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安川有果「よだかの片想い」

Kinocinemaみなとみらいで、安川有果「よだかの片想い」 原作は島本理生。 脚本は城定秀夫。

左頬に生まれつきアザを持つ院生のリケジョ(松井玲奈)が、手記刊行をきっかけに出会った映画化を熱望する監督(中島歩)。彼との恋と擦れ違いを経て掴んだ本当の自分。誰もが気になる自分の顔を振り返る、繊細な内向青春映画の佳作。

成人映画を多く観てる私にとって夜鷹(=よだか)は馴染み深い言葉である。江戸時代、夜道で客を引いた娼婦。といっても娼婦とは名ばかりで、ホームレスの女性がその日の生きる金を稼ぐため行きずりの男に身体を開くようなもの、かなり濃厚なエロ描写あるのではと期待した。

ところが、ヒロインの松井玲奈って元SKE48でセンターポジションまで務めたあの人だったのか!(←普段アイドルは全く見ないので知識が無いw)ということはエロくないんだよね?と一旦は思ったが、いざ映画が始まってみると今にも脱ぎそうな勢いじゃん、色気あるじゃん!

予備知識を入れなかったら、松井玲奈って完全に映画女優だと勘違いする程、雰囲気が出てる。顔にアザがあってよだかの如く寡黙で物を思う性格の役だから、より映画女優っぽさが出てるのかも知れない。ショートヘアに大きな目、何かを思いつめたような危うさを持つ女性。

すっかり全作品を追いかけ続けてる城定さんが脚本を書いた作品だからという訳で観てみたんだけど、原作も監督も城定さんじゃない、別の人の作品になってる一方で、ラテ研(=ラテン研究会)の一見明るめの女性の登場など意匠は城定さんっぽい部分も多々あると思うんだよね。

モチーフは完全に宮沢賢治。量子力学を専門に博士課程に進んだリケジョが、小学生の頃に頬のアザを心無い男子に「琵琶湖みたいだ」と言われたことをずっと大人になっても引きずっていて、そこから自由になれない、まさに「よだかの星」のような自分につまずいている。

アザに躓く女・玲奈に対して、映画に魅せられた男・中島歩をぶっこむ。玲奈の基準からすれば中島は何を考えてるのか分からない、ともすれば自分勝手な奴だけど、中島の側からすれば内向的に過ぎる玲奈も何を考えてるのか分からない厄介な奴で、二人の心の交点を探す話。

映画監督の中島が好きな宮沢賢治の一節は「春と修羅」より、「わたくしといふ現象は仮定された有機交流 電燈のひとつの青い照明です」、そして頬にアザがある玲奈が好きな宮沢賢治の一節は「よだかの星」より「お前は「たか」の名前を使うな「市蔵」に改名せよ」である。

内向的な思考にどっぷり沈み込んでしまう人間同士、宮沢賢治を読んでもこうも受け止め方が違うの?中島にとって、玲奈が生まれつき背負った醜いアザのせいで、自分の生き方を見直し迷って、答えが出せないでいる現実は、私が私であると感じるのがいかに難しいかということ。

登場人物全員が繊細な神経の持ち主で、ともすれば壊れてしまいそうなギリギリで生きてる。それは映画監督をしている中島も同じなんだけど、映画を撮るためには捨てないといけない、割り切らないといけない狭間で悩んでいる面は、むしろ玲奈よりもどん詰まり感を強く思う。

内省的で観念的な映画だと思う。中でも、中島がデートの帰りに玲奈にプレゼントする手鏡は、それまで頬にアザのある自分の顔を直視してこなかった玲奈にとって最大のサプライズで、自分と向き合い始めることで中島の真の愛情が欲しくなる。映画を撮ってくれるだけじゃなく。

結局、頬のアザという難題を乗り越えようとしていた玲奈は手鏡によって一人の女として中島に受け入れられることを求めるけど、中島にとってはそうじゃない。身勝手なようだけど身勝手じゃない。向かっている理想の私が何であるのか?お互いに擦れ違ってるという残酷な現実。

自分探し、と一言で片づけてしまえば、ひょっとしたら簡単なことなのかも知れないけど、人間の感情は、回路はもっと複雑である。偶々、頬にアザがあったことは他人より目立つことだったのかも知れない。でも玲奈の原点にあったのは、小学時代に「琵琶湖みたい」と言われたことが嫌ではなかったこと。

小学校低学年までは自分の頬のアザが特別なものだとは気づかなかった。それが授業中に黒板に「琵琶湖」の形が書かれた瞬間、ある男子に頬を指され「琵琶湖みたいだ」と言われた時、自分としては笑いもあったしちょっと目立ってむしろ良かったと思った位だったはずなのに。

教師は「琵琶湖みたいだ」とはやし立てた男子をきつく叱った。それは外見を差別するいけないことだと。でも受けとめる側の玲奈にとって、一体それが何なのかが分からずにずっとモヤモヤしたまま、彼女は理論上で全ての物事が解析されるはずの物理の道を志向したのだ。

玲奈を題材にした「顔が教えてくれたこと」という手記が出版され大ヒットし、彼女はホントに時の人になった。でも物理学教室で物静かに実験に打ち込む彼女にとって騒ぎは対岸の出来事であり、映画化の話が持ち上がっても「とんでもない」「お断りです」が本音であった。

この辺りから、私は目の前の映画を観ながら、つらつらと自分自身の人生を振り返るんだよね。イジメに遭ったこともあったし、イジメをしてしまったこともあった。でも外見はほとんど関係なかった。イケメンじゃないしブ男でもない。十人並みの顔だから意識したこともない。

嫁さんは世間一般に見れば美人だと思う。自分がイケメンじゃないから嫁さんに美人を求めた。当の嫁さんは自分の顔をあまり意識したことが無いという。写真を撮られるのも嫌いだし、顔を云々されること自体が嫌だと。他人と同じなのか違うのか?同じだから目立たないのか?違うから目立つのか?

よだかっていうのは醜い鷹。本家の鷹から改名しろと迫られるが、アイデンティティを喪失する危機を感じて改名しない。私が私であると感じることは映画監督の中島にとって映画を撮る原動力となっていたはずだけど、それを玲奈の心に当てはめると一体どうなのか?って話。

中島が玲奈に近づくのは「顔が教えてくれたこと」を映画にしたいから。玲奈の左頬にアザがあることを中島は素に受けとめ、意に介さない。映画化するという話に身構えた玲奈は、中島の自然な振る舞いに心を許すようになり、そして身体も許した。二人はよだかなのだ。

玲奈は中島のことがホントに好きになり、嫉妬と言う感情を覚える。映画化した時の自分の役を演じるという手島実優には特に激しく嫉妬した。中島が彼女と過去に交際していたこと、私を彼女が演じてしまうということは中島という映画の中で自分の居場所が喪失してしまう。

玲奈の中島に対する片想いはとても直截的なもので、琵琶湖に一緒にデートに行き、憑き物が落ちたように自分の左頬を気にせず見せることができるようになった中島という存在。彼女は中島が映画を撮り始めてから、自分に対する関心がこうも薄くなるものかと絶望するのだ。

中島は、彼の持っている独特のキャラからしてのらりくらりと玲奈との会話をはぐらかし焦点をぼかす、でもその先にあるのは、恐らく玲奈と中島の内向的ではあるけれども、自分がそうであると思う私は全く違うものなんじゃないか?と最初から分かってた、で、仕方ないから映画を完成させるためにごまかした。

中島は忙しい映画撮影と、自分を求めて来る玲奈の存在を天秤にかけて映画の方を取っちゃうんだよね。彼女の持つ頬のアザの存在を映画にして見せることで彼は自己実現して私になれる。でも玲奈はなれない。彼女は手記で頬のアザを取り上げられただけ、探してるホントの自分を見つけていない。

玲奈が中島に心を許すきっかけとなった「私の映画を撮るのはこの世の中に彼しかいない」という感覚。でも、主演女優の実優は自分と同じアザを頬に着けて生活、私とどうしてもしたいと言う。玲奈は実優に思わず聞いてはいけないことを聞いた「中島さんと付き合ってたの?」

もう二人、印象的なキャラが登場する。物理研究室で後輩の青木柚、大学の先輩の藤井美菜、この二人がもし作品に登場しなければ、内向的な二人のああでもない、こうでもない、堂々巡りの話が延々と繰り返されることになったであろう、もう二人よだかが登場して全部で四羽だ。

ラテ研に入りなよ!とリオのサンバカーニバルのど派手な衣装で登場する美菜は私にとって本作最大の収穫でw彼女の彫の深い顔立ちは和風で幸薄そうな玲奈と好対照に見える。でも美菜はBBQの最中に大やけどを負い、玲奈と同じように顔にアザが出来て、絶望に沈んでしまう。

これが本筋なのか分からないけど、美菜は同じようにアザを持つ玲奈に憎まれ口を叩き、でも玲奈は「私のことフツーに接してくれた」美菜に好意を抱いていた。美菜は玲奈にお化粧の方法を教えて、太陽がキラキラと降り注いでもアザは全く気にならない、ラテ研マジックだ!

青木君は変人にすら見える玲奈のことを心の中でずっと好きで、美菜にも冷やかされて来たけど、ある日研究室で告白し、あっさりフラれた。彼もまた、よだかだったのかなあ。玲奈は次々と起きる想定外の出来事を通して、私だけがよだかじゃない、という思いに至ったのだ。

青木君をフッた日の夜、玲奈はどうしても中島と会いたくなって連絡を取ろうとするが、鍵を間違えて書庫に閉じ込められ、ガラスを割って外に出ようとする。その時、ガラスに映った自分の顔が粉々に割れて、アザが血で滲む幻を見た。そして中島は忙しく彼女を置いて家を出た。

私が最も心に残る場面。整形クリニックを訪れた玲奈はレーザー手術で2年かければお金の力でアザはほとんど完全に消えるという事実に愕然とする。それはこれまで紡いで来た物語を全て無化する程のメガトンパンチ級の現実であり、彼女は治療を受け入れるのかどうか?

結局、玲奈はレーザー照射手術はしないことに決めるんだよね、それをしてしまったら私が私じゃなくなる、よだかが市蔵に名前を変えなかったように、アザと向かい合って生きていく自分。美菜の教えてくれたファンデーションで隠すのはOK。これならアザと伴走できるから。

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