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「正しさ」じゃなくて「楽しさ」から始めよう。
この1、2年で、社会は大きく姿を変えてしまった。
私が通っている大学では、授業がオンラインで実施されるようになり、サークル活動が停止した時期もあった。そして、どこに行くにもマスク、マスク、マスク。店の入り口では、検温や消毒、中に入ればアクリル板。人と人は物理的にも、心理的にも距離が生まれてしまったように思う。
コロナウイルスによる感染で苦しんだ人々。様々な面で生まれた差別、対立。マスメディアで行われている偏向報道。外出自粛、飲食店の営業停止・時短営業。一方で行われたオリンピック・パラリンピックの矛盾。
私自身、この現状に対して、思うところはたくさんある。
この情報こそ、ちゃんと報道されるべきだ!!
なんだこの政策、おかしいぞ!!
乗っかってる国民もどうかしてる!!
どうしてこんな「正しくない」ことばっかり行われるんだ!!!
だから、私は正しさばかりを主張して、自分の中での行動原理や規範から外れたモノに嚙みついたり、下に見たりしていたように思う。
とある一件から、Twitterで表現はかなり気をつけるようにはしたが、自分の心のどこかに、正しさを得た優越感や、他者や社会に対する激しい憤りや怒りが消えずに存在していることは、自覚していた。
***
ここ数日、自分を深く内省する機会に恵まれて、色々なことを考えた。
私は何を思っているんだろう。
私はどういう行動をとるべきなんだろう。
私はどういう風に生きていきたいんだろう。
内在する感情と向き合うことは苦しかったし、様々な葛藤もあった。不安定な自分を受容できず、安定感を得たいがために正解を探し求めたこともあった。成長するには痛みが伴う。本当にそうだなと思った。
そんな時に、あるツイートが目に留まった。
病気でしんどいとき、仕事がうまくいかず不安になったとき、彼女と別れて寂しいとき、猫が死んで苦しいとき、いつも「こんなときにしか見えない景色を見てやろう」と目を凝らしていた。外の光を見つめていた。
— +M (@freakscafe) August 28, 2021
きれいな文章だなあと思った。
なぜか、涙が頬を伝った。
ぐちゃぐちゃだった心が、すっと澄み切っていくような感覚がした。
すると、あれだけ苦しかったはずなのに、自分がとるべき行動、やりたいことがクリアになってきたのである。
意味のあるコミュニケーションをとる。
まぁTwitterは、つぶやきなんだからというのは置いておいて、何かが前に進むようなコミュニケーションをとっていきたい。文句とか批判ばかりじゃなくてね。
世界は、多様性で満ちている。もちろんこのパンデミックに対しての考えもそう。でも、常に考えなきゃいけないのは、皆、より良く生きていきたいと思っているってこと。
確固とした意見を持っている人は、自分と考えが違っても尊重したい。その一方で、迷ったり苦しんだりしている人たちに対しては、自分の考えをそっと共有して、道しるべとしてあげたい。
自分の人生をとことん楽しむ。
コロナウイルスに恐れ慄いたり、考えが合わない人々と対立したり、国や自治体、メディアに対して文句を言ったりと、自分の大切な人生を負のエネルギーで満たして、楽しめなくなってしまうことだけはしたくない。
遠回りなようで、ポジティブなエネルギーには、着実に世界を変える力があると思う。人が何か楽しそうにやっているのを見ると、自分もやってみたくなったりする。何でもまずは自分から。そしてそれは波となり、周りの人へと広がっていくはず。
「正しさ」じゃなくて「楽しさ」から始めよう!!
きっとみんな良くなる。世界は良くなるよ。
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