やっと、目の前で自分の中で明らかになってきて、

目の前にある問題に見えるようなことへの、解決策も見せてくれています。



コロナウイルスに、

いろいろなことを教えてくれてありがとう。
身体から、速やかに出て行ってくれてありがとう。

と、感謝と意識を送り、

悪い影響を受けて、ひどいことになる、という意識から離れていると、

身体もそれに合わせて、変容してくれるし、

なんなら、コロナウイルスに悪意の何かが持たされていても、
愛のスイッチに変えて、身体からまた外へ送り出すこともできるかもしれません。

意識は、肉体も現実も変えます。

どう、意識を
何に使うのか。

それが大事だということを、コロナウイルスは更に考えさせてくれました。

どんなものに私たちの生活は支えられていて、

その結果何を起こし、

自分は何を後の世界に残しているのか。

当たり前になっている生活の仕方、
生き方、考え方、観念を改めて
考えています。

私たちは、心と身体と信じる心で、
肉体をも超える存在として、

それでもなお、肉体を持ちながら生きることができる素晴らしい生き物です。


先は見えませんが、

先に何を見るかを決めて、今を生きることはできます。


みんなで、乗り越えていきましょう。



いつもありがとうございます。

(愛媛県の石鎚山にある、南嶺山大福寺。
毎年、2月の初めに柴灯護摩という、誰でもお不動様の炎で、業を焼いてもらえる「火渡りの行」が行われています。)



戸張碧月


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