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生きること、学ぶこと

(問い)大学はなぜ変われないのか? どうしたら変革できるのか?



〜「教育神話」とは?〜 その2


 



現状維持の偏見によって、組織(大学)は自らをどのようにして正当化するか?
How the status quo bias defends itself in organizations

 

 自分の支持理論と実際に行われていることの違いがあることは現実である。人は自分が公的に表明している考えとは違う行動をしばしばとる。例えば、大学は初任教員に対して、表向きは研究45%、教育45%と両方をバランスよくやって欲しいというが、実際には研究を90%やるように促す。(クリス・アージリス(ハーバードビジネス経営学))
 
 アージリスとMITのドナルド・ショーンは、組織において人は二つの概念を同時にもって活動していることを示す。「信奉している理論(espoused theory)」とは、人々が自分の行動はこれに基づいているのだと「語る」 目標、仮説、価値観のことである。一方、「使っている理論(theory in use)」とは、実際に当人がとる行為に反映している(が本人 は特に話さない)暗黙の諸前提のことである。本人はラーニング・パラダイムが正しいと思いつつ、実際にはティーチング・パラダイムに陥ってしまう。(Espoused Theory And Theory -In -Use)
 
 組織は常にやるべきことと実際にやることの間の葛藤があり、そこに矛盾が生じる。この時に、「組織的な防御のルーティン」という神話が生まれる。(クリス・アージリス)
 
 例えば、「それは組織の政策ではない」「自分は責任者でないので決められない」「今までに、そんなことはやったことはない」「そんな予算はない」「我々はいつもそうやってきている」などの釈明をする。これらはidea killersと呼ぶ。繰り返し法則の偏見である。折角新しい授業に挑戦しようと思う時に障害となる。(ハーヴィー・ホーンスタイン作家)
 
 そんな中で大学は教員に対して「いろいろあるが、貴方がうまく教育できるように頑張ってください」とだけ言って済ませようとする。組織的な防御ルーティーンが働くと、真面目に改革の議論をしなくなってしまう。本質がどこにあるかが見えなくなる。さらには、問題があることを知っていても誰も知らないふりをして(fancy footworkという)、組織は崩壊していく。(Organizational Defensive Routines)
 
 意思決定と合理的判断のモデルで、人間の認知における不合理性を説明した。(キース・スタインオービック(心理学)とリチャード・ウエスト(心理学))
 
 スキルのある人は何も考えず自動的に遂行できる(高速思考)が、メタ認知が必要な時に間違えることがある。(ダニエル・カーネマン)(Designed Ignorance)
 
 
大学の質に関する神話 The design of colleges and then myths of quality

 
 多くの学長は学習者中心の学びへの改革を推進したいと計画しているが、こうした先鞭的改革には教員が反対すると言う。
 
「教員は新しい教育法に挑戦したがらない。むしろ自分の経験の範囲で教えることを望む。」(デレク・ボック(元ハーバード学長))1970年、チャールズ・マスカティーン(文学史)が新しい授業方法を創出したとき、「教育の質」が担保されないと反対された。一方、既存のカリキュラムではそうした質の問題は問われない。二重規範なのだ。実際、大学のほとんどの教員は教えることの専門家ではない。(A Long Tradition)
 
 大学が教員に求めるものは、「出版と受賞と名声」であり、授業改革はその後である。テニュアになるまでは、余計なことはするなと忠告する。ジェイムズ・フェアーウェザー(教育学)の教員給与調査では論文を多く書き、研究をする方が給与の高いことがわかっている。当然、教員のパフォーマンスも授業の評価は軽視される。
(The Faculty Endowment)
 
  「Managing the Unexpected」で示したルースカプリングの概念から、大学組織は企業と違って、それぞれの学部や組織がコネクトしていない。にもかかわらず、大学は現状維持の方向で教員を縛る。(カール・ワイク(学術組織論))
(Loose Coupling And The Binding Myths)
 
制度化の理論によると、
 
①より制度化したルールがより正式な組織につながる
②他の組織に比べて多様なルールを採用しているところは成功する
③組織の管理がより儀式的な順応につながる。
 
 儀式的な枠組みを作り、教育神話を維持する大学が多い。「Academically Adrift: Limited Learning on College Campus」の中で3000人の学生の学習状況を調査した。多くの学生が2年間でほとんど成長していない。そこで大学学習評価(CLA)によって測定されるようにした。ジョン・ハッティ(教育学)も「visible learning」でメタ分析による教育効果の可視化を行った。「Student learning」が起きる時は教員自身が学習者になり、学生が教育者の立場になる時なのだ。(ジョン・マイヤー(比較社会学)とブライアン・ローワンの「新制度派」)(Ritual Classifications)
 
 「自信の論理logic of confidence」は教育神話の一つだ。教育と学習は交換可能と考える。(マイヤー)
大学では組織より個人間のコネクションが強い。(カール・ワイク)
教師は教育パラダイムの授業の結果について、その評価を避けている。迷信的推論に頼っている。儀式的枠組みで上手くいっていると考える。パンドワゴン効果で多くの教師がやっていることが支持されるようになっていく。(ハーヴェイ・ラベンシュタイン(理論経済学))大学は組織がルースにできているのに、授業では儀式的、迷信的なものになり、改革が進まない。(The Instruction Myth And Superstitious Reasoning)
 
 

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