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勝手に拠り所にしている神が2人いる

そのうちの一人は会ったこともないし、顔も名前も知らないけれど。

■始まり
娘が発達障害の診断を受けたのは小学校1年生の時だった。

育てにくいな、と感じたことはあった。ちょっとしたきっかけで癇癪を起こすと1時間でも2時間でも喚いていて、「赤ちゃんってこんなに怒ってばっかりなの?」と疲れてげっそりしたし、偏食もひどくて、好んで口に入れるのはパン、白米、牛乳、豆腐と色のついてないものばかりだった。
家族以外になかなか懐かず、知人に預かってもらっている間は私が戻ってくるまで泣き通しなので相手も途方に暮れていた。
トイレの水音が怖くてなかなか入れず、どうしても行かなければならない用事で午前9時に外出して夜7時に帰宅した時も、どんなに促しても頑なに拒否して尿意を我慢していた。(今は小5になるがまだ怖くて、外出中のトイレは私と一緒でないと個室に入れない)
大変だけど子育てが大変なのはみんな同じだし、小さいときはこんなものよ、成長したら変わるんじゃない?と周囲も言うので、そうなんだろうと思っていた。
栄養は十分なのか同年齢の子供の中では大きい方で、身体的にも問題はないので深刻になることもなかった。

幼稚園の年長の頃、担任の先生から来年に向けて小学校へ相談にいかれてはどうかと言われ、相談した校長先生から支援学級へ在籍するよう進められた。
ショックだったし、「そんなにするほどの事かな?」と腑に落ちなかったが、心の片隅に”恐らく何の支援もなしに学校生活を送るのは難しいのでは・・・”という不安もあり迷っていた。悩み、いろんなケースを考えた。
夫はいい顔をしなかったし実家の両親も反対した。
ただ、夫の方は身近で娘の様子を見ていたので不安要素はあったらしい。私が必要だと思うなら支援してもらっていいんじゃないか、との意見だった。
夫の言葉に「支援を受けていいんだ」と安心し、実家の両親をなんとか説得しつつ支援学級への在籍を決意した。
その年の夏にテストを受け、『自閉症スペクトラム』と診断が下りることになる。

■本音と建前
発達障害の子供が社会で暮らす壁に感覚過敏と認知の問題、こだわりの問題がある。

感覚過敏は読んで字のごとく、五感が敏感に働きすぎて生活に支障をきたす。
先の”水の音が怖い”は典型的な例で、定型発達(いわゆる普通の人と呼ばれる発達に特に問題ないとされるタイプ)の人にとって我慢出来ないほど不快でない音が、恐ろしい轟音に聞こえるようだ。感じ方は人によって違うので言葉で説明は難しいが、私がなんてことないと思う音も娘にとっては違うのだろう。
また、”カクテルパーティー効果”と言われる、周囲が多少ざわついていても聞きたい相手の声は聞き取れるといった働きが人間の脳にはあるのだが、娘はこれが弱いらしく、周囲の雑音も主要な音声と同じ音量で拾ってしまうため教室内で先生の声が聞こえない事が多くある。
先生が大事な話をしているのに騒いでいるクラスメイトに対しいらつきを覚え「うるさい!」と注意するのだが、クラスメイトにとっては許容範囲の音量であり、むしろ娘がうるさく騒いでいるように見えるのである。

白い物しか食べなかったのも色のついた食材独特の匂いやエグみに関係があるらしく、外食中は隣テーブルに置いてある小皿のネギの匂いでさえも不快に感じて食事ができなかった事もあった。
(味に関しては私の料理の腕も関係しているかもしれないが)

こだわりの問題は一度習慣づいた行動を頑として変えない事だ。
娘曰く「変えると怖いことが起こるかもしれなくて耐えられない」らしい。
どこかへ行くのにも初めに通った道でなければ通れない。これは学生時代に重度の自閉症の方の例として聞いた話だが、いつも通る道が車で塞がっていたため、車に上がって屋根の上を歩いていったそうだ。
環境の変化に適応するのが苦手なのだが、この辺りに原因がありそうだ。

認知の問題は説明が難しい。難しいがゆえにこれが社会生活を困難にさせている一番の点ではないかと思う。
例えば挨拶。一般的に挨拶をされたら挨拶で返すのは常識とされていると思う。こちらから挨拶する時は時間帯に合った挨拶をする。朝なら「おはよう」昼なら「こんにちは」夜なら「こんばんは」。
たいていは周囲の大人をみて何も指示されなくとも覚えていくものなのだろう。だが、本当に何の説明もなくみんながみんなわかるだろうか。

ある発達障害の診断を受けた少年が、知り合いも含め一向に挨拶をしないので母親がどうして挨拶をしないのか聞いたことがあった。
彼は「午前だけど12時ちょっと前はおはよう?こんにちは?夕方の5時はこんにちは?こんばんは?時間の区切りがわからないから間違うのが怖いし、そもそも挨拶はどうしてもしないといけないものなの?」
彼はふざけているのでも言い訳しているのでもない。真剣にそう考えたのだ。
多くの人にとって当たり前や常識で通っている事柄が考え方や感じ方の違いで食い違う。いわゆる「空気が読めない」というやつだ。

これらは個人差があり、例に上げた話も全員に当てはまる訳ではない。
様々な要素が組み合わさっているし、特に子供は成長と共に変化するので言い切れないが情報として頭に入れて頂けたら・・・と思う。

ある程度知識を入れる機会があったり、バックグラウンドを知っているくらい親密な付き合いがあれば理解があるだろう。
だが、単に道ですれ違うくらい、電車やバスで乗り合わせるくらい、店で同席するくらいで相手がどんな人間でどう生きてきたかわかる人はエスパーくらいだと思う。
社会の中でこういった行動は、そう、『奇行』だ。

娘が成長し社会に出る範囲が広がるにつれ、馴染みない人との関わりは増えていった。
感覚・こだわり・認知の問題から、ちょっとした状況の変化でも娘はパニックを起こす。
大きく叫んで喚くので周囲の迷惑となり、その場にいた知らない男性に怒鳴られた事もあった。
頭ごなしに怒鳴るのは恐怖をあおり気持ちを鎮めるのに逆効果なので、事態は余計に悪化する。
あまりに収まらない様子に周囲は「親が甘やかし過ぎでは」と密やかに囁き始める。

仕事場で娘が発達障害だとカミングアウトしたことがあった。上司は「人と違った感性があるのは面白い」と言ってくれた。嬉しかった。
その上司に、私が仕事でミスをした時「やっぱり子供がおかしい人は親もおかしい」と言われ、世間には本音と建前があるのだと刺さるように感じた。
「見た目でわからないからよかったですね」と無邪気に話す女の子がいた。
違和感は感じたけれど、それが世間様の常識なのだと割り切った。

■世間様に向けた躾
子供が悪いことをしたら叱って躾けるものだ。これは世間の常識だ。
SNSでも始終、子供を叱らない親を叩く書き込みを見かける。
とても窮屈で胸が押しつぶされそうだが、これが世間様の声なんだ。
娘はただでさえ誤解されやすいのだ。常識から外れたら生きていけない。

いつしか、私は娘が何かする前に怒鳴るようになっていった。

道の歩き方、自転車で走る時のルール、食べ物の好き嫌い、習い事などの集団行動で言うことも聞かずに一人外れて好き勝手ウロウロした挙げ句泣きわめこうものなら、家の浴室に押し込んで服ごとシャワーで冷水を浴びせた。
夫は仕事で夜まで帰らないためこの事は知らない。だが様子がおかしいのはなんとなく気づいていたかもしれない。外で私がうるさすぎると注意を受けたことがある。
でも仕方ないじゃない。常識から外れた行動は世間様が許さないんだもの。
世間様に認められるよう、咎められないよう、世間様に向かってせっせと「躾けてます」「自分は常識がわかっているちゃんとした親です。聞き分けがないのはこの子です」と見せつけていた。

■1人目の神登場
その頃通っていた美容室で、幼稚園の娘さんがいる女性が担当になった。
年の近い子供の母という事でお互いの子育ての話をよくしていた。
明るくて話の面白い人だった。話の流れでお互いの子供時代の話題になった。
「私、幼稚園も保育園も入らなかったんですよー」笑いながら彼女はそう言った。
「え?!」
びっくりした。私より少し下の世代だったのだが、その世代で幼稚園も保育園も入らない子はめったにいない。
「上に兄弟2人いるんですけど、母が2人共幼稚園に通わせてから『幼稚園や保育園は行かなくてもいいんじゃないか』って結論になったみたいで」
病気や止む得ない理由も特になさそう。虐待と疑われても不思議でない状況。
「じゃあ家にいて何してたの?」
「母と一緒に近くの公園でやまぶどう採って食べたり、家で一緒に遊んだりしてました」
小学校上がってから集団生活大変でしたよー、と話していたが、鏡越しに映るその表情は愛おしい風景を思い浮かべているような優しい微笑みだった。
「学校の個人懇談も毎回教室入ってすぐ先生に『何を言われても私は変わりませんから!』って言い放って出て行っちゃって。後で父がフォローしてたんですけど」

とんでもない母親だ。
だが私はそのセリフを聞いた時、長く肩にのしかかって払えなかった重い呪いの様なモノがするりと落ちていく感覚を覚えた。

彼女の母親は、自分による、自分の子育てを実践していた。
『変わりませんから』と強く言い放ったその言葉には、自分が自身の経験から考え得た、自身の子育てがあるという主張だ。
教師に対する態度は極端だが、今その娘は自分の職を持ち、子供を育て、生き生きと明るく生きている。
母との思い出も、こんなに愛おしそうに他人に話している。

私は自分で考えていたろうか。
世間様の目に怯えて、考えることを止めてはいなかっただろうか。
子供を支援学級に入れる決断をした頃は、もう少し自分の頭で考えて悩んで判断しようとしてはいなかったか。
私は恥じた。自分の浅はかさを。今まで数々の無理解から傷付けた娘の気持ちを思うとやり切れなかった。
なにやってるんだ、母親。

それ以来、自分の中にある”世間様”に負けそうになると見も知らない彼女の母親を拠り所になんとか踏ん張ろうと心掛けている。会ったこともないけれど、ちょっと話を聞いただけだけれども、あれから彼女は別の店に移動になってもうあの美容院には通っていないけれども、直接お礼が言えないから心でいつも伝えてます。あの時は本当にありがとうございました。

その1年後、もう1人の神に遭遇する。

■2人目の神との邂逅
そうして”世間様向け”ではなく、自分自身の価値観で娘との関わりを築こうと奮闘する訳だが、以外にも身近な所から壁が登場する。
実家の母である。

支援学級に在籍する時も反対だった。「子供を障害者にしようとしている」となかなか受け付けてもらえなかった。
1年だけ在籍して様子を見る、と譲歩案を出してようやく静かにしてもらえた。(結局そのまま5年間在籍中である)

母の言う事は世間様そのものだった。「親の躾が悪い」のオンパレード。あげくのはてに「私ならもっと上手に子育てできる」ときた。

勤めていた仕事はサービス業なので休日に出勤する時もあり、主人も出勤が重なればどうしても娘を預かってもらわねばならず、その都度パニックの起こる条件や対応を、学校や家であった問題行動を交えて報告していた。
その度に「躾が」の話が始まり、わかっているとはいえ辛かった。

小学校に入ってすぐ、私は娘と2人で市の教育機関へ子供の療育訓練に通っていた。保護者の面談もあり、私は子供とは別に教育相談として月2回、専門の先生と訓練所のある施設で話し合っていた。
担当の女性の先生はとても厳しく、私のフワフワした子育て論など毎回喝を入れられていた。自ら電車に乗って怒られに来ているようで内心理不尽を感じていた。自分の不勉強のせいだが。

そんな中、母とのやり取りをこぼしたことがある。
たぶん子供の面倒を頼んだ後だったのだろう。辛くてつい話してしまったのだ。
担当の先生は静かにこう尋ねた。
「どうしてもお母さんに報告しなければいけませんか?」

一瞬質問の意味がわからなかった。その頃の私は、孫の話なのだから当然しなければいけない義務感にかられていたのだと思う。話さなくていい選択肢は思い浮かばなかった。
先生は続けた。
「私はおおいえさんの考えが間違っていると思わないし、共感できるところもある。お子さんの親はあなただし、あなたが一番近くでたくさん見てきたのですから、もっと自信を持ったらどうですか?」
「お母さんにわざわざ報告する必要はないと思います。『自分の方が子育てが上手』と言ってるんだから、何かあっても全部まかせたらいいんじゃないですか」

目からウロコとはこのことか。

自分で上手にできると言っているのだから、任せればいいじゃないか。

同時に、「自信を持ったらどうですか」の言葉がこんなに救いだと感じたことはなかった。
私だってこれまで、悩んで考えてつまづいて這い上がってきた。そんなに大きな一歩ではないけれど。
ほんの僅かな歩みだって、掴んで得たものはあるじゃなか。

先生はこの年限りで移動されたので、今は施設にいらっしゃらない。
おっかない先生だったが今も私の心で喝を入れ続けてくれる。
直接関わりのあった方なので、最後の日に存分にお礼が言えた。よかった。

■自らの中で囁く”世間様の声”
さんざん苦しめてくれる世間様だが、実際に苦言を呈されたことは実はほとんどない。
自分が思っていたより、身近に関わる保護者や先生や地域の方は温かく、助けていただく機会の方が多いのだ。
あの”世間様”とはなんなのだろう。
一般論だろうか。自信がない自分が作り出した幻覚だろうか。
今この時もあの”世間様”の声に、胸を苦しくされている保護者の方は多いのではないだろうか。
ならば伝えたい。
コピー製品じゃないんだから、同じ人間なんてこの世に1人もいませんよ。
常識かどうかなんて理由はあとからいくらでも付けられます。
あなたが真剣に悩んで考えて、「これでいい」と心の底から思えたならたぶんそれが正解です。
自信を持って下さい。

娘へ。
あなたの親になれてよかった。心を閉ざしがちで変化のない私にとって、あなたがいなければ世界は変わらなかっただろう。きっかけは必要に迫られてだけれど、障害のことや教育を調べるうちに人の心の動きや生き方、個性という考え方、社会の在り方に自分から関心を持つことができた。
誰から押し付けられたものでもない、私の心からの言葉で「ありがとう」。