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第十二話 アトラス越え

この話をここに残して思う。
改めて、僕の人生は今も昔も変わらすず有り得ない様なことの連続だなと。
一生のウチに一度あるか無いかの経験を、一体どれだけ経験するのだろうか?
これから先もまだまだ色々ありそうですが、先ずは続けて書いていきます。アトラス山脈。

マグレブ三国。

モロッコ・アルジェリア・チュニジアを合わせた三国は、こう総称されます。

地中海からの湿った空気がアトラス山脈にぶつかり、この三国に恵みの雨をもたらす。
そのおかげでこのマグレブの国々は、豊かの作物が育つ環境にあるのです。
(地球環境の変化により、もしかしたらこの環境も変化していくのかもしれない。実際に数年前に行った時は既に川は水を失い、砂漠化は確実に広がっていました)
 
 そんなモロッコでは沢山の果物を食べました。物価の高いヨーロッパでは、一週間で一袋(10個入りとかの)のパンに、牛乳(ほとんど毎日は水のみ)とリンゴ(三日に一つ)などの生活でしたが、物価の安いここモロッコでは、やっと人間らしい生活というかちゃんとした食事にありつけるようになったのです。
 
 そんな生活も砂漠に近づくにつれ、だんだん変化していきました。緑は減り、荒涼とした大地が広がりを見せ、ゴツゴツした岩山が目立ち始める。空気も乾燥してくる。
人混みの騒めきは消え、澄んだ空気が風の音を運ぶ。
 
僕は違う世界に来たと実感する。
 
 途中、山道で寄った雑貨屋みたいなところで、喉が渇いたので「ファンタ」を飲もうと注文する。
出てきたのは1970年代くらいの缶のラベルの「ファンタ」。裏を見ると表示どころか錆付いている。
別の旅行者がコーラを頼むと、ラベルが剥がれている。「これ、本当にコーラ?」きっと物資の流れから遠ざかっているのでしょう。

 そこを更に越えると太陽が近い。チリチリと音がするくらいに焼ける肌。黒人達の姿も増えてくる。

真っ直ぐ、南に伸びる一本の道。ロバに乗る黒人の少年が見える。この先にはあのブラックアフリカが存在するのだろうか。
僕はその先から流れてくる暑い風を感じ、アフリカへの思いを馳せる。

 しかし、その夜。
コーラもファンタも飲んだせいなのか(あのコーラなどを飲む事自体、かなりのチャレンジャーですが)、腹痛に見舞われる。

しかも高熱にうなされる。それまでの旅の疲れもあったのだろうか?それともこの気候の変化についていけなかったからなのだろうか?

苦しみで、一睡も出来ない一夜を過ごす。

翌朝、少し良くなり、この先に進むか諦めるか迷う。
アトラス越えだけでも、かなり過酷な旅だった。

途中の山道は所々舗装もされておらず、ガードレールも無く、谷底に落ちている車やバスも見掛けた。落ちてまだ煙が燻る車も見た。

別のバス会社の荷物が山の斜面から落ちて、乗客達が斜面を命懸けで下り、荷物を回収してる姿も見えた。

まだこの先、あんな過酷な旅だとしたら、この体調では持たない。でも、夢にまで見たアフリカの砂漠は、もう直ぐ目の前だ。

散々迷いに迷った僕ですが、身体の方が追い付かず、ここで砂漠へ入る事は諦めました。
砂漠はまた来よう。
もう少し旅のスキルを磨いてから、来れば良い。

きっとこの悔しさは、その先にも生きるはずだから。

力不足。
あまりにも色々な意味で非力(というか、無謀)であると実感しました。
 
 思えば、マリやセネガルなどへ行くにしても、VISAは無く、ここから南下してどこへ行こうとしていたのか?
最初の旅はこんな事も知らずに、とにかく勢いだけで行動していたのです。

とは言え、折角、ここまで来たし、アトラスだけは楽しみたい。
実はここに来るバスで、凄い偶然にも二人の日本人に会いました。
一人は大阪から来ていた年上女性のバックパッカー。
もう一人は静岡から来ていた僕と歳が同じ男性。彼も世界を旅している旅行者で、実はこの前にも、スペインで会い、一緒に闘牛を観た仲間でした。

そんな3人でタクシーを借りて、アトラスを行く。
タクシーに適当な場所で停めてもらい、川、滝、その他、色々回る。

そして、3人で丘を越えると、何と綺麗な花畑を発見しました。
凄い。
辺り一面に花が咲き乱れている。
僕らは夢中で写真を取る。

しかし、静岡の彼が怪訝そうな顔をする。

あれ…?
これ…、もしかしたらヤバいかもしれない。
そう言うのです。

何がヤバいんだろう?

すると、その花畑の向こうに人影が見える。
ここを管理してる人かな?
何気なくボーッと見ていると、おや?え?
その人影の手には銃が!!

ヤバい、隠れろ!
銃持ってる!!

僕らは頭を屈める。
すると、彼は言うのです。
やっぱりそうだ!
それ、ただの綺麗な花じゃないよ!
ケシの花だ!
ここはケシの栽培してるトコだよ!

成る程。ここで栽培され生成され、ヨーロッパに持ち込まれてるのか。という冷静な事は後から考えた事ですが、その時は兎に角見つからないように、直ぐにその場を離れました。

ヤバかった。

しかし、ヤバいのはここでは終わらなかった。
僕ら3人のチャーターだったタクシーなのに、運転手が途中で、ヒッチハイクの二人を無理矢理乗せたのです。

僕らは抗議するが、大丈夫だと運転者は話も聞かない。
僕ら3人は後ろの席に。彼ら2人は助手席に座り、完全な定員オーバー。
しかも2人との話に盛り上がり、運転者は前を見ていない。
ガードレールも無い断崖絶壁で?!

時々蛇行運転を繰り返し、大阪の女性が悲鳴を挙げる。
僕は運転手に怒鳴る。

それでも運転手は変わらず、話し続ける。

すると、なんと前から対向車が!
しかも、こちらは真ん中を走ってるので、衝突必死

前!前!前見ろよ!!!
僕は運転手を後ろから叩く。

運転手はようやく気付き、ブレーキ掛けてハンドルを切る。

バキッ…!!

終わった。
僕は確実にぶつかったと思い覚悟を決める。

いや、どうやら生きているみたいだ。
扉を開けて降りると、どうやらサイドミラーがぶつかって折れたらしい。
自分が悪いくせに、相手に文句を言いに行く運転手。
最悪だな。

しかしそれでも、何とか命を拾った僕らは、街へと戻る。
すると、今度は運転者が最初に話した料金を釣り上げてくる。

こいつは…。
ヒッチハイカー乗せて、事故までやって、更に値段交渉とは。
僕らは警察官が近くに居たので、彼の事を訴えました。
そして、警察署へと行く僕らは。

結果的に僕らに何の非もなく、かつ事故にも遭ったので、払わなくて良いとなりました。

警察署を出ると彼は全く懲りておらずに、また高値を言ってきましたが、もう知らない。
僕らは無視して、その場を去りました。

こんなハードな事件の連続で、ここから更に砂漠は無理だろうという気持ちも改めて強くなり、再び、あの難所のアトラスを越えをして、街に戻りました。

毎度の事ながら、バスの値段もバス会社が嘘ばかりつくので(分かりにくい数字を手書きで書いて、残りを自分の懐に入れる)、このバスのチケット取る作業一つでも疲れる。

 それからカサブランカやラバトなどの都市を経由しながら、再び、あのタンジェへと向かいました。

そのタンジェも、帰りはなんて事なく、ここも素通り。
色々と遭ったけど、何とかこのモロッコを生き延びられたな。そんな事を思いつつ、船に乗り、再びヨーロッパへと戻っていったのです。

旅のアドベンチャー的な気分は充分に楽しんだし、ここまででそろそろ良いかなと思った僕は、一路、旅の始まりであったイギリスへと向かったのでした。

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