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第12回 リンカーン大統領の名言〜経験してきた挫折は誰にも負けない男が大統領になり、南北戦争を勝利に導いた【名言と本の紹介エッセイ】



「私の歩みは遅いが、歩んだ道を引き返すことはない。」

アメリカ合衆国大統領
エイブラハム・リンカーン


アメリカの歴代大統領人気ランキングで常に1位になるリンカーン。

しかし、彼の半生は挫折の連続だった。
まさに、あの時代のしくじり先生。

何回跳ね返されても、彼は夢を追い続けた。


大統領になる前までは数々の選挙に落ち続け、挫折しまくりだったリンカーン。

ちなみに、生涯で受けた学校教育は巡回教師によるもので、一年ほどしかなかった。

それでも、彼は前進し続けた。


「君の決心が本当に固いものなら、もうすでに希望の半分は実現している。
夢を実現させるのだという強い決意こそが、何にもまして重要であることを決して忘れてはならない。」

アメリカ合衆国大統領
エイブラハム・リンカーン


弁護士志望の若者へのアドバイス。

リンカーン自身も叩き上げの苦労人。


「こちらに五分の理しかない場合には、どんなに重大なことでも、相手に譲るべきだ。
こちらに十分の理があると思われる場合でも、小さいことなら、譲った方がいい。」

アメリカ合衆国大統領
エイブラハム・リンカーン


リンカーンは多くの人々から愛された。

相手に譲る精神がその人柄を作り上げた。


「日夜大きなプレッシャーがあるのです。
笑わなければ死んでしまうでしょう。」

アメリカ合衆国大統領
エイブラハム・リンカーン


リンカーンは演説の名手として知られるが、普段はよく冗談を言って周りの人たちを笑わせていた。

「笑い」こそが人間関係を円滑にすることをよく知っていた人だった。


「今日出来ることを明日に残すな。」

アメリカ合衆国大統領
エイブラハム・リンカーン


めんどくさがりな自分にとっては非常に耳の痛い言葉。笑

歳をとってきたせいばかりにしていないで、時々リンカーンのこの言葉を思い出そう。

今日中にやることを済ませてしまえば、明日の時間の貯金ができるから。


「もし最後の結果が良ければ、私に浴びせられた非難などは全く問題ではない。
ただし、最後の結果が悪ければ、たとえ十人の天使が私を弁護してくれたところで何の役にも立ちはしない。」

アメリカ合衆国大統領 エイブラハム・リンカーン


終わり良ければ全て良し。

人生の最後をハッピーエンドで締め括れるようにしよう。


「もし、木を切り倒すのに6時間与えられたら、私は最初の4時間を斧を研ぐのに費やすだろう。」

アメリカ合衆国大統領 エイブラハム・リンカーン


目の前の仕事を効率よくこなすための戦術を考えるのも大事だ。

しかし、長期的に見れば、仕事全体の仕組みを考える戦略を考えることに時間を費やす方がより効率的だ。


「敵が友となる時、敵を滅ぼしたと言えないかね?」

アメリカ合衆国大統領 エイブラハム・リンカーン


南北戦争を戦い抜き勝利に導いた大統領リンカーン。

しかし彼は、憎しみの連鎖ではいつまでも国がまとまらないということを知っていた。

テロや暴力では人々はまとまらない。


「人民の人民による人民のための政治をこの地上から決して消滅させたりはしない」

アメリカ合衆国大統領 エイブラハム・リンカーン


自由と民主主義を求める我々人類の意思は強い。

リンカーン亡き後、紆余曲折を経ながらも、後の世代の人達が民主主義を紡いできた。

民主主義の灯火を絶やしてはならない。
次の世代にバトンを渡そう。


「物事をつきつめて考え過ぎないことだ。
くだらない悩みは笑いで吹っ飛ばそう。
笑って悩みを追っ払うことは、決して不可能ではない。」

作家・教師 デール・カーネギー


危機的な状況で余裕がない時の大切な配慮。

例えば、南北戦争中にリンカーン大統領はよく冗談を言っては周りを和ませていた。


自分に喝を入れたい時は


リンカーンやJohn F. ケネディ大統領などの名演説文章を読んでみるのがオススメ。

長く読み継がれてきた名演説は、普遍的なメッセージを持っており、読む人に勇気を与えてくれる。

前後の歴史的な背景を知るのも勉強になる。

承久の乱の時の北条政子の名演説も圧巻だ。


文章の構成作り

書く時のネタ出し・構成案作りとして、思いついたことをカードに色々書いて、並べ変える作業は、昔から偉人たちがやっていた方法。

スピーチの名手であるリンカーン大統領も、紙の切れ端に思いついたアイディアを書いてはシルクハットの中に入れていた。

時折、紙を取り出しては構成を練っていた。


独りよがりの言葉遣いかも

演説の名手であるリンカーン大統領が子供の頃されて嫌だったこと。

それは自分が分からない言葉を使われた時。

だから彼は、自分の演説原稿を書くときは、誰にでも分かりやすい言葉になるように人一倍気を使った。

リンカーンは政治家の演説を庶民のものにした。



スピーチの構成の学び方

スピーチの構成(=話の組み立て方や流れ)を学ぶには、アメリカ合衆国大統領の就任演説が良い教材になる。

何回も推敲して練られた文章だから。

時代状況や文化的背景は異なるものの、人を感動させ、気持ちを盛り上げる手法が散りばめられている。

ケネディー、ルーズベルト、リンカーン等がオススメ。



カード式文章構成法

演説の名手のリンカーン大統領は、良い言葉が思い浮かんだら紙切れに走り書きして、その紙切れをシルクハットの中に入れて持ち歩いたらしい。

ある程度たまったら、紙切れを並び替えながら文章の構成を練ったとのこと。

今で言うカード式文章構成法の走りだろう。

文章術の本質は今も昔も変わらない。



人類史上稀に見る名演説となったゲティスバーグ演説


リンカーンがその準備に費やした期間は約2週間(当時としてはかなり短い準備期間だった)。

大判の紙に草稿を書いては消し、書いて消してを繰り返しながら、多忙な執務の合間を全て使ってスピーチの内容を練りあげた。

周到な準備が名演説を生んだ。


優れたリーダーに笑いのセンスは必要か❓


確かに、リンカーンは笑い話で人を笑わせるのが上手だった。

しかし、なくても何とかなる。

笑いとは滑稽さなので、自分の滑稽なところを突っ込んでくれるメンバーがいてくれれば、自然に笑いは起きる。

笑いのセンスよりも、度量の広さ、誠実さが大切。


最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。

今回は、アメリカ合衆国史上最高の大統領と言われるエイブラハム・リンカーンの名言について取り上げてみました。

奴隷解放宣言やゲティスバーグの演説で有名なリンカーン大統領ですが、その半生は挫折の連続でした。

しかも、学校教育を受けたのは1年に満たなかったと言われます。

そんな経歴を持つリンカーンが大統領にまでなれたのは、挫折にめげない負けん気と弛まない努力の賜物でした。

彼は独学で弁護士になり、そして、何回選挙に落ちてもチャレンジし続けて、大統領にまで上り詰めた人です。

もちろん、ネイティブアメリカンの人たちへの苛烈な政策については、なぜ彼がそのようなことをしたのか理解に苦しむ面もあります。

そのため、リンカーン大統領の実績の全てを肯定できるわけではありません。

しかし、それを踏まえても、人類史上に残した彼の功績は消えないでしょう。

特に学校の教科書でも紹介されている「ゲティスバーグの演説」は、民主主義の根本精神を高らかに歌ったものとして、今後も語り継がれていくと思います。

彼は若い頃から、将来政治家になることを夢見て、よく演説の練習をしていたそうです。

スピーチの上達の仕方や文章の書き方を学ぶには、リンカーン大統領のやり方に学ぶと大いに参考になるでしょう。

最後に、史上最高の名演説と言われる「ゲティスバーグの演説」をご紹介して終わりたいと思います。

Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.

Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure.

We are met on a great battle-field of that war.

We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that that nation might live.

It is altogether fitting and proper that we should do this.

But, in a larger sense, we can not dedicate—we can not consecrate—we can not hallow—this ground.

The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract.

The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here.

It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced.

It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us—that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion—that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain

—that this nation, under God, shall have a new birth of freedom—

and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

87年前、我々の父祖たちは、自由の精神に育まれ、人はみな平等に創られているという信条に捧げられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。

今我々は、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。

われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。

われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。

我々がそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。

しかし、さらに大きな意味で、我々は、この土地を捧げることはできない。
清め捧げることもできない。
聖別することもできない。
足すことも引くこともできない、我々の貧弱な力を遥かに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげているからである。

世界は、我々がここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶に留めることもないだろう。

しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。

ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きている我々なのである。

我々の目の前に残された偉大な事業にここで身を捧げるべきは、むしろ我々自身なのである。

それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を 尽くして身命を捧げた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、我々が一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、我々がここで固く決意することである。

Abraham Lincoln


(ウィキペディアから引用しました。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0%E6%BC%94%E8%AA%AC)

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