『ソロ戦争』#18 単身者の性的身体
自分の体験も交えながら女性の生き方について考え、結婚もせず子供も産まない「ソロ」としての生き方を模索するシリーズ。前回は、ソロ人間の「恋愛」について考えました。
今回は、「性」について考えてみたいと思います。
性的パートナーという存在
ソロにとってやっかいなのは「性」の問題だと思います。今読んでいる『限界から始まる』という本のなかで、上野千鶴子氏が、「『対幻想』から醒めたあとも、単身者の性的な身体は残る」とおっしゃっています。
単身者であることは「性的存在」でないことを意味しませんし、「性的」であることは「対」であることを条件としません。(上野千鶴子)
対である人にとってはセックスは基本的にはパートナーとするものですから、性欲が満たされないという悩みは少ないでしょう(セックスレスのカップルも最近は多いようですが)。では、相手のいないソロはどうするか。
男性の場合はお金を払って性欲を解消することもできるでしょう。けれど女性の場合、男性と違って単純に「性欲」だけではないので、お金を払って相手をしてもらったり、あるいはマッチングアプリでヤリモクの人を探してセックスをしたとしても、満たされません。また、女性の場合は男性と違い、複数の相手とセックスをすることは負担になります。定期的に会える信頼できる性的パートナーがいればいいのかもしれません。
性的パートナーは「セフレ」とは違う
では、「性的」パートナーと普通の意味でのパートナーとなにが違うのかというと、普通の意味での「パートナー」は人生を共有しともに過ごすというものですが、「性的パートナー」は性を中心としながらも信頼できる人間関係を築くというものです。いわゆる「セフレ」ともちょっと違います(「セフレ」というのは、本当にセックスだけの関係で、信頼関係がないというイメージ)。
性的パートナーは、ほかにパートナーがいる人でも、持つことができます。パートナーとの間がセックスレスだったりする人は、性的パートナーを得ることで、豊かになります。「セフレ」というのは複数の人と短期的なスパンでセックスを繰り返す、という意味合いが強いですが、性的パートナーは、もっと長期的に人生に関わってくる相手ということになります。
加齢によって性欲が減り、平和になった
上野千鶴子氏は、「加齢によって性欲が減り、人生が平和になった」と書いています。じつは私も同じことを経験しています。
私の場合は40を過ぎてから目に見えて性欲が減退しました。セックスをしたいと思わないし、試しにしてみても気持ちよくありません。セックスは、別になくてもいいものなんだ、と思いました。女性誌とかによくある「セックスできれいになる!」とかいうのも、眉唾ものだと思います。
けれど、まるきり性欲がなくなったかというと、そうではないと思います。というのは、ごくたまに、性的な夢を見ることがあるからです。夢はその人の潜在意識を表します。潜在的には私には性欲があり、それを満たしてくれる人を求めているのだと思います。
上野氏も、「さあて、高齢期の性と愛とは、どんなものでしょうか。わたしにとっては未知の世界です」と、まるでそれを待ち望んでいるような書き方をしています。
先日、友人に、性欲や恋愛欲がなくなったと話したら、「まだ40代なんだから、これからいろいろあるよ」と言われました。確かにまだ40代。枯れるにはまだ早いという感じはします。
さあて、これから私に訪れる恋とか愛とか性は、いったいどんなものなのでしょうか。楽しみに待ちたいと思います。
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