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100年以上前の日本の動画と写真のタイムトラベル感動!

フィールドを毎瞬、色とりどりにクリエイトする皆さま、こんにちは。戸張碧月です。

今回は、100年以上前、1913年から1915年の日本が映されている動画や、記録のお話です。

昔の日本人の写真を撮り、生活様式を伝えたエドワード・S・モースがという人がいました。

彼は、日本がどれだけ素晴らしく凄かったのか、驚嘆して1877年(明治10年)の頃の日本について、書き残し、写真や記述、イラストを沢山残した人です。

その本を初めて見たり読んだ時、
わたしも昔の日本人に衝撃を受けました。

彼が日本への驚きを表した言葉の一つに、企画展で紹介されていたこの一文でも、昔の日本の素晴らしさが垣間見えると思います。

 
「世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。」

E.S.モース『日本その日その日』二巻(石川欣一訳)より抜粋

モースの本業は動物学者で、日本で初めて大森貝塚を発見し、図書館設立に尽力し、その研究のため来た日本での滞在中、日本人や日本の文化にに衝撃を受け、当時のあらゆる人や物を、文、イラスト、写真などで、沢山残しました。

これらが、出版されていて、衝撃的で好きで見ていたのですが

なんと!

最近、それとは別に、100年以上前の日本の映像があることを、SNSに投稿されている動画で知りました。

ものすごい感動しました。。。

まるで、タイムトラベルができてしまった感じです。

タイムラインとしては、エドワード・モースの明治から36年程後にはなるのですが、

それでも、昔の日本て、こんなんだったんだ、
こんな建物や、お店が立ち並んで、こんな服装の人たちが、こんなに沢山闊歩していたんだ、と、目が離せませんでした。


https://youtu.be/MQAmZ_kR8S8

Denis Shiryaev

Views of Tokyo,Japan,1913-1915

(YouTubeからお借りしました)

丁度、夏目漱石の「こころ」という小説が書かれた1914年の日本です。

過日、夏目漱石の「こころ」を読んだ記事を書かせていただいたのですが、

まさに、まさに、この年の、東京の様子なのです。

https://note.com/root88/n/n5b2f84d954b0

書生さんの格好も、まさに!写真や、絵で見た通り。

動く夏目漱石の世界が目の前に。。。

そして、芥川龍之介の「羅生門」がまさに!1915年。。。

感動です。。。



少しまた戻りまして、

エドワード・モースによると、昔の日本人はとにかく凄かったそうです。

何が凄かったか。


とにかく皆恐ろしい程、タフで、清潔で、
赤ちゃんまで、物わかりが良く泣きもしない、とありました。

どれだけの距離でも寝ずに走れる。

馬子(まご。馬をひき、人や荷物を馬に乗せて山越えなどさせる人)は、山道の、道のないような崖でも、馬より先回りして道を走り込んで調べ、なんと戻ってきたら馬の耳に耳打ちし、道を教え、通れないような崖も馬に通らせることができる。
馬も、これをちゃんと聞いて理解できる!

食べるものは、玄米と梅干しや漬け物などだけだが、真冬でも小さな布をわずかにまとうだけで、ほぼ裸。

なのに、いつも肌はほてったように上気して、湯気さえたっていた。
そして、大きな俵を軽々といくつも背負って仕事をしている。

赤ちゃんすら、恐ろしくわきまえていて、子どもがお守りをしているが、泣きもしない。

そして、恐ろしく清潔。
モースの国アメリカでは、牛の乳を絞って入れる缶などはいつも不潔に道端に転がされていて、ハエがたかっているのが、当たり前だったが、
江戸の町では小さな桶の中まで、ピカピカで、それはそのまま舌で舐められる程の清潔さで、これはどこに行っても同じだったそう。


初めてこれを見たり読んだ時の衝撃と感動。

よく江戸は素晴らしい完璧なエコシステムが完成されていて、例えばお椀が割れると、家の軒先に出す。すると定期的にそれを集めて回っている仕事人が来て、持って帰り、修繕して返す、という仕事があったそうで、
水も、ちゃんと汚い水が混ざらないような水路のシステムがあり、江戸は凄かった事などは見たことがありましたが、
人についての細かい写真や描写については知らず、ほんとに驚きでした。

しかし。

今回、モースを読んだり観た時とはまた別の意味で「動く昔の日本」は衝撃でした。

豊かで、おおらかで、日本らしい見事なコンパクトに整えられ、管理されたお店や、技術。

子どもがきちんと責任を持って生きているのに、悲壮感がない。

そう、どこにも悲壮感がないのです。

楽しそう。。。

そして、日本の動画を観て最後に率直に思ったのは、
悲しいかな、

「この文化はどこ行った?」でした。

日本は戦争で、実は何もかも失ったのかもしれないな、と痛感しました。

文化と精神を、です。


もう一度、最初のモースの言葉を引用させてください。

「世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。」

E.S.モース『日本その日その日』二巻(石川欣一訳)より抜粋

この子ども達の笑顔や、この世界観はどこへ行ってしまったのでしょうか。。。


この動画でも、子ども達はニコニコしています。

子どもが子どもをきちんと世話しています。

大切なものはもう失われたのでしょうか。。。



否。

断絶されたとはいえ、私たちのご先祖様のDNAが私たちの身体の中にはあります。

ご先祖様からの遺伝子はあるのです。

数ある選択の後、今があるとしても、
今こそ、目隠しを外し、
子どもも、大人も、年寄りも、ニコニコしていられるための、選択をし直していこうと、気持ちも新たになりました。

この動画の中の手まりをついている子の、なんと誇らしげな、楽しげなこと。

嬉しい時に嬉しいと、命いっぱいに表現が許される時代にしたいものです。

とはいえ、この時代も裏表あっただろうし、美化し過ぎず、
令和のこの時代にしかない良さも、
同時に今、しっかり目に焼き付けながら、ニコニコ生きていきたいと思います。

タイムマシンで2時間、いや、1時間ずつでいいから、各時代を回って見てみたいですねえ^ ^


さいごに、余談。

この動画の中に、長年のわたしの個人的な疑問を解決してくれる映像がありました^ ^

超スッキリ!

「太鼓橋」というのが、今でも神社などに残っています。

文化遺産オンラインより
上の島神明神社太鼓橋 (かみのしましんめいじんじゃたいこばし)

それは、あまりに丸く急な形の小さな橋なので、飾りなのか、人が渡っていたのかずっと疑問だったのです。

大きな、ゆるいカーブの太鼓橋ではなく、
この形のものが、いろんな神社に残っているのです。


短い距離を、短い急な角度で渡る橋です。

すると、「岡田斗司夫ゼミ」の「千と千尋の神隠し」の考察動画を友人に教えてもらい、その中で聞いたのですが、太鼓橋はあの世とこの世、神様の世界と人の世界の区切りの場所だと言っていました。

なるほど、昔の人は、目に見えない世界への、礼儀だったり、異世界へ迷い込まないようにという知恵があって、ああいうものをわざわざ作って渡らせたんだろうか、と感慨深いものがありました。

不思議でした。

そして、それを昔の人は渡っていました。。。

とはいえ、神社に残された橋は石造りで、

この動画では木で作られているので、水の上をまたぐ時の効率の良さで、こうなったのか、とも思いますし、
どちらにしても、この角度を渡ってたのか!!
という、動画でこれを見た感動は大きかったです\( ˆoˆ )/

そういう意味でも、とても面白い動画でした^ ^


いろんな感動あり、驚きあり、
タイムマシンに乗って見られたような感動あり、
見たこともないのに、懐かしいような、胸がギュッとなるような不思議な感覚あり、

ぜひ、図書館にもエドワード・モースの本もありますし、動画もYouTubeで観ることができますので、
タイムトラベルをお楽しみください^ ^

動画など載せてくれる人がいて、観ることができて感謝です。

でも、この時代にもし生まれていたら、この昭和、平成、令和の、激動と激変の時代や、
建物やファッション、文化、食べ物、お店などなど、見たいと思ったでしょうね^ ^

なので、今をしっかり見て、体験し尽くしたいと思います^ ^

昔動画紹介、徒然でした。


ありがとうございました。

今日も一日、令和を、お楽しみくださいませ^ ^

戸張碧月


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