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およそ人間が編纂する歴史は総て偽史である

株式会社OVERKAST・エクリ編集長である大林寛さんとふたりで「デザインのよみかた」と題した連続講座を、オンライン学習サイト schooにて現在担当しています。色彩についての「いろのいろいろ」、つづいてのタイポグラフィ編「ミル文字ヨム文字ミセル文字」につづいての、デザイン編という流れ。これに携わることで、一般教養としてのデザインのありかたを再考する機会となりました。

デザインということばは、今日では耳にしないことがめずらしいほどに、さまざまな場面で使用されています。それは、この言葉や行為に拡張性があることを証明しているともいえるでしょう。いっぽうで、デザインをまなぶには専門の教育機関か、企業など限られた場しか存在していないことも事実です。そうした意味で、現在、アンバランスな局面をむかえているのかもしれません。デザインのこれまでを整理しながら、受講生のみなさんとかんがえてゆく……というのが、この「デザインのよみかた」講座となります。

詳しい内容は実際の配信講座に譲りますが、ここでは、こぼれ話をすこし。

講座第2回目「いいデザインとはなにか?」では現在、いい、とされているデザインが、なぜ評価されるのか? その価値基準が形成された背景を、近代デザイン史を振り返りながらみることになりました。今回、これにそなえ、あらためて近代デザインに関わる書物などをみながら、それを整理整頓するにつれ、いわゆるモダニズムのデザイナーたちが、自分たちの価値基準の啓蒙に熱心だったことに気づかされるばかりです。

アドルフ・ロースによる『装飾と罪悪』(1908)にバウハウスの設立(1919)、ドイツ工作連盟『Die form ohne ornament』(1924)、ル・コルビュジエ『今日の装飾芸術』(1925)、ヤン・チヒョルト『Die Neue Typographie』(1928)、フィリップ・ジョンソンの企画による『ニューヨーク近代美術館 近代建築展』(1932)、マックス・ビル『Form』(1952)、ウルム造形大学設立(1953)、エミール・ルダー『タイポグラフィ』(1967)、国内では柳宗理が『民藝』誌上で「新しい工藝・生きている工藝」というエッセーを執筆していましたし、1957年にはじまるグッドデザイン商品選定制度(のちのグッドデザイン賞)や1964年の東京オリンピックがそれにあたるはず(そういえば、ちょっと前も三宅一生や青柳正規が「日本にデザイン・ミュージアムを作ろう!」という活動をおこなっていました。あれ、その後、どうなったんだろう?)もちろん、これはごくごく一部。これが入っていない!みたいな突っ込みもおおいにあるかと。肝心なのは、それだけ、啓蒙・教育にエネルギーが注がれていたというところでしょう。産業革命から1世紀とすこしの時間をかけて、モダニズムが今日の定着をみる背景には、こうした活動あってこそ。

今回、タイトルに引用した「およそ人間が編纂する歴史は総て偽史である」は菊地成孔・大谷能夫『東京大学のアルバート・アイラー —— 東大ジャズ講義録・歴史編』(文春文庫)まえがきの一節から。歴史はうまれたその瞬間から、それ自体が編集され、デザインされているのだと、あらためて理解した次第です。

デザインのよみかたhttps://schoo.jp/class/4851
大林 寛(株式会社OVERKAST代表取締役)
中村将大(東洋美術学校 専任講師)


3 March 2018
中村将大

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